『海の色は何色』26


 ✳︎


 なんで、私たちはいつもこうなんだろう!!


 近づいたと思ったら離れたり、離れたと思ったら近づいたり。時々、奇跡みたいなことが起こるくせに、肝心なところでは繋がろうとしていた糸をプツリと切ってしまう。


 運命なんて、そんなもの?

 それって運命とは言わない気がする。




 テレホンカードを使い切ってしまった。

 これを伝えるのが、はばかられる。非常に言いづらい。かと言って、「向こうから切った」なんていう嘘は絶対に言えない。



 だから、本当のことを伝えることにした。

「ごめん。テレホンカード、使い切っちゃったみたい」


 明るく振舞おうと笑顔を見せるが、どうしても笑えるような状況ではなく、思わず顔が引きつってしまう。


 和臣さんも、私と同じような表情をしていた。


「ああ、まあ。もう一度、現金で掛け直せばいいし」

「そ、そうだね」


 とはいうものの、あの良い雰囲気だった流れを切った今。果たしてもう一度彼らは向き合うことができるだろうか。


 もう一度受話器を取り、十円玉を入れる。今度は和臣さん自身から電話をかけた。


 しかし……。


「ダメだ、繋がんない」

「……うん」


 もう一度トライするが、またしてもダメ。


 他にもやるべきことはたくさんあるので、その日は和臣の父への電話は諦めたのだった。






 ✳︎


 あっという間に一週間が過ぎた。


 この七日間の間で、瞬く間に私たちの結婚のことは広まった。町を歩くと、必ずと言っていいほど祝福の言葉をかけられる。正直、「誰っだったかなこの人」っていうケースも少なくないのだが。


 ウエディングドレスも試着しちゃくしに行った。いくつもの豪華なドレスを目前に、私なんかがこんな素敵なものを着てもいいのだろうか、と頭がクラクラした。しかし、そこは和臣さんのフォローもあって、気を取り直すことができた。


 花嫁姿の自分と、タキシード姿の和臣さんが鏡の前に立つ。


 ものすごく恥ずかしかった。だけど、鏡に映る自分の顔は世界一幸せな顔をしていたと思う。


 式は来月下旬に決まった。祖父もまだまだ元気なので、少しは余裕を持った日程にできたのだ。



 あとは、和臣さんの方だけ。

 残念ながら、あれから音信不通のままらしい。



 しかし、一週間が経った今日。事態は一変した。

 東京の大学病院から、和臣さん宛てに手紙がきたのだという。しかも、私の名前も記されているとか。


「お義父さんの病院はどこか知っていたの?」

「いや、教えてくれなかったんだ。電話番号も携帯電話だったから、番号で病院がどこなのか調べられなかった」

「携帯電話……」


 道理で変わった番号だったのである。


「あの人、通信会社で働いてたから、そういう最新技術はいち早く取り入れてるんだ……って、本題はそこじゃない」


 和臣さんは、手紙を懐から取り出した。


「一緒に読もう」

 ほんの少し和臣さんの手が震えていた。緊張からの震えか、それとも武者震いか。

 そんな彼を励ますために、私は明るく答えた。


「もちろんだよ。だって、わたし宛ての手紙でもあるんでしょ?」

 和臣さんはフ、と静かに笑った。

「まあね。……じゃあ、封を開けます」


 和臣さんはハサミを使って、丁寧に封を開ける。中からは明るい水色の便箋が出てきた。


「じゃあ、読むよ」

「うん」






 ✳︎



 拝啓 伊東和臣さま、真彩さま


 この手紙は、看護婦さんに代筆しもらっている。その理由もこの後に記されているだろうから、気長に読んでいただければありがたい。


 まずは、先日の電話の件だが、本当に申し訳ない。無礼なことをしてしまったと思う。とくに、真彩さん。あなたには初め、ひどく強く当たってしまった。この場を借りて謝罪させてほしい。すまなかった。そして、これから義理の形ではあるが親子になるのだから、どうか良い関係を築きたい。どの立場からモノを言っているのだと思うかもしれないが、こんな私を許して欲しい。


 さて、今更かもしれないが、私からも祝福させてもらいたい。


 結婚おめでとう。


 結婚の話を持ち出された時は、正直驚いた。まさか、あの和臣が結婚をする日がくるなんて、と。確かに、ガキの頃から女ったらしのところはあったが、どの付き合いも本気で相手を思っているようには見えなかった。


 きっと、どこかで母の面影を探していたんじゃないか。


 まるで、源氏物語のようだが。しかし、幼少期に母からの愛情を受けなかった男は女付き合いが荒れているのだと、何かの統計で明らかになっているらしいから、シャレにならない。


 式の話だが、あの時は断ってしまったが、今は行くかどうか悩んでいる。


 真彩さんの言葉が、私の胸に重く響いたからだ。


 和臣。お前は、恵まれている。


 こんなにもお前のことを思ってくれている女性に出会えたのだ。お前は、幸せ者だ。


 だから、シャキッとしなさい。


 これからここに記すことにも、動揺するな。おそらく、お前は人一倍優しいやつだから、こんな私にも同情するだろう。しかし、お前の見るべき場所は違う。もっと前にある。先にある。未来にある。だから、くたびれた親など、どこか記憶の片隅に置いておけばいい。


 前置きが長くなってしまったが、私の話をしよう。


 私は今、盲目の人生を歩んでいる。


 作家のお前は、私が未来に希望を抱いていない人生を送っているのかと思うかもしれないが、これは決して比喩などではない。本当に、私は目が見えない。視力をなくしてしまった。私の目に映るのは、もはや闇だけだ。


 仕事も退職した。なんとか、今は貯金で暮らしている。暮らしていると言っても、病院の中ではあるが。


 盲目の状態で、式に出ることができようか。いや、そう簡単にはできないだろう。だから私は電話での応答で断った。


 しかし、君たちの結婚の話を聞いた看護婦さん(今、この手紙を代筆してくださっている方だ)が、付き添いの看護婦を一人連れて式に向かえば問題ないだろうと提案してくださったのだ。


 だから、式の詳しい内容を電話で教えて欲しい。この手紙が届くまでの間に、もし電話をかけていたのならすまなかった。式までに、少しでも視覚障害を慣らすために、点字の読み書きや杖の使い方のレッスンに熱中していたもので、電話に出られなかったのだ。言い訳のように聞こえるかもしれないが、申し訳ない。





 最後に、和臣の母のことを記しておこう。


 おそらく、お前が最も気にしていることだろう。その証拠に、伊東和臣の作品のエピローグは、必ず主人公が母に向けての思いを綴っている。



 私たちが離婚したのは、別に不仲になったわけではない。


 お前の母は、自分のやるべきことを見つけていた。


 それは、一人でも多くの子供達が安心して過ごせるようにすること。


 彼女は日本人だが、親の仕事上、貧しい国で育った。彼女の両親は、その国で孤児院を経営していた。当時、日本人である彼女一家がどのようにして海外へ向かうことができたのか、今となってはもうわからない。ただ、金銭面でも社会的にも、海外に簡単に行けるような状況ではなかったはずだから、相当苦労したのは確かだろう。


 戦後すぐの日本は、ボロボロの国だった。しかし、そこからの立ち上がりは早く、日本は高度経済成長期を迎える。私たちが生きてきたのは、そんな時代だ。


 日本にいたのなら、衣食住に困ることもなく、マラリアなどといった病気に怯えることもなく、幸せに暮らしていただろう。しかし、彼女の両親はそうさせなかった。世界にはまだまだ貧しい国があり、戦争が続いているのだということを彼女に教えたかったのだという。当時の日本人は、戦争のことを語るのを避けていた傾向にあったから、日本にいただけじゃ世界の現状に気づけなかっただろう。


 やがて、彼女自身も大人になる。

 彼女は日本で暮らすのを毎日ずっと夢見ていた。だから、大人になると共に日本へと旅立ったのだ。彼女は育った環境のおかげで主要5カ国語を使いこなせたから、日本の教育を受けていなくても職には困らなかった。


 戸籍なども上手く誤魔化して、ようやく日本に定住することができた。


 そこで出会ったのが私だ。


 彼女との馴れ初めなどは、また今度話そう。とにかく、今は彼女と出会って五年後に結婚したということだけを頭に入れておいてほしい。


 結婚して一年後、和臣が生まれて私たちは幸せな生活を送っていた。


 けれど、彼女の脳裏に浮かぶのは彼女が育った国の子供達のこと。和臣を愛すれば愛するほど、彼女は自分への罪悪感でいっぱいになった。


 そこで、彼女はもう一度その国に戻ることを決めたのだ。


 できることなんて限られている。世界中の全員を助けることはできないのだから。だけど、一人でも多く、孤児の子を助けてあげたい。彼女は強くそう思ったのだ。


 もちろん、彼女の決断は散々悩んだ末のものだった。なんせ、罪悪感にさいなまれてから五年も経っていたのだから。


 そのくらい、和臣のことを愛していた。


 離婚したのは、あの人の心遣いだった。「もしあなたに新しい恋人ができたときに、私がいたら足手まといになるから」と言って、離婚したんだ。私は反対したのだが、彼女は自分が重荷になるのを嫌って頑なに離婚すると言ってきた。


 本当に離婚したかったのでは、と思ったこともあったが、ほぼ毎月手紙を送ってくる態度からはそんな思いは伝わってこない。



 これが、お前の知りたがっていた母の事実だ。



 長い間、黙っていてすまなかった。


 私は、お前に一人で生きていける強さを覚えてもらえるよう、突き放して育ててきた。今思うと、間違った判断だった。もっと、愛情深く育てればよかったと思う。


 けれど、元気に過ごしているようで何よりだ。


 もう私は、この目でお前の姿を見ることができない。


 真彩さんの花嫁姿も見れない。


 それでもいいというのであれば、ぜひ式に行かせて欲しい。



 それでは、ここらへんで締めさせていただこう。二人とも、お体に気をつけて。



 敬具












 ✳︎



 目から涙が滴り落ちて、封筒を濡らす。


 和臣さんも、必死に涙を堪えていた。


「なんだよ、それ……」


 スン、と鼻をすする音がする。


「本当に、僕は……幸せだ」



 私はもう一度手紙を見るが、涙で景色が滲んで文字が見えない。





 だから、手紙に残るその温かい言葉を、しっかりと胸にしまいこんだ。







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