『海の色は何色』5
*
『んじゃ、そういうことで明日はよろしく』
「は、はぁ」
電話が切れて、ツーツーツーというむなしい音だけが残る。
「嘘だろ……」
予定が変わり、こちらでの滞在期間が縮んだ。元々は二週間程度の滞在予定だったのだが、三週間後に行われるはずの別の映画化作品の試写会日程が前倒しになったせいで、明日の午後にはここを
「もう真彩とお別れじゃん」
なんとなく呟いてみただけだった。だけど、ひどく悲しい気持ちに襲われた。
ああ、そうか。
僕は、悲しいんだ。
____でも、なぜ?
*
翌朝、僕は四時に起きて身支度を整えた。スーツケースに荷物を詰め込んである。
一晩寝たら、頭がいくらか冷静になった。自分のやるべきことが何か、考えた。
やるべきことの一つは、彼女に嘘をついたことを謝ること。……もしこれが真彩じゃなければ、そのまま「取材はこれで終わりだから」などと言って嘘を通していただろう。
でも、彼女には嘘をつきたくなかったし、彼女にはいつかバレてしまいそうな気がした。
高級ホテルの朝食も適当に済ませ、僕はさっさとチェックアウトをした。
この時間なら彼女はいる。
きっと、海の先をじっと見つめて、君は青の深いところも見逃さないように集中しているのだろう。
浜辺をサクサクと歩いていると、彼女はすぐに見つかった。昨日までと同じように、きちんと体操座りをしている。
ただ、昨日までとは違い、彼女の横には大きなダンボール箱があった。彼女のものなのか、そうでないのか。もし彼女のものだとしたら、一体中身は何が入っているのか。
気になるところはたくさんあったが、とりあえず彼女の元に近づいた。
「真彩さん」
彼女は嫌がっていたけれど、僕は名前呼びの方が好きだった。
だって、彼女にピッタリの名前だから。
「あ、伊東さん、おはようございます」
真彩はペコリと頭を下げた。僕もつられておじきをする。名前で呼ばれたことには、とくに気にしていないようだ。
「ところで、そのダンボールは何ですか?」
早速、僕が問いかけると、彼女はほんの一瞬だけ引きつった顔をした。
「これは……その……」
彼女は俯いて、でもすぐに顔を上げた。
「伊東さん、あのっ……お伝えしたいことがあって……」
「あ、僕も真彩さんに、謝らなくてはならないことが、あるんです」
「え?」
彼女はキョトンと首を傾げた。
「あの……初日に、僕、真彩さんに嘘をついたんです」
僕がそう言うと、彼女はポカンと口を開け、「何のこと?」と表情で言っていた。
「『次の小説の題材を決めるために、この海岸に来ていた』って言いました。けど、本当は……」
「あ、そのことなら、知ってましたよ」
「うへっ!?」
予想外の返答に、僕は思わず変な声を出してしまった。
「前作が映画化されて、この街に住んでる監督さんに、ご挨拶をしに来たんですよね」
「……ご、ご名答」
「一週間ほど前に、町長さんが、そのことを話していたんですよ」
彼女はフフ、と笑ってから「でも、伊東さんの伝えたいことって、それだけじゃないですよね」と言った。
「え?」
「急に、その話を持ち出すってことは、他に何か、大事な話があるんじゃないですか? 例えば、今日ここから出るとか」
あまりにも彼女の勘が鋭すぎて、僕はあっけにとられた。「なんでわかったの?」と聞くと、「女の勘です」と彼女は満足そうに答えた。……こりゃ、完敗だ。
僕は素直に打ち明けた。
「……僕の前々作の映画の試写会が、前倒しで行われるらしくて、今日の夕方には、ここを出なくてはならないんですよ」
「じゃあ、今日でお別れなんですね」
「……」
彼女は、僕と同じことを思ってくれていた。それだけで、少し胸が軽くなる。
「やっぱり、今日決心して良かった」
彼女が小さく呟いた。「何を?」と聞くと、彼女はダンボールを指差した。
「この中に、私の宝物が入っています」
「はぁ」
一体、彼女は何を言いだすのだろう。
僕は頭の上にはてなマークを浮かべていたが、彼女はそのまま続ける。
「先に謝っておきます。最後なのに、ごめんなさい。今から私、かなり失礼なことを言います」
「え、ちょっと待って。心の準備というものが……」
僕は慌てて彼女を制した。しかし、彼女は「いいえ」と首を振った。
「私にも、心の準備なんてないです。正直、今でも迷っています。言うべきか、言わないべきか」
だから何を? と聞きたいところをグッと堪える。
「でも、これで会うのが最後なら、ちゃんと伝えなきゃなって決心できました」
「……わかった。真彩さんの言葉、ちゃんと受け止めるから」
それが、せめてもの僕の償いな気がした。何に対しての償いかは、明確ではないけれど。
「それじゃあ、単刀直入で言いますね」
ゴクリ、と僕は唾を飲んだ。僕はこれから、何を言われるのだろうか。
「私、伊東さんの、今の作品は嫌いです」
風が、遠くの方で鋭く鳴いた。
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