四年前――小学校六年生の秋②
二日目もあっというまに時が過ぎ、ついに修学旅行は終わってしまった。お土産を左手に、旅行バックを右手に持って家に帰る。
途中、浩介に会ったがいつも通り話しかけてくれた。やっぱり、みんなが言っていたのは、気のせいだ。だって、ほら、こんなに普通じゃないか。
「あー、カバン重いよー、死にそー」
と文句を言いながら歩いていると、浩介が「持とうか?」と言ってくれた。浩介は、キャリーバッグに荷物がすべて詰め込んであるので、手ぶらに等しい。
「じゃ、お言葉に甘えて」
と言って、旅行バッグを手渡す。
と、浩介の手と私の手が繋がれた。
「へ?」
と私。すると、しばらく浩介は停止して……急に慌てて手を離した。
「べ、別に『俺が全部持つ』とは一言も言ってねえからな、一緒に持とうとしたんだよ」
「あ、そうなの? ケチな奴」
仕方がないので、結局ひとりで持つことにした。あー、重い重い。
しばらく、沈黙が続く。
「浩介?」
あまりにも、浩介が無言だったので心配になって顔を伺った。
すると、浩介の顔が……濃くなっている。きっと赤くなっているはずだ。よく見ると、耳の方まで濃い。
「大丈夫? 熱あるの?」
浩介のおでこに手をあてて、次に自分のおでこにも手を当てたが……熱はなさそうだった。
「どうする? 学校戻って、先生呼んでこようか?」
浩介はうつむいたままだ。
これはまずい。きっと、修学旅行で疲れてしまったのだ。本人も寝不足だと言っていた。それに、修学旅行の後に体調を崩す生徒が毎年いると先生も注意していた。
周りは、雑木林で人もいない。
「ここで休んでて。今ダッシュで先生呼んでくるから」
と言って、駆け出そうとする私の手首を浩介がつかんだ。
「どうしたの?」
いつもなら、言いたいことははっきり言う浩介が、こんなにも何もしゃべらない。一体、どうしたんだろう。
「彩美……」
ようやく声を出してくれたので、安心した。
「うん、どうしたの?」
つかまれている手首が熱かった。
「俺さ……一年のときのこと、すげえ後悔してる」
今さら何を言い出すのだろう。
「そんな、もう終わったことだし、気にしてないよ! それに、今は浩介とかが仲良くしてくれてるからさ」
全然ヘーキ、と答えた。
「でも、そのとき思ったんだよ、俺のせいでお前が悪く言われちゃったから」
「いや、だから平気だっ……」
「だから、俺、せめてお前と仲良くしようって思ってさ……。そうやって、ずっと一緒にいたらさ、お前いい奴でさ」
「あ、それはどーも」
なんで、浩介はこんな話をするのだろうか。
「俺のこと何も悪く言わねえし、それどころか優しかった」
ふいに、昨日の夜にみんなと話したっことが、蘇った。
……え、ちょっと待って。
「だから、その……俺さ、彩美のことが」
待って、それ以上言ったら、今までみたいに話せなくなるよ……!
「好きなんっ……」
パン、と乾いた音がした。彼に手を挙げたのは、これで二回目となってしまった。
「ダメだよっ」
私の中にある大切な何かがプツリ、と切れた。
「私たちは、友達っていうスタンスだから仲良くなれたんだよ」
浩介はうつむいている。
「だから、ダメだよ……」
声が震えてしまった。本当はこんなこと、言いたくないのに。
急に目から熱いものがこぼれた。
「……はは、振った方が泣くなんて、おかしいよね」
自嘲気味に笑いながら、涙を袖で拭う。
「ごめん、帰るね」
カバンを持って、急いで帰ろうとしたらまた腕をつかまれた。
「さっきから何なの?」
軽くイラつく。
「……泣かせて、ごめん。今日のことは、忘れてほしい」
その一言だけ言って、浩介は走ってどこかへ行ってしまった。
……ばか、忘れられるわけないじゃんか。
あとから思い返してみると、私は浩介のことが本当はずっと前から好きだったんだと思う。
きっと、一年生の事件の後から、ずっと。けれど、付き合ったらさらに悪口を言われるのが怖かったのかもしれない。だから、あんな態度を取ってしまったのだ。
あんなに強がっていたけど本当は、自分を悪く言う人のことが本当はどうしようもなく怖かったんだと思う。
私は自分が思っているよりも、ずっとずっと弱かった。
家に着き、荷物を片付けた。
すると偶然なのか、あの講演会のチラシが机の奥から顔を出していた。師匠に「取っておけ」と言われていたから、大事に閉まっておいたのだ。久しぶりに手に取ってみる。
なにか、ヒントがあるかもしれない。今の私の助けになってくれるかもしれない。そう思って……。
すると、チラシには師匠の電話番号が載っていたことがわかった。
「師匠……私、どうすればいい?」
四月に買ってもらったばかりのスマホを手に取って、電話の画面を出す。
迷惑にならないだろうか、と何度も自問自答をして迷っていたが……。
慎重に番号を打って、通話ボタンをゆっくりと押した。
プルル……パツ。
なんと、一秒も経たないうちに電話に出たのだ。
まだ、心の準備が……。
「もしもし、彩美?」
一瞬、心臓が止まりそうになった。
ホワッツ?
「……な、なんで?」
「いや、俺、天才だから?」
「…………」
「わーった、わーった! そう怒るなって」
「いや、怒るわっ! 真面目に答えてよ」
本当に、相変わらずの態度でむかついた……し、ちょっとだけ安心した。……それにしても、イメージしてたのと全然声が違う。低い、大人の声のような、そんなかんじ。
「ええっとだな、俺の家には電話が二台あり、そのうちひとつは普段使わないシークレット電話なんだ」
……はあ?
「で、そのシークレット電話の番号は彩美に渡したチラシにしか載せていない。したがって、かかってくるとすれば、彩美しかいないのだ!」
と自慢げに話された。
マジで意味不明だった。
「三年前から思ってたんだけど……どうして、そこまで私にこだわるの? 師匠って呼ばせたりさ」
単刀直入に聞く。
すると、さっきまでのおちゃらけモードではなく、ガチなトーンの声がスマホから聞こえた。
「……それは、今、答えなきゃダメか?」
ちょっと、圧倒される。
「べ、別にそういうわけじゃない」
「じゃあ、また今度答えるから、今日はごめんな。……さて、本題に入ろうか」
う、だからまだ、心の準備ってもんがあるでしょ!
「あの……直接会って話したい……です」
……。
ん?
んん?
「そっか、じゃあ、明日とか空いてる? 講演会やった地区センターに朝十時集合、オーケイ?」
勝手に話が進んでいる。
私、今、無意識で話してた! 最悪。直接会うほどの内容でもないのに……! 絶対笑われるよ、「女の子って、大変だねぇ~」って。
「おーい、聞こえてる?」
「うわ、聞こえてるよ。明日の午前十時に地区センター集合。ねえ、仕事の方はさぼっても平気?」
念のため聞いておく。
「俺の本業は学生で、勉強すること。だから、テスト前日だろうと問題ない!」
「問題だろっ!」とツッコミを入れるが、師匠のことだ。何を言っても聞かないだろう。
「じゃーな」
「うん、ありがと」
通話時間は一分三十秒だった。
翌日。よく晴れた空を見上げ、自転車に跨いだ。
風がそっと耳をくすぐる。秋のからっとした空気が顔に当たる。ちょっと寒い。
地区センターに着くと、金木犀の香りが漂っていた。甘い香り。それが、今の私にはちょっとだけ辛かった。
「お、彩美、早いね」
急に後ろから声をかけられたので、びっくりした。
「あ、ししょ……」
う、と言おうとしたが声が出なかった。
師匠の身長は私より三十センチくらい高かった。足はスラっとしていてスタイル抜群。
モデルのような外見だった。
「どした?」
いや、どうもしてないっス! と慌てて取り繕った。
「じゃ、中入るか」
と言って、師匠がエントランスをくぐったので、私も急いでそのあとについていった。
「単刀直入に言うとね……」
私たちは、ホールにあるテーブルに向かいあわせで座っている。
「好きな人に、告白されました」
師匠は少し驚いた顔をしたが、「よかったじゃん」と祝福してくれた。
「でもね、私とその子が仲良くするとさ、妬んでくる奴がいるわけ。すでに、付き合ってない今でさえ陰で私の悪口言ってるから」
うん、と頷く師匠。
「私、そういうの、ヤダ。多分、大人になったらこんなことたくさんあって、我慢しなくちゃいけないのかもしんないけど、今の私には耐えられない」
陰で何を言われるかを考えると、とても怖かった。それに、私のせいで、仲良くしてた子たちまで悪く言われたらどうしよう。不安だった。一番怖いのは……ひとりになることだった。浩介とずっと付き合うことができるとは限らないのだ。もし、友達がみんな離れていって、その上浩介までいなくなったら……。
どうしようもなく、怖かった。
このことを伝えると、師匠は静かに話始めた。
「俺も……同じだったから、わかる。ひとり、って想像以上に寂しいんだよな。でもさ……」
師匠の視線と絡み合う。
「まずは、彩美の友達を信じてみろよ。悩むのは、それからでも遅くない」
すとん、とその言葉が私の胸に落ちてきた。
「……私、みんなのこと、全く信じてなかった」
だって、信じてて裏切られたときに失うものの方が、はるかに大きいから。
「そっか、そうだよね。まずは、みんなに相談すればいいんだ!」
「おお、そーだそーだ! その調子だぞ。……あとは、告ってくれた男にもちゃんと本当のこと話しな」
「う……それは、ちょっと心の準備がっ」
だって、本当のことを話す=《イコール》告白もするというわけだ。そこまでの勇気は……ない。
「でも、早めに言わなきゃどんどんこじれてくぞ。それに……」
師匠はふう、と息を吐いた。
「いつ離れ離れになるか、わかんねぇから」
そう言った師匠の目は、どこか寂しそうだった。
だれか、大切な人でも失ったのだろうか。
いくら小学生だと言っても、聞いていいことと悪いことの判断くらいはできた。私は、黙って頷いた。
「……師匠、ありがとう。私、今すぐ行くよ、浩介のところに!」
「おう、行ってこい行ってこい! 気をつけてな!」
私は急いで浩介の家に向かった。
浩介の家は何度か行ったことがある。初めて行ったのは、一年生のあの事件の直後。ママと一緒に謝罪をしに行ったときだ。あのときは、浩介ママが怖すぎてそれしか印象になかった。
でも、三年生になって遊びに行ったときは、すごい豪邸だったのでドキドキしたのははっきり覚えている。
それからは、何度も遊ぶようになり、今では浩介ママとも仲良くなったくらいだ。
なのに……おかしい。
浩介の家が見当たらないのだ。たしか、この辺だったんだけど……。
まさか、と思った。
引っ越しをしている家が、向かい側にあった。大きなトラックがあったから、どの家かわからなかったけど……。
ふと、師匠の言葉が思い浮かんだ。
〝いつ離れ離れになるか、わかんねぇから〟
急いで、その家に向かった。
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