三か月前――中学校三年生の十二月
十二月二十四日。クリスマスイブ。街中がイルミネーションできらきらと光っていた。
そして、今どき珍しいセーラー服に身を包んでいる私は白い息をはあ、と吐きながらある場所へと向かっていた。
異常気象が続き、今年は例年より早く初雪を迎えると予想されていた。そして、ちょうど明日、ここらへんでも雪が降るのだという。ホワイトクリスマスだと言いながら、みんな楽しそうにしていた。クラスのうち何人かは、彼氏彼女とデートするからとみんなに自慢していた。
彩美は? もしかして、クリぼっち? とクラス一の不良女子に聞かれた。「失敬な……私には父上という彼氏がいるのよ……あがめなさい」と適当なギャグで流しておいた。ちなみに、あんまりウケなかった。
でも、本当にぼっちではない。父さんと過ごすってだけじゃなく、きちんと異性と会う約束をしている。ただ、そう言うと面倒なことになるので黙っておくことにした。
ブーブブ、とスカートのポケットでバイブが鳴る。私たちが通う中学はなぜか規則がとても緩く、ケータイの持ち込みが可能だった。ルールらしいルールもなく、強いていうなら「指定の制服を着て登下校すること」だった。緩い学校なら、普通ジャージ登下校を認めるはずだ。イマイチ、ルールの基準がはっきりしていない。
そういう緩い学校のため、とても荒れていた。校内でタバコを吸う奴もいれば、暴行や無銭飲食、窃盗を犯して警察沙汰になることもたびたび。教師も手におえない状況。ひどい学校だった。
が、別に全員が全員荒れてるわけじゃない。中には、県内トップクラスの高校進学を目指す優等生もいたし、部活の大会で全国大会出場の成績を出している人もいた。
そんな中、私はわりと小学生の頃と変わらない生活を送っていた。というか、そうなるように心がけていた。それはやはり、浩介の影響が大きいのかもしれない。
スマホの画面を見る。噂をすれば、その浩介からLINEがきていた。『今電話できる?』ときている。
「大丈夫だよ」と答える代わりに、こちらから電話をかけた。すると、呼び出し音が二回も鳴らないうちに電話に出た。
「もしもーし」
と話しかけながら、道の端に移動する。
『お、彩美? メリークリスマスイブ!』
「なにそれ、変なの。メリークリスマスイブ!」
なんだかんだ言いつつ、同じ挨拶を交わしておく。
『しょーがねーだろ、明日から合宿なんだから』
浩介は、引っ越してからも野球を続け、地元の野球強豪校に通っている。大体、長い休みの日は合宿があり、とてもこっちに戻れる状況ではない。
でも、私はそれでもいいかな、と思った。だって、高校生になって自分磨きしてから、プロポーズされたいもん。
「大変だね。でも、応援してるよ!」
『おう、ありがとな! それでさ、俺正月中も合宿なんだ。だから、今、年賀状書いてる』
「おお……なんて言ったらいい?」
『え、そこはやっぱり……ありがとう、とか?』
「お忙しい中、わざわざありがとうございます」
丁寧に言った。
『へへ……で、本題はそこじゃなくてな、もし彩美から送るなら今年は中学の方の住所で送ってくれないか? 実は推薦で受験受かった組は、県の強化合宿に参加すんだけど、正月も全部つぶれちゃうんだ』
うそ……。じゃ、LINEすら出来ないじゃん。
『別に、家宛てでもいいんだ…………けど、できれば……すぐ見たいし……』
互いの思いを知ってからもう三年経っても、こういう言葉はなかなかハッキリ言えなかった。いっつも、お互い照れちゃって語尾が小さくなる。
「いいけど……他の部員とかに見られないの?」
『それは問題ない……と言いたいけど、厳しいだろうな。あいつら、一年の頃からずっと彩美に興味津々でさ……正直うんざり』
と言う浩介の声は言葉とは裏腹に、楽しそうだった。
「ま、いいや。気にしないで普通に描いちゃうね。今年は言いたいこと、全部ハッキリ書こっかな」
『……嬉しいけど、ほどほどにしてくれよ』
「わかってるって!」
……とことん書いてやろうじゃないか。
「てことは、新年の挨拶もした方がいいの?」
『いや、それは平気。宿屋に公衆電話あるから、そっから電話する。……たぶん、野次馬付きだけど』
「はいはい、了解でーす」
『じゃ、またな』
「うん、体に気を付けて」
電話が完全に切れたのを確認してから、もう一度スマホをポケットに入れ直した。
少し、小走りで目的地に向かう。
目的地に着くと、すでに彼は待っていた。
「ごめんね、待たせちゃって。ちょっと電話してた」
と言って、恋人を意味する小指を立てて見せた。
「それ、言い訳になってねえぞ。ま、いいや。早く入んな」
そこは、師匠の家だった。
これが、受験生の私の日課だった。学校が終わったら師匠の家で受験勉強をする。母さんたちは「塾のお金はいくらでも出すから」と言ってくれたが、それで落ちたりしたら見せる顔がない。……絶対受かるけど。
去年、浩介と同じ高校を目指すことにした。浩介は優しいから、私の行く高校に合わせてくれると言っていたが、本当は野球の強豪校に行きたいはずだ。
そこで、県内最強の野球部がある高校に行くことにした。そこは、私立高校でスポーツも勉強も盛んな学校だ。……と聞くと、文武両道を思い浮かべるかもしれないが、実際は違う。スポーツはスポーツ、勉強は勉強で全く授業のカリキュラムが違うのだ。中には、勉強のクラス、「特別進学コース」に在籍しつつ強化部活にも所属するというエリートもいるが、本当にそれは一部の人だ。
浩介は、野球での実績があったので無論スポーツ推薦で行った。本人曰はく、「兄ちゃんの名前が役に立った」とのこと。
浩介の兄、涼介さんは今十九歳。高校時代は毎年、
あの竹井涼介の弟! ということで、とても注目をあびているらしい。きっと、すごくプレッシャーがかかっているのだろう。
でも、きっと浩介なら大丈夫だ。プレッシャーすら自分の力にして、どんどん前に進んでいく気がする。
問題なのは、私だ。
現在、私の目指している高校に通いつつ執筆活動を続ける師匠。実はもう難関私大をAО推薦で合格しているのだ。それどころか、去年、師匠の作品が芥川賞を受賞した。もう、何がなんだかわからない。国語の資料集に顔写真と説明が載ったほどだ。
そんな超有名人であり、頭もいい人から勉強を教えてもらってる私。なのに……。
先月受けた模試では、C判定……いわゆる「努力圏」。私と同じ高校を目指す子は、B判定で「どうしよう」と心配していた。それ以下の私って、どうなるんだ?
一応、滑り止めの高校は受けているが、もしそこに行くことになったら……せっかくこっちに戻ってきた浩介と、ほとんど会えなくなる。
いっそのこと、浩介のことはあきらめるか……。
もう何度もそう考えたことか。
でも、結局こうして勉強を続けてる。
数学の文章題を解いていると、師匠が何か持ってきた。
「はい、今日クリスマスイブだから……ケーキ」
と言って、師匠が箱を開ける。
……いや、ちょっと待って!
「な……これ、すごく高いやつだよ? こんなの食べていいの?」
そう、それは高級ケーキ屋さんのもので……セレブとかが食べるかんじのやつだ。
「そうなの? これ、マネージャーの
それって……ちょっと!
「でも俺、甘いもの苦手なんだよなぁ。食べれない、てことはないけど。でも、返すのは失礼だしな、ってことで……じゃあ、彩美にあげよう! って思ったんだけど……そっか、高いのか。じゃ、今度お金払っとくか」
と語り始めた師匠に、色んな意味で引いた。
「あの……師匠。これ渡されたとき松田さん、なんか言ってなかった?」
すると、師匠は驚いた顔をして言った。
「うん、言われたよ。『私の気持ち、受け取ってください』って。きっと、忙しい俺のことを心配してくれたんだろうな。だから『ありがとうございます、しっかり受け取りました!』って答えたぞ。……彩美、なんでわかったんだ? 超能力者みてぇだな!」
松田さんが可哀そうだっ……!
七時になったので、家に帰る支度を始める。明日が、今年最後の師匠との勉強会となる。きちんと、宿題をやらなくては……。
「じゃあ、また明日!」
大きく手を振った。
正月。浩介から電話が来た。
「もしもし」
『彩美ちゃーん、初めまして!』
……今年初めて聞いた声は、浩介ではなく野次馬たちだった。
「は……初めまして。彩美です。いつも浩介がお世話になっております」
電話の向こう側で、野次馬たちがヒューヒューはやし立てた。だから、お前らの声はもういいっつーの!
『彩美? ごめんな、こいつらうるさくて』
やっと聞けた浩介の声はちょっと照れてた。
「ううん、楽しそうでいいじゃん。合宿どう?」
『ああ、きついけど練習になるし、強い奴がいっぱいいて……わくわくする』
いつもそう。浩介は、自分より目上の選手がいると、ビビったりはせず逆にわくわくするのだという。
「浩介らしいや。……ね、ちょっと真面目な悩み事話すよ?」
『え? 彩美が悩み事って……どした? ……おい、お前ら外出てろ!』
野次馬たちが、へーいと言ったのが電話越しに聞こえた。
『で?』
「悩みっていうか、ただの愚痴みたいになっちゃうかもだけど……」
ふう、と一呼吸置く。
「浩介と同じ高校行きたいよ! なのに、全然成績上がんないし、もう切羽詰まってる! どうしよう……本当にどうしよう……」
さすがに、この年で泣いたりはしないが……それでも、泣きたくなる。
「それに……浩介はどんどん前に進んでってさ、高校なんかもへっちゃらなんでしょ、きっと。そう思うとなんかもう……こわくて。いつか、私のことなんて忘れちゃうんだろうなって」
浩介は黙っている。
「追いかけても追いかけても……どんどん遠くにいっちゃうんだ」
ねえ……私、待てないよ。
「待っている間に、心が先に折れそうだよ……」
沈黙が続く。
中学生の恋愛なんて、きっとそんなもんだ。ちょっとしたことで、すぐ別れてしまう。今まで、そういう人たちを私は何度も見てきた。
マンガやドラマ、映画や小説のように……うまくいきっこない。ましてや、私たちは三年も面と向かって話してない。
沈黙を破ったのは、浩介だった。
『ばっかやろう!』
鼓膜が破れるような大声を耳元で聞く。
「いきなり何なの!」
『あのな、黙って聞いてりゃ好き放題言いやがって!』
久しぶりに聞く、浩介の怒った声。しかも、声変わりで声が低いから、余計に怖さが増してるような……。
『俺だって全然平気じゃねえし、追い詰められてるんだ。周りからはあの竹井涼介の弟だ! って期待されっぱなしだ。プレッシャーはどんなに練習しても消えない』
浩介が追い詰められてる?
『人一倍努力しなきゃいけない、って思って毎朝早く起きてランニングしたり、素振りしたり……。それでも……周りの期待に応えられなかったら、って想像すると、胃が痛くなる。俺だって、怖いんだ』
浩介……。
『怖いけど、でも、彩美と同じ高校行くって決めたから続けられる』
うん。
『……俺から見れば、彩美の方が遠くに行かないか心配だった』
え?
『だって……小学生の時点で、お前のこと好きな男子がたくさんいた。だから、俺がいない間に他の男子と付き合ってることだって在り得た』
そんなの初耳だ。
『こんなに臆病な俺だけど……嫌いか?』
「ううん」
『じゃあ、もう少し待ってて』
「うん」
『お互い、今が頑張り時だ』
「うん」
『……さっきから、うん、と、ううん、しか言ってなくね?』
「うん」
ちょっと笑う。
「わかった、頑張るよ。約束」
『おう、彩美なら大丈夫だ』
「浩介も、大丈夫。プレッシャーなんて、丸ごと食べちゃえ!」
『変な例えだな』
「いいの! ……そろそろ、家族で新年の挨拶しなくちゃいけないから」
『おう、じゃあまたな』
「うん、またね」
そして電話が切れるか切れないかのギリギリで、つぶやいた。
「……好き」
聞こえてないといいな。
……だって、すごく恥ずかしいから。
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