九年前――小学校一年生の夏
「今日で、春の遠足の絵を完成させますよ! みなさん、集中して取り組みましょうね!」
図工の時間。担任の先生がみんなに呼びかける。
あたし、
というのも、あたしは生まれつき「
だから、あたしはそんな自分が好きだった。みんなとは違う。それは、もちろん良い意味で。だって、世界でほんのちょっとしかない特徴を持ったのだから!
でも、クラスのみんなはこのことを知らない。
先生は大人だから知ってるけど、クラスのみんなはまだ子ども。パパとママが、「子どもは自分たちとちょっと違う人がいると、どうしても離れたくなっちゃうから」と言っていた。あたしも、そうだと思う。
四月の聴力検査のときだって、となりの席のあいちゃんが実は片方の耳が聞こえないことを知ったら、みんなあいちゃんから離れていった。あたしはあいちゃんの気持ちがわかったし、耳が聞こえないことが悪いことだとは思わなかったから、今まで通り仲良くしている。
あいちゃんにだけは、あたしの秘密を教えていた。だから図画工作の時間で絵の具を使うときは、あいちゃんは色がわからないあたしのために手伝ってくれる。
でも、今日はあいちゃんは夏風邪をひいてしまい、学校を休んでいた。
仕方がないので、一個ずつラベルを見ながらパレットに絵の具を出していった。ちょっと邪魔だったけど、パレットと同じ順番に、絵の具の容器をラベルが見えるようにして並べて置く。こうすれば、どれが何色だかわかりやすい。
途中まで仕上がった画用紙を見つめる。
あいちゃんとあたしで、ヤギさんにエサをあげている絵だ。空にはわたあめのような雲が三つ、ふわふわ浮かんでいる。
あとは、原っぱの色を塗るだけだった。本当は、先生から薄い色から塗るように言われていたけれど、大きな原っぱは最後にバアーっとダイナミックに塗りたくなったのだ。
最初に、薄くきみどりで塗る。次に、ちょっと濃いみどりで塗れば完成! うん、いいかんじかも。
……と計画を立てたけど、バケツにお水を入れるのを忘れていた。早くいかないと!
先生に「お水入れてきまぁす!」と大声で言ってから教室を出た。
そのとき、「ガタン!」と机が倒れる音がした。
「ま、いっか」
あたしはとくに気にしないで水道場へ向かった。
教室に戻って、急いで色を塗る準備をした。パレットと絵の具の容器を見比べる。
あれ?
あたし、こんなバラバラな順番で並べたっけ?
いつもなら、あか、だいだいいろ、うすだいだいいろ、きいろ、ピンク……のように、もともと絵の具セットに入っていた順番で並べるはずだ。
考え事しながら並べたから、バラバラになっちゃったのかな?
時間もあまりないので、そのまま始めることにした。
「それでは、もうすぐチャイムが鳴るので、終わった人は作品を乾燥棚にいれてくださいね」
ちょうど先生がそう言ったときに、あたしの絵も完成した。すごく一生懸命塗ったから、きっと先生も褒めてくれるな。みんなもきっと、びっくりする。
あたしの最高傑作。
そう思っていた。
でも、乾燥棚にそっと作品を入れようとした、そのとき……。
「うわあああっ!」
自分の真後ろで、大声が聞こえた。振り向くと、そこには野球少年の
こんなときに、いきなりどうしたんだろう?
すると浩介くんは怒ったような、悲しんでいるような、驚いているような、複雑な声で言った。
「お前……なんだよ、その絵……」
浩介くんは、オバケでも見たような顔をしていた。あわてて、あたしは自分の絵を見る。でも、とくに変わったところはない。
「え……、別に何もないけど」
心配になったのでもう一度絵を見てみるが、やっぱり変わったところはない。あたしが見る限りでは……。
あたしが見る限りでは?
嫌な予感がした。
机が倒れた音。いつもと違う順番に並んでいた絵の具。あたしには普通に見えて、浩介くんには変に見える絵。
もしかして……。
「おまえ、原っぱの色を赤色に塗っておいて何もないって……どうかしてるよ!」
赤。
太陽の赤。りんごの赤。火の赤。絵の具の赤。運動会の赤組の赤。紅葉の赤。血の赤。
どの色も、あたしは見たことがない。でも、あたしだってそれくらいは知ってる。
草原の色は赤じゃない、ってこと。
「……ふざけんなよ」
いきなり怖い声が聞こえてきたので、びっくりした。しかも、その声は浩介くんの口から出てきた。
びっくりして、声が出ない。
「じいちゃんが言ってたんだ。戦争のとき、家の近くの原っぱが真っ赤に燃え上がったって。『グリーングリーン』の歌みたいだったって」
そういえば、この間音楽で歌った「グリーングリーン」は戦争の歌だって先生が言っていた。確かに「みどりがもえる」という歌詞があった。
「おまえは、その絵を描こうとしてたんだろ! 先生に言いつけてやる!」
「ちっ……ちがうの、これはっ……」
「じゃあ、なんで原っぱを赤色にしたんだよ!」
……何も言い返せなかった。
えー、彩美ちゃんってそういう子だったんだ。
サイテー。
グロイね。
気持ち悪い。
ひどい。
みんながあたしに悪口を言った。今まで仲良くしてた子も。みんな。みんな。みーんな……。
怖かった。
なんで、あたしには色が見えないんだろう? 色が見えていたなら、こんなことにはならなかった。
どうして、あたしだけ……。
「彩美ちゃん、大丈夫?」
先生が、あたしを見ていた。
「先生……あたし、そのっ……わざとじゃないんです」
すると、浩介くんがまた大声をあげた。
「じゃあ、おまえ間違って赤を塗っちゃったのかよ。色を間違えるなんて、幼稚園生でもやんねーよ。バーカ!」
パン!
教室がいっきに寒くなった気がした。シーンとしている。
右手がびりびりした。
目の前には、左のほっぺたを濃い黒色に染めた浩介くんがいた。実際は、赤くなっているのだろう。
あたし、今、浩介くんに……。
気づいたときには、もう遅かった。
「彩美ちゃん、何てことしてるの!」
先生が怒った。周りのみんなも、黙ってあたしを見ていた。
静かな教室に、チャイムの音がゆっくりと降ってきた。
そのあと、浩介くんとあたしは先生に職員室へ連れていかれた。浩介くんは保健室でもらった保冷剤をほっぺたにあてている。職員室には、もうママと浩介くんママが待っていた。
「ちょっと、先生、うちの子は大丈夫なんですか!?」
先生が職員室に入った瞬間、いきなり怒鳴り声が出てきた。声のした方を見ると、浩介くんママが顔を(おそらく)真っ赤にして怒っている。
「浩介は来週、野球の大会を控えているんです。担任として、児童の安全を守るという自覚はないんですか!」
本当に申し訳ございません、と先生が謝る。
……あたしのせいで、先生が謝っている。
「それに、川口さんもです」
今度は、ママが怒られた。
「子どもがすぐに他人に暴力を振るうなんて、異常ですよ、異常! 一体、あなたはどういう躾をなさっているのですか!」
すみません、とママも謝る。
……あたしのせいで。
……色が見えない、あたしのせいで。
急に目が熱くなってきた。
目をぱちぱちさせる。
あ。
一滴、こぼれた。
急いで止めようとしたけど……ダメ、止まんない。逆に止めようとすると、どんどん涙が溢れ出てくる。
浩介くんママが、あたしを睨んだ。
「はあ……。子どもはそうやって、親の前になるとすぐ泣く。泣けばどうにかなるわけじゃないの、わかる? 彩美ちゃん」
わかってる。そんなの、あたしがいちばんよく知ってる。
だって、どんなに泣いたって、あたしにはずっと色が見えないのだから。
「とりあえず、今日は浩介の野球の練習がすぐ入っているので、ここらへんで失礼させていただきます。でも、この件はまた後日詳細を聞かせてもらいますからね」
涙がずっと止まらなくて、世界がぼやけて見える。
でも、浩介くんが最後に心配そうな顔をしていたのだけは、ハッキリと見えた。
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