第30話 騎士の友人

「……グリエム・ヴェールドだ」

 気難しそうな老人が、硬い表情のまま名乗った。肘掛椅子に座るその老人から少し離れた場所で、ティアレシアは頭を下げる。

「はじめまして、ヴェールド男爵。私はティアレシア、気軽にティアと呼んでください」

 初対面の相手、しかも老人となれば、若いティアレシアは明るい笑顔と無邪気さで攻めるしかない。ティアレシアとしては異例なにこやかな自己紹介にも、ヴェールド男爵は表情を動かさない。

(会ってくれたのはいいけれど、なかなか踏み込めそうにないわね)

 フランツが紹介してくれた友人、ヴェールド男爵は、近衛騎士団長だったブラットリーの父親だ。

 ブラットリーは男爵位を継がずに、騎士団に入っていた。貴族としての後ろ盾なく、実力だけで団長に上りつめた男なのだ。エレデルトからの信頼も厚く、クリスティアンもブラットリーのことを頼りにしていた。目の前にいるのは、そのブラットリーの父親だ。なでつけた金茶色の髪と、ティアレシアをじっと見つめる藍色の瞳は、どことなくブラットリーに似ている。ブラットリーが歳を重ねれば、きっとこんな感じだろう。いくら気難しそうに見えても、ブラットリーの面影を見つけると、近寄りがたい雰囲気も気にならなくなる。

「フランツがどうしても、というから時間を空けたが……わしは女王の犬に用はないわぃ」

 その一言に、ティアレシアの顔から笑みが消えた。連れて来てくれたフランツも、眉根を寄せる。

 ブラットリーの下にいたフランツは、グリエムのことを知っていた。そしてグリエムもまた、息子の部下であるフランツのことを知っていた。だからこそ、十六年前の国王暗殺事件やクリスティアン投獄という国に大きな荒波が立った時、グリエムはその渦中にいたフランツを匿ってくれたのだという。

 しかし、グリエムは王の会議に出席する権限を剥奪され、議会での地位を失った。その理由は、王を裏切った罪人の父親だから。

 議会の中心はシュリーロッドの息のかかった者たちで固められ、エレデルトの時代から王家に仕えていた者たちは皆追放された。グリエムも、男爵位は残されたが、それまで守ってきた領地を没収され、辺境の地の管理を任された。

 その彼が、今王都に来ているのは他でもない、シュリーロッドの生誕祭があったからだ。

(あぁ、ヴェールド男爵は、生誕祭に参加していたから私を知っているのね……)

 いくら辺境の地に飛ばされていたからといって、仮にも貴族、盛大に行われる女王の生誕祭には参加しなければならない。あの生誕祭で、ティアレシアは変に目立ってしまったから、直接面識はなくともグリエムにはバートロム公爵家の娘だとバレてしまったのだろう。この銀色の髪のせいで。

 それならば、取り繕う必要はない。ティアレシアは姿勢を正して、グリエムを見据えた。

「改めまして、ティアレシア・バートロムと申します。御存知のことかと思いますが、バートロム公爵家の娘ですわ。つい先日、女王陛下の侍女になりました」

「女王の犬がわしのような老人に何の用だ」

「確かに私は女王に近い人間ですけれど、女王の犬などではありませんわ。例えるのなら、そうですね。仕える者も関係なく、ただ血肉を喰らうハイエナ……とでもいいましょうか」

 すっと冷えた眼差しで薄く笑うと、グリエムの表情がわずかに動いた。ティアレシアには、彼が笑っているように見えた。

「面白い。あの平和ボケしているバートロム公爵の娘とは信じがたいな」

「あら、お父様は平和ボケなどしていませんわよ。きっと、この国を変えてくれると私は信じていますもの」

「十六年、待っていた。しかし何も変わらなかった」

 その目には、諦めの色が強かった。きっと、何度もシュリーロッドに対抗する術を模索したに違いない。しかし、決定的なものは得られず、時間が経つにつれシュリーロッドの治世には手を出しずらくなった。打てる手は打った、それでも結局何もできなかった。

 だから、グリエムは諦めている。

 今更、何をしようと無駄だと思っている。

 それが、ティアレシアは悔しかった。


「あなたの息子は、きっと諦めていないわ。意志が強く、前向きで、どんな状況でも笑っていられる人なのだから……」

 ブラットリーは、太陽みたいな人だった。あたたかくて、優しくて、それでいてとても強い。幼い頃からクリスティアンを守ってくれたのは、ブラットリーだ。彼は、どんなことがあっても諦めたりしなかった。そういう人だから、クリスティアンのために立ち上がってくれたのだ。そして同時に、もし自分が失敗したとしても、希望を託せる者を残した。フランツという、真実の鍵を握る騎士を。

「……わしの息子を、知っているのか?」

 グリエムの問いに、ティアレシアは頷いた。十六歳になる娘が、十六年前に投獄された男を知っているなど、普通ならあり得ない。しかし、グリエムはティアレシアを見て微笑んだ。

 今度こそ、優しく、ブラットリーに似た笑顔で。

「ティアレシア嬢、あなたの話を聞きましょう」

 そう言って、グリエムは戸口に立ったままだったティアレシアを向かいの椅子に座るよう促した。


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