第7話 捨てる覚悟
女王が銀色の髪の娘に興味を持った。
女王が所望した品を誰一人として持って来ることができなかった貴族たちは、女王の気が銀色の髪の娘に逸れたことで内心ほっとしていた。そして、バートロム公爵とその娘ティアレシア、女王の様子をみなが息を殺して見守っている。
話題の中心である公爵令嬢は、澄ました顔で女王を見ていた。冷や汗をかいて焦っているのは、その父ジェームスである。
「シュリーロッド女王陛下、私の娘は女王陛下を楽しませることができるとは思えません」
娘が髪色を理由に売られるかもしれない。ジェームスは控えめに、しかし強く否定の言葉を口にした。
「いらなくなったら叔父様に返して差し上げるから、わたくしの暇つぶしの相手としてこの銀髪の娘をくださらない?」
笑みを浮かべての問いかけではあったが、ジェームスに拒否権はなかった。女王シュリーロッドは、自分に逆らう者には容赦はしない。笑顔で人を殺す、〈悪魔の女王〉という異名を持つ。
「お父様、私のことは心配いりませんわ。女王陛下にお仕えできること以上の幸福はありませんもの」
ティアレシアの言葉に、ジェームスは顔を真っ青にし、女王はにっこりと頷いた。
「家柄にも血筋にも問題ないのだし、わたくしの侍女として王城に迎え入れてあげるわ」
シュリーロッドの言葉に笑みを返し、ティアレシアは一礼した。そして、顔色を失った父ジェームスの腕を引き、ティアレシアは女王の御前から大広間へと下がった。
「一体何を考えているんだ!」
王城グリンベルからバートロム公爵家の王都別邸に帰り着き、応接室でティアレシアと二人きりになった父ジェームスが発した第一声がこれだった。
「ティアレシア、お前も女王陛下がどんなお人か知らない訳ではないだろう。女王陛下のところへ行って、辛い目に遭うのはお前だ。考え直しなさい」
娘を説教、もとい説得するためにジェームスは必死だった。遠まわしに、ジェームスは女王が恐ろしい人間だとティアレシアに訴える。それは懇願に近かった。一夜で老け込んでしまった父の顔を見て、ティアレシアの胸は痛むが、ここで止める訳にはいかない。
「だからこそよ、お父様。もし私があの時断っていたらジェロンブルクのみんなはどうなるの? バートロム公爵家だって、いくら王族とはいえ〈悪魔の女王〉相手ですもの、潰されないとは言い切れないでしょう?」
「……しかし!」
「お父様も、本当は分かっているのでしょう? 女王陛下のお目に止まった時点で私に拒否権なんてなかったの」
ティアレシアはそれだけ言うと、父の手を振りほどいて立ち上がった。
「おやすみなさい、お父様」
父に優しく微笑みかけ、ティアレシアは自分の部屋に戻った。
クリスティアンだった時は、赤い色が好きだった。しかし、投獄されて血痕を目にし、恐ろしい音を耳にする度に、赤い色を見ると吐き気がするようになった。だから、ティアレシアとして好きな色は? と聞かれれば赤くないもの、と答えていた。
「見事に、青一色だな」
ルディがティアレシアの部屋を見て、一言。
確かに、赤い色の反対で連想する色は青かもしれないが、極端すぎやしないか……というぐらいこの部屋は真っ青だった。壁紙は薄い青、絨毯は藍色、ソファは柔らかな青、調度品にはアクアマリンやターコイズのような宝石が使われている。極めつけは、人魚姫が眠っていそうなひらひらと薄い布のようなものが天井から垂れ下がっている海色のベッド。
王都の屋敷を任されている使用人たちが、よりによりをかけてティアレシアのために青い色を追及してくれたことは有り難い……のだが、ここまでしなくてもよかったのではないかと溜息を吐きたくなる。そんなティアレシアの隣では、ルディが声を出さずに笑っていた。悪魔をここまで笑わせることができているのだから、使用人たちの頑張りは評価するべきだろう、と無理矢理受け入れる。
「それで、会ってみてどうだった?」
ひとしきり、部屋の様々な青色を笑い飛ばしたルディは、青いソファに身を預けて言った。舞踏会の疲れと、シュリーロッドに会った疲れとで、もう身体はへとへとだ。さっさと寝たいのに、ルディは寝かせてくれそうにない。この悪魔がティアレシアの側にいるのは、復讐に燃える魂を餌とするためなのだ。ティアレシアの体調管理にまで気を遣ってくれるはずがなかった。
「もうこれ以上、シュリーロッドの好き勝手にはさせないわ」
今日、十六年ぶりに会ったシュリーロッドは本当に昔のままで、いや、昔以上に自分勝手で傲慢だった。
「さっさと殺せばいいんじゃねぇの?」
「
ルディは何かあると、すぐに殺せと言う。
「そうは言ってもなぁ。俺は十六年お前を見てきた……復讐心は強くても、心根はクリスティアンのままだ。優し過ぎる」
これからが復讐の始まりだというのに、ルディには珍しく真剣な瞳で言ってきた。漆黒の彼の瞳をじっと見ていると、闇に引きずり込まれるような錯覚を覚える。しかし、これだけは譲れない。
「私には復讐ができない、と言いたいの?」
復讐するためだけに、ティアレシアは悪魔であるルディに魂を捧げたのだ。復讐ができなければ、この魂に意味はない。ティアレシアは怒りの感情のままにルディを睨みつける。
「そう怒るなよ。お前の魂が復讐心で燃えているのは分かってる。その美しさに俺は惹かれたんだしな」
「では、どうして?」
「復讐はしたくても、お前には大切なものがあるだろう?」
ルディの問いに、言葉に詰まる。
ティアレシアを生んだベルローゼは、悪魔であるルディの影響を受けてか、ティアレシアを生んですぐ亡くなった。
クリスティアンの復讐のために、巻き込まれる人間がいる。
そのことを自覚してからは、大切なものを作らないように意識してきた。誰にも愛されないよう、誰にも必要とされないよう……そう意識していたのに、バートロム公爵家の人間は優しく、愛情に溢れていた。クリスティアンではなく、ティアレシアとして甘えたくなるほどに。自分がティアレシアとして復讐を果たしてしまえば、バートロム公爵家の人間はどうなるのだろう。今までわざと考えようとしなかった問題を、ルディが否応なく突きつけてきた。先程の優し過ぎる、というのはこの問題に関わることだったらしい。
ティアレシアは、ルディの言葉にうまく切り返すことができない。
「……ほらな。復讐心だけあっても、お前には復讐を実行する覚悟が足りねぇんだ。迷わず復讐をとれないなら、お前の魂は今ここで俺がいただく」
強い口調で言い放つとルディは一瞬でティアレシアの目の前に現れた。そして、その人間離れした美しい顔を不敵に歪ませて、ティアレシアの顔に近づける。
(ルディ、本気で……っ⁉)
ルディに両肩を掴まれ、ソファに身体を押し付けられる。鋭い爪が、肩に食い込んで痛い。そして、ルディの吐息を間近で感じ、ティアレシアの心臓は早鐘を打つ。ここで魂を喰われては終わりだ。ルディを納得できる答えを……ティアレシアが必死で考えようとしているうちに、もうすでにルディはティアレシアの唇を奪っていた。生気を、魂を貪るような強引な口づけに、ティアレシアの身体の力はいっきに抜けていく。
(駄目……まだ、私は復讐を遂げていない!)
心の中で叫んだ瞬間、ボゥッと何かが燃えるイメージが浮かんだ。それがティアレシアの中にある強い復讐の炎であることには気づかず、ティアレシアはただただ必死でルディの身体を押しのけていた。
「やはり、お前の魂は何よりもうまい。大切なものを捨てる覚悟もない甘ちゃんだが、もう少しお前に付き合ってやる」
まだ頭は酸欠状態でぼうっとしていたが、ルディが何故か機嫌よく笑っていることは分かった。
「早くお前の魂すべてを俺のものにしたい」
まるで愛する人にでも言うように、ルディはティアレシアの耳元で甘く囁いた。
(復讐を終えたら、すぐにでもあなたのものになってあげるわよ)
疲労と気力の限界で話すことができないティアレシアは、内心でそう答えた。この命があるのはルディの魔力のおかげなのだ。ティアレシアを転生させたために、ルディが悪魔として持つ本来の力が出せないことは分かっている。しかしそれでも普通の人間よりはるかに優れているし、魔力で人の心を操ることもできる。ティアレシアの復讐に、ルディの協力は不可欠だった。
「おやすみ、人魚姫」
いつものふざけた調子でルディが笑う。
いつの間にか、海色のベッドに運ばれていたらしい。悪魔のくせに、ティアレシアの額を撫でる手つきは優しかった。
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