第13話 復讐心
眩しい朝日、爽やかな風、それらを身体に受けながら、ティアレシアは一人庭を歩いていた。
「どうすればいいのかしら……」
シュリーロッドへの復讐はもちろん実行する。しかし、今までのようにクリスティアンのことだけを考えて復讐することは、できそうになかった。クリスティアンを守ろうとしたがために投獄されたカルロとブラットリー、そしてクリスティアンを救えなかったことに苦しんでいるフランツ、彼らのことを思うと、個人的な感情だけでは動けない。
今まで復讐へと真っ直ぐだったティアレシアの心が、少し揺れていた。
「暗い顔してるな」
不意に、ルディがティアレシアの隣に現れた。いつものことなので驚くこともなく、ティアレシアは答える。
「そんなこと、ないわ……」
「お前の魂は俺のものだ。だから分かる。今、お前は復讐ではない別のことに気持ちが移っている」
ティアレシアの歩みを阻むように、ルディが立ちはだかる。真っ直ぐに向けられた、その鋭い漆黒の瞳から目が離せなくなる。ティアレシアは、復讐を忘れた訳ではない。忘れられるはずがない。しかし、確かに今は囚われたカルロやブラットリー、フランツを心配する気持ちの方が強かった。
「忘れたなら、俺が思い出させてやるよ」
いつものふざけた調子ではなく、脅すような低い声音でルディが言った。何をするつもりなのか、すぐに察したティアレシアは拒否しようと抵抗するも、ルディの前では無力だった。顎を乱暴に掴まれ、唇に吸い付かれる。固く口を塞いでいても、簡単に口内にルディの熱い舌が侵入してくる。それと同時に、ティアレシアの脳裏、神経には、クリスティアンが処刑される直前の光景と感覚が鮮明に蘇ってきた。
――春の陽光を遮るように振り上げられた大きな斧、目の前で微笑むシュリーロッド、そして……視界にはバイロンの首がちらついていた。
バイロンは、国王に毒を盛った実行犯に仕立て上げられた。そして、クリスティアンに絶望を味あわせるために、彼の首は刎ねられた――クリスティアンの目の前で。
『私は、クリスティアン様にお仕えできて幸せでした』
死の直前、彼は笑顔でこう言ったのだ。
その言葉を聞いた途端、クリスティアンは言い表せないほどの強い胸の痛みを感じた。そして、彼を巻き込んでしまった罪悪感と、シュリーロッドへの憎悪と、自分自身への憤りで、頭がおかしくなりそうだった。
しかし、バイロンの誇りである女王として、クリスティアンは死ななければならない。そう思うと、涙など出なかった。それに、シュリーロッドの前でみっともなく泣き喚いて命乞いをするなど、クリスティアンの矜持が許さなかった。その瞬間の憎悪と恐怖と悲しみがいっきに蘇ってきて、ティアレシアは発狂しそうになった。
――殺される、また姉に殺される……嫌よ、今度は私が、私が奪うの……絶対に、地獄へ堕としてやる……!
ティアレシアの中で、復讐の炎がさらに大きく燃え上がる。そのことに満足したのか、ルディはティアレシアの唇をちろりと舐めると顔を離した。
「やはり、お前の復讐心は美しい」
先程の声音が嘘のように、ルディは甘く優しくティアレシアの耳元で囁く。ティアレシアの気も知らないで、最低な男だ。ティアレシアは、ルディが呼び起こした記憶のせいで、身体の震えが止まらないというのに。無理矢理人のトラウマを思い出させて、それを甘い言葉で誤魔化そうとするなんて許せない。
「ねぇ、ルディ」
「なんだ?」
「……あなたなんて、大嫌いっ!」
ティアレシアは、ルディの頬をおもいきり打って叫んだ。どんなことを言っても、ルディから離れることはできないティアレシアだが、今だけは一人になりたかった。脳裏にはまだバイロンの笑顔が残っている。シュリーロッドの笑みを刻んでいた真っ赤な唇も。
一方的に嫌い宣言をし、ティアレシアはルディに背を向けて屋敷に向かって歩き出す。追いつこうと思えば簡単に追いつけたはずだが、ルディは追ってこなかった。
そして、そんな二人の様子は偶然にもフランツに目撃されていた。
◇◇◇
見てはいけないものを見てしまった。フランツは、いつも間が悪い。そういえば、クリスティアン様の時も同じようなことがあったと思い出す。
クリスティアン様には、ヘンヴェール王国第二王子セドリックという立派な婚約者がいた。優しい王女と優しい王子、とても美しく絵になる二人だった。セドリックを見て頬を染めるクリスティアン様を見る度に、友人と恋人との違いを見せつけられている気がして、フランツの心は穏やかではなかった……クリスティアン様に恋をしていたから。
あの頃の気持ちが急に蘇ってきて、フランツは不思議に思う。知り合ったばかりの令嬢が従者の男とキスをしているのを見てしまった、ただそれだけではないか。自分には関係ない。クリスティアン様にも関係がない。
それなのに、何故かフランツの胸はざわついた。クリスティアン様が亡くなってから、自分を責め、逃げることしかしなかったフランツの胸に、あの頃の思いが少しずつ戻ってきていた。それが、とても不思議で、嬉しくもあった。
今までずっと、フランツの中のクリスティアン様は笑ったりしなかったから。もう一度、笑顔のクリスティアン様を思い出の中だけでも見ることができた。
(あの居酒屋でお嬢様に出会わなければ、俺はまだ逃げ続けていただろうな……自分自身の無力さから)
十六年逃げ続け、何も変わらなかった世界が、あの居酒屋でティアレシアという少女に出会って変わった気がした。
初対面の年上の男相手に手を握り、一人ではないと励ましてくれた。
あの少女は一体何者なのか。
優しいその手に、少しだけクリスティアン様の面影を見たような気がしたが、そう感じたかっただけなのかもしれない。
フランツの足は、自然とティアレシアを追いかけていた。
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