第14話 見えない心

 レミーア暦九九九年四月一日。

 ブロッキア王国に女王が誕生した。国中が、心優しいクリスティアンの治世に胸を躍らせていた。

 厳粛な即位式が終わり、祝いの宴も終わって、ようやく一息つけたクリスティアンの側には、信頼できる人間が集まっていた。フランツと、ブラットリーと、バイロン、そしてセドリックである。国王の住まいである〈煙水晶スモーキークォーツの宮〉は、まだ父が生きていた時の状態のまま残されている。そのため、即位はしたもののクリスティアンはまだ〈紫黄水晶アメトリンの宮〉に住んでいた。

 今、五人が集まっている部屋は〈紫黄水晶の宮〉の一室である。


「クリスティアン、本当に君はどんどん美しくなっていくね。今日でまた惚れ直してしまったよ」

 クリスティアンの隣で笑っているのは、婚約者であるセドリックだ。国王暗殺や即位などでバタバタしてしまって、結局セドリックとの結婚式は先延ばしになってしまった。

「ありがとう。まだ、私は未熟な女王だけど、きっとお父様のように平和なこの国を守ってみせるわ」

「きっとクリスティアン様ならば民も安心してついていくことができるでしょう」

 バイロンが目を細める。みな、同じ気持ちだと頷いた。信じてくれる人がいる、ということの心強さをクリスティアンは改めて感じていた。

「……シュリーロッド様は、即位式にも現れませんでしたね」

「私に会いたくないのかもしれないわ」

 父が亡くなってから、シュリーロッドとは顔を合わせていない。クリスティアンが避けている訳ではなく、シュリーロッドが自分の宮殿から出てこなくなったのだ。

「クリスティアンのお姉さんは、少し気難しい女性なのかもしれないね」

「かなり、気難しい方かと思われます」

 セドリックの言葉に、バイロンが苦々しい表情で言葉を付け加えた。

「確かに、最近のシュリーロッド様は様子がおかしいわな。昔はもっと可愛げがあったんだが……」

 このブラットリーの言葉には、誰も頷けなかった。クリスティアンが知るシュリーロッドは、いつも可愛いとは言い難い性格をしていたように思う。皆の顔色を見て事情を察したのか、ブラットリーが言葉を続けた。

「俺が騎士になったばかりの頃にシュリーロッド様はお生まれになったんだが、それはもうみんなに可愛がられて、エレデルト様もレイネ様もメロメロだった。それでも今のように我儘を言うことはなかったし、騎士である俺にも笑いかけてくれた」

 レイネは、シュリーロッドの母である第二王妃だ。クリスティアンの母アンネットとも良い関係を築いていたと聞いている。実際のところが分からないのは、クリスティアンが生まれてすぐにレイネ王妃は病気で亡くなっているからだ。

「クリスティアン様の誕生も、とても喜んでいらしたんですよ」

「あのお姉様が……?」

 ブラットリーが話すシュリーロッドが自分の知る姉とはまるで違っていて、クリスティアンは戸惑った。シュリーロッドは、いつもクリスティアンのことを見下していた。笑いかけてくれたことは確かにあったが、その笑顔に親愛の感情を感じられなかった。

(やはり、レイネ様の死がきっかけだったのかしら……)

 クリスティアンはシュリーロッドが母の話をしているのを聞いたことがない。シュリーロッドは、母などまるで存在しなかったかのように振る舞っていたのだ。クリスティアンも母を失ったが、母と共に過ごした時間は多かった。

 クリスティアンもシュリーロッドも母を失い、父だけがすべてだった。それなのに、シュリーロッドは父の死にショックを受けている様子がない。二人だけの姉妹で支え合いたい、というクリスティアンの思いも拒絶された。

 今、シュリーロッドが何を考えているのか、クリスティアンには分からなかった。

「なんだか、少し空気が重くなってしまったね。今日はクリスティアンも即位式で疲れているし、ゆっくりさせてもらえないかな?」

 黙り込んでいる面々を見回して、セドリックが明るい声で言った。

「そうですね。明日は国民への挨拶もありますし、我々は失礼しましょう」

 そう言って、クリスティアンの日程や行事全般を指揮しているバイロンが立ちあがった。クリスティアンはすぐに眠れる自信がなかったので引き止めようとしたのだが、それよりも早くブラットリーに言葉をかけられる。

「クリスティアン様、おやすみなさい」

 有無を言わさぬブラットリーの笑顔に、クリスティアンは頷いて言葉を返す。

「おやすみなさい。みんな、明日もよろしくね」

 クリスティアンに頭を下げて、バイロンとブラットリーが部屋を出て行く。

「フランツ、君も今日はもう大丈夫だよ」

 クリスティアンの近衛騎士として、主の側を離れようとしないフランツに、セドリックが気遣うように笑いかけた。そして、何やらフランツの耳元に囁いている。

「少しは空気を読んでもらえるかな?」

 まだ婚約中ではあるが、クリスティアンとセドリックは一応恋人同士だ。クリスティアンと二人きりになるために、セドリックはフランツが邪魔らしい。しかし、セドリックに想われていることが嬉しくて、聞こえてしまった言葉にクリスティアンの頬は赤くなる。

「セドリック様、クリスティアン様のことをよろしくお願いします」

 どこか硬い表情でフランツがセドリックに頭を下げた。そして、クリスティアンの方を見て、フランツは少し表情を緩め、おやすみなさいと言って部屋を出て行った。なかなかセドリックと二人の時間を取ることができなかったクリスティアンは、嬉しさと恥ずかしさでまともにセドリックの顔を見ることができないでいた。

「クリスティアン、照れているの? 可愛いね」

 そう言って、セドリックはクリスティアンの頭を優しく撫でた。顔を上げると、エメラルドの双眸と目が合った。

「セドリックは、出会った時から素敵な王子様だわ」

「それを言うなら、クリスティアンは出会った時から僕の可愛いお姫様だ」

 金色の髪が頬にかかり、クリスティアンは恋人同士ならば当たり前の口づけがくるのをどきどきしながら待った。しかし、セドリックがクリスティアンの唇に触れることはなかった。セドリックは甘い言葉はくれても、口付けてくれたことは一度もない。まだ結婚前なのだから紳士としては当然のことだ、と頭で納得させても、恋心はセドリックからの愛情を受け止めたいと思っていた。

「クリスティアン、女王になる君は、もう僕だけのお姫様じゃなくなるのかな……?」

 というセドリックの小さな呟きは、クリスティアンの耳は聞き取れなかった。

 セドリックにぎゅっと抱きしめられながら、クリスティアンはこの愛情がずっと変わらないものだと思い込んでいた。

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