第15話 裏街の問題

 ルディに感情的に叫んで背を向けてから、ティアレシアは王都ローゼクロスに足を運んでいた。

 早朝ということで、昼間は人でごった返す大通りも、賑やかな商店も、すべてがまだ静かに目を閉じていた。仕込みがあるのか人の気配はちらほらあったものの、開いている店は一つもなかった。しかし、ティアレシアにとって表の店は開いていても閉まっていてもどちらでもよかった。用があるのは裏街なのだ。

 表の店と店の間にある細い路地裏から、ティアレシアは先日言った裏街へと突き進む。

(ルディ……な訳ないわよね)

 屋敷を出たあたりから、ずっと後ろから人の気配を感じる。すぐに現れるルディでなければ、怪しい者かもしれない。そう思い、ティアレシアはさっと振り返り、尾行していた者を視界にとらえた。

「……え、フランツ? 何をしているの?」

 ティアレシアの後ろで焦っていたのは、クリスティアンの元近衛騎士フランツだった。

「すみません。話しかけていいものか分からず、しかし公爵令嬢ともあろう方がお一人で街に行くのも心配で、思わずついて来てしまいました……」

「私は一人で大丈夫よ。それよりも、あなたこそ身体はもう大丈夫?」

 昨日、ルディによって気絶させられていたフランツは、ティアレシアと話し終わるとまた深い眠りに落ちてしまった。ルディを問い詰めると、フランツは今までまともに睡眠をとっておらず、身体が悲鳴を上げていたのだという。

「もう大丈夫です。ゆっくりしすぎて身体がなまりそうなくらいですよ」

 フランツはきまり悪そうに笑った。公爵家で遠慮もなく熟睡していたことに、フランツ自身驚いているのだろう。

「それはよかったわ。私のことはもういいから、屋敷に戻って頂戴」

 必要以上にクリスティアンと関わりのある人物と接点は持ちたくなかった。ティアレシアはフランツを追い返すように冷たい視線を向ける。しかし、フランツはその場から動かない。

 仕方なくティアレシアは、フランツに背を向けて入り組んだ裏街を歩く。後ろからは、当然のようにフランツがついて来ていた。

「こんな裏街にどんな用があるのですか?」

 フランツの質問は無視して、ティアレシアは目当ての店を探す。居酒屋や娼館が立ち並ぶ区画に出たところで、その看板はあった。

 『ルビーの館』。居酒屋で聞いた情報によると、この店の娼婦が王城に連れて行かれたまま帰ってきていないとか。それが本当ならば大問題だ。ティアレシアは、噂の真偽を確かめるために裏街へやって来たのだ。

「『ルビーの館』? あの、何故娼館へ?」

 後ろで少し戸惑っているフランツは無視して、ティアレシアは紫やピンク色で装飾された店の入口の扉をためらいなく開いた。

 中に入るとすぐに、様々な香水が入り混じった強烈な匂いが鼻を刺激した。そして、目に入るのは美しい娘たち。さらには酔っぱらっている男たちが娘たちに言い寄っている様が伺える。暗い照明は雰囲気を作り出すのには最適で、どの男性も自分たちの醜態が他人の目に触れるかもしれないということに気付いていないようだった。完全に自分の世界に入っている。何人かの男女が廊下を出入りしていることからして、廊下の奥に個室があるようだ。一応、ティアレシアも乙女だ。大人の空間であるそのあたりは目に触れないよう、入り口正面の受付に進む。

「ここで働きたい女以外は、入館禁止なんだがね。それに、もうすぐ営業時間が終わる」

 ティアレシアを怪訝そうな顔で見つめながら、受付にいた年配の女性が口を開いた。白髪混じりだが、若い娘にはない迫力が彼女にはあった。そしてその表情から、帰ってくれ、という思いが伝わってくる。しかし、ティアレシアが引き下がる訳にはいかない。

 今、シュリーロッドが何をしようとしているのか確かめなくては。

「一つ、聞きたいことがあるんです。この『ルビーの館』に王城の使者が来て、若い娘を連れていったと聞いたのですが、本当ですか?」

 その言葉を聞いて、女は固まった。

「……そんな話、知らんよ。早く帰りな」

 明らかに、女性は何か知っているような反応だった。しかし、ティアレシアに話す気は全くなさそうだった。

「同じような話を俺も聞いた。友人がこの『ルビーの館』にお気に入りの娘がいたが、突然いなくなったと……」

 ティアレシアが帰るのを渋っていると、フランツが後ろから前にやってきて女性の目を見て真っ直ぐ言った。その真摯的な眼差しに、女性は少しの間惚けていた。そして、あっさりと口を開いた。

「いなくなった娘はエラといって、とても可愛らしい娘だったよ。なんでも、他の店でも同じように娼婦が連れて行かれるものだから、女王様に内緒でセドリック様が女性を囲っているのではないか、という噂だよ」

 女性の話を聞いて、ティアレシアは他の娼館でも話を聞いてみた。フランツの助けもあって、簡単に情報を聞き出すことができた。ここ数か月でも、三人の娘がいなくなっているという。三人の共通点は十八歳であること、金髪碧眼の娘であることだった。

「セドリック、ね。どうせ話したいこともあったのだし、少し会ってみましょうか」

 ティアレシアは、フランツに聞こえないよう呟いた。


 裏街を出て、ティアレシアは真っ直ぐに王城を目指した。後ろには、何か物言いたげなフランツがついて来ている。クリスティアンだった時は、誰かが護衛のために側にいることは当たり前だったが、今はとても居心地が悪い。

 ティアレシアはテーリャ河の手前で足を止め、振り返った。フランツは少し驚いたように目を見開いたが、何も言わずにティアレシアの言葉を待った。かつて女王の護衛をしていた騎士は、己の立場をよく理解していた。

「言い忘れていたけれど、私はシュリーロッド女王陛下の侍女になったの。これから王城で仕事だから、あなたは連れて行けないわ」

「何故、あの方の侍女になど……!」

 フランツの苦しそうな表情を見て、ティアレシアの胸は締め付けられるように痛んだ。その瞳に映っているのはティアレシアであるのに、彼は守れなかったクリスティアンの面影をティアレシアに重ねている。そのことに気付かないほど、ティアレシアは鈍感ではなかったし、何よりフランツのことをよく知っていた。

「王城の者に聞かれたら不敬罪にあたるわよ」

 冷静に、落ち着いた声でティアレシアは言った。

「かまいません。どのみち、私は指名手配されている身ですから」

「指名手配? どうして……」

「言ったでしょう? 俺はあの日の真実をみなに伝えようとしていたと。俺は、国王暗殺事件の重要参考人なんです。あの時は自分が捕まったら終わりだと思っていたが、逃げずに捕まっていればこんなことには……」

 バチン! と、ティアレシアは思い切りフランツの頬を平手打ちしていた。指名手配されていたなら、逃げていて当然だ。捕まって、フランツまでもが投獄されて命を奪われたとなれば、クリスティアンは耐えられなかっただろう。

「フランツ、私とあなたは出会ったばかりだけど、これだけは言わせてもらうわ」

 そう言い置いて、ティアレシアは大きく深呼吸した。

「この、大馬鹿者っ!」

 感情のままに吐き出されたその言葉と共に、ティアレシアはフランツの鍛えられた胸板をぼすぼすと何度も叩いていた。目には涙が浮かんでいた。しかし、ここで泣きわめくほどティアレシアは冷静さを失っていなかった。

 これは、友を案じるクリスティアンの涙だ。

 フランツはティアレシアを止めることもせず、ただじっと殴られていた。

「あなたは今まで逃げていたと言っていたけれど、私はそうは思わない。あなたの心が壊れなかったのは、あなたがずっと闘い続けていたからだわ。捕まった方が楽だったかもしれないし、守りたかったものを失って死んだ方がいいと思ったかもしれない。それでも生き続けたのは、大切なものを守るためだったんでしょう?」

 クリスティアンが無実だということを知る者が、クリスティアンを信じる者が、クリスティアンが生きた証を刻む友が生きていることは、救いだった。

 すべてがシュリーロッドによって塗り替えられていく世界の中でも、フランツはクリスティアンの存在を大切にしてくれていた。

 もう誰も十六年前に処刑された女王のことなど覚えていないだろうに、フランツは今もなおクリスティアンのための騎士であり、友であってくれたから。それなのに、フランツはシュリーロッドの手に落ちた方がよかったと言うのか。それだけは、許せない。

「……不思議だ。あなたを見ていると、クリスティアン様のことをよく思い出すんです」

 穏やかな声音で呟いたフランツの言葉に、ティアレシアの手が止まった。見上げると、フランツが優しい笑顔を浮かべていた。この笑顔を、ティアレシアはよく知っていた。クリスティアンが話しかけると、フランツはいつもこの笑顔で答えてくれた。何があっても変わらない、優しい笑顔。この笑顔に、クリスティアンはいつも支えられていた。

「王城に、ついて行ってはいけませんか?」

 そう言うと、フランツはティアレシアの身体を優しく包み込んだ。

「そこの騎士さん、うちのお嬢様に手ぇ出さないでくれますかねぇ」

 フランツの鍛えられた身体に優しく包み込まれていたティアレシアだが、その声で今朝のことを思い出した――ルディに無理矢理唇を奪われ、トラウマを蒸し返され、大嫌い発言をして屋敷を出たことを。

 慌ててフランツの腕の中から出ようとするも、何故かフランツはティアレシアを逃がすまいと力を込める。

「ちょっと、どうして……」

「あなたこそ、ティアレシア様の従者であることを自覚した方がいい」

 フランツは、ルディに対して挑戦的な言葉を吐いた。クリスティアンを転生させた悪魔なのだから、立場としてはティアレシアの方がルディに頭が上がらないのだが、フランツは知る由もない。

「どういうことですかねぇ?」

 ティアレシアはルディがイラついているのを肌で感じ、フランツを止めようともがくが、無駄な抵抗だった。先程までは優しかったのに、フランツはどういう訳か離してくれない。

「クリスティアン様には、立派な王子様がいましたが、あなたのような従者がティアレシア様の王子様とは言い難いでしょう? お二人が恋仲であったとしても、あなたの強引さは彼女を苦しめている」

 フランツの言葉に、ティアレシアは内心首を傾げる。

(ルディと私が恋仲? 強引さって?)

 ティアレシアがルディと恋仲であるはずがない。しかし、フランツがこんな嘘を吐くとは思えない。ということは、誤解されるような場面を見られていたのだろう。そこまで考えて、ティアレシアは再び今朝の口づけを思いだし、顔が熱くなる。まさかルディとのキスをフランツに見られていたのだろうか。たしかに、あそこまで強引で濃厚なキスシーンを見せられれば恋仲と勘違いしたことも、フランツがティアレシアを心配するのも頷ける。だからといって、いつまでもフランツの腕の中に閉じ込められていたくはない。

「俺がお嬢様を苦しめている? そんなはずない。俺を必要としたのはお嬢様なんだからなぁ?」

 ルディがティアレシアに意味深に問いかける。もちろん、ルディが言いたいのはクリスティアンが復讐のために悪魔であるルディの手を取ったことだ。しかし、恋仲だと勘違いしているフランツの前で答えてしまえば、ルディとの恋愛関係を肯定することになる。

「もう、いい加減にして!」

 ルディに気を取られているフランツの腕から抜け出して、ティアレシアは二人に向かって叫んだ。こんなことに気を取られている場合ではないのだ。乙女心は捨てた。ときめきなんて、いらない。欲しいのは、クリスティアンの復讐心を満足させられるものだけだ。

「ルディ、フランツ、二人で仲良く屋敷に戻りなさい。私のことは放っておいて頂戴」

 呆気にとられているフランツと、不機嫌顔のルディに背を向けて、ティアレシアはテーリャ河を渡った。

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