第21話 女王の侍女

 〈煙水晶スモーキークォーツの宮〉のとある一室で、ティアレシアは数人の女性に囲まれていた。動きやすくも気品を損なわない宮廷仕様の侍女服に身を包んだ彼女らは、新参者のティアレシアを検分するように凝視していた。

「あなたがあのバートロム公爵家のご令嬢ですね?」

 集まった侍女の中で最年長、おそらく四十代後半であろう女性が最初に口を開いた。色素の薄い栗色の髪を丁寧にまとめ上げ、ピリピリとした肌に痛い空気を発している。他の侍女たちから一目置かれていることから、彼女が侍女長に違いない。シュリーロッドの侍女長の名は、たしかキャメロットという名だった。自分がここに呼ばれた理由をなんとなく察し、ティアレシアはキャメロットの獲物を狙う鷹のような視線を正面から受け止めた。

「えぇ。バートロム公爵家のティアレシアと申します。ところで先輩方、そんな大人数で私に何を教えてくださるのですか?」

 薄く笑みを返すと、周囲がざわついた。

 しかし、キャメロットが制するように手を出せば、侍女たちは口をつぐんだ。

「私たちは女王陛下が心配でならないのです。あなたが危険人物ではないと証明できなければ、侍女仲間として扱うことはできませんわ」

 向けられたのは、明らかな敵意だった。シュリーロッドの侍女は、熱心な女王信者だと聞く。自分達が愛してやまない女王陛下に余計な虫がつかないよう、独り占めされないよう、そして何より女王陛下の安全のため、侍女たちは珍しい髪色とその度胸だけでシュリーロッドの興味を引いた娘を追い出そうとしているのだ。簡単にシュリーロッドの懐に入り込むことは難しいと思っていたが、侍女総出で止めにくるとは思わなかった。しかし、ティアレシアの口元には笑みが浮かんでいた。

「どうすれば、私は仲間だと認めてもらえるのでしょう? きっと、先輩方以上に私の心はシュリーロッド女王陛下のことでいっぱいですわ。ここまで来て、追い出されたくはありません……!」

 ティアレシアが瞳を潤ませ、悲しい表情で訴えると、侍女たちが狼狽えた。しかし、キャメロットには通用していなかった。

「ティアレシア様、あなたのお気持ちは分かりました。ですが、侍女たるもの主人のことを第一に考えなければなりません。シュリーロッド女王陛下のことを、あなたは理解していらっしゃいますか?」

 真剣な眼差しでティアレシアを見つめるキャメロットは知りもしないだろう。そのシュリーロッドのことを理解しようとした妹のクリスティアンが、その姉によって殺されたことを。そして、姉に殺された妹の魂が転生して目の前にいる、ということを。

「シュリーロッド女王陛下は、とても孤独なお方です。私は、その孤独を埋めて差し上げたいのです」

 嘘ではない。クリスティアンがずっとシュリーロッドに対して抱いていた想いだ。ティアレシアとなってから、その意味合いが少しずつ変わっていっただけだ。

(シュリーロッドは、自分の孤独に気付いていないふりをしている。身勝手で、我儘な、哀れな姉。だから私が、終わらせてあげるの)

 大切なものは、失ってから気づく。感情に大きな欠陥を抱えていたであろうシュリーロッドにそれを分からせるために、ティアレシアはここにいるのだ。ティアレシアの言葉に固まっていたキャメロットだが、一つ息を吸って侍女たちに命じた。

「皆さん、新しく女王陛下付きの侍女になるティアレシア様です。ティアレシア様はバートロム公爵家の御令嬢ですから、侍女仲間といえど手荒な真似は許しません」

 侍女長キャメロットの言葉に、ティアレシアを囲んでいた侍女たちの顔つきが変わる。

 そして、キャメロットの指示で皆それぞれの仕事に消えてしまった。

「ティアレシア様、あなたはこちらです」

 最後に残っていたキャメロットに促されるままに、ティアレシアは二階へと上がって行った。

 案内されたのは、王の側近の騎士達が控える騎士の間だった。部屋にいた騎士は五人。王族付きの騎士服はクリスティアンの代まで紫がかった赤色だった。しかし、目の前の騎士服は闇を思わせる漆黒だった。その分、襟元の徽章がよく目立つ。

「先日のシュリーロッド女王陛下の生誕祭の折、女王陛下自らが侍女にと任命した娘です。自己紹介を」

 キャメロットの冷たい声に押され、ティアレシアは口を開く。

「ティアレシア・バートロムでございます。本日より、女王陛下付きの侍女として働かせていただきます」

 頭を下げると、騎士たちも表情は動かさずに礼をとった。

「私は、女王陛下の近衛騎士団長ベルゼンツと申します。同じ主君に仕える者同士、助け合いましょう」

 ベルゼンツと名乗った男は、茶色の髪を後ろに撫でつけ、感情の読めない細い目をさらに細めてティアレシアに歩み寄った。近衛騎士団長と聞けば、ブラットリーの姿が頭を過ぎる。ブラットリーはがっしりとした身体つきで、いかにも武人といった体型をしていたが、ベルゼンツはどちらかと言えば細身で、鍛えられているようには見えなかった。不思議に思いながらも、ティアレシアは差し出されたベルゼルツの手を取った。

「……本当にただの貴族の娘のようですね」

 その一言で、ずっと硬い表情をしていたベルゼルツの後ろに立っていた騎士たちの緊張が解けたのが分かった。ベルゼルツは、ただティアレシアと握手をしただけだ。しかし、このティアレシアの手を触り、刺客かどうかを判断したのだろう。さすが女王陛下の近衛騎士といったところだろうか。しかし、そのことについて、ただの貴族令嬢が疑問に思わないのも不自然だ。ティアレシアは自然に見えるように首を傾げ、ベルゼルツを見上げた。

「あぁ、申し訳ない。女王陛下にお仕えする者の中に、陛下をよく思わない無粋な輩が時々いるんですよ。だから、女王陛下の側に置く人間は、必ず私がチェックしているんですよ」

「そうなのですか。では、近衛騎士団の方がいてくれると心強いですね」

 納得したように頷き、騎士達を見回してにっこりと笑う。ルディいわく、どんな男も悩殺できるという天使のような笑みで。

(あら、少しは効果があったみたいね)

 ベルゼルツは相変わらず感情が読めないが、後ろの騎士の三人は頬を赤らめている。

「それでは、我々の仕事に戻りますよ」

 キャメロットが用は済んだとばかりに素早く踵を返す。近衛騎士が五人も控えているということは、この先の執務室にシュリーロッドがいるのだ。てっきりシュリーロッドと直接話す機会があると思っていたのに、新人の侍女はまだ女王陛下に会うことはできないらしい。ここで女王に会いたいと訴えるのも不自然だと思い、ティアレシアは軽く騎士達に会釈をしてキャメロットについて騎士の間を出た。

「ティアレシア様、女王陛下の騎士を誘惑するのはおやめなさい。公爵令嬢であるあなたと騎士では身分も違いますし、何より騎士は女王陛下のもの。少しでも手を出せば首が飛びますよ」

 血のような赤い絨毯が敷かれた廊下をスタスタ歩きながら、キャメロットが冷ややかに言い放った。騎士達にあえて甘い笑顔を見せたことに、同じ女性であるキャメロットは気付いていたらしい。次からは人の目を気にしなければいけないと心に刻み、ティアレシアはとぼけて答える。

「え……私、そんなつもりはなかったのですけれど」

「自覚がなかったのですか? あんな殿方を誘惑するようないやらしい笑い方をする生娘を私は初めて見ましたよ。これからは、感情は表に出さないように気をつけなさい。あなたはもう女王陛下の所有物なのですから」

 ルディが天使のような笑みだと称した笑顔は、キャメロットからすればいやらしい笑みだったらしい。もしかすると、またルディにからかわれていただけなのかもしれない。

(ルディに踊らされるのはもう懲り懲りよ)

 数時間前、ルディと言い争い、彼が怒って消えたことを思い出し、胸がむかむかする。普段から人を見下して、馬鹿にしたように笑うくせに、ふいに真剣な表情を見せる。その変化に、ティアレシアはついていけない。その言葉も、悪魔の言葉だと思うとすべてを信じる訳にはいかなくて、ただただティアレシアはもどかしい思いをする。

 ルディに対して心の中で文句を言っていると、キャメロットの足が止まった。そこは、一階にある厨房だった。宮殿の一階中央には大ホール、その隣には大食堂がある。そして、その大食堂がある宮殿左翼に厨房はある。

 綺麗に磨き上げられた厨房には、白いコック服を着た料理人たち十数人が動き回っていた。台が整然と並べられ、その上には見た目も美しい料理がいくつも載せられていた。その香ばしくおいしそうな匂いに、ティアレシアは空腹を思い出す。

 もう昼時だ。忙しそうに働く彼らは、今まさに女王陛下の昼食を作っているのだろう。

「私たち侍女も、この厨房で食事をもらいます。この宮殿で働く者みなの食事が作られる場所でもありますから、それぞれの仕事の時間によって区切られます。といっても、何よりも優先されるのは女王陛下です。仕事が終わっていなければ食事は許されませんから、三食すべていただけるとは思わないことですね」

 もうすでにお腹を空かせているティアレシアは、その言葉に内心がっくり肩を落とした。

 空腹に耐えながら、ティアレシアはキャメロットの案内で宮殿内を歩き回った。元々父が使っていた宮殿だ。今更案内されなくとも知っている、そう思っていたが、使用人の通路や担当などは知らないことだらけだった。

 一日で様々なことを詰め込まれ、ティアレシアの頭はパンク寸前だった。

「今日のところはここまでとしましょう。明日からは私ではなく、あなたと同じように女王陛下のお暇を潰す役目を受けている者に引き継ぎます。本来ならば、侍女部屋に泊まってもらう決まりですが、バートロム公爵様より屋敷へ帰すように仰せつかっております故、お帰り下さい」

 キャメロットは、終始ティアレシアに親しく話しかけることはなかった。帰り際、正式な侍女服を渡され、明日は朝七時に侍女部屋に来るようにと言われた。

ティアレシアは歩き疲れてヒリヒリと痛む足を引きずりながら、〈煙水晶の宮〉を出た。

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