第31話 女王夫妻のお昼時

 ふわり、と柔らかな風が吹いた。風に誘われるようにして空を見上げると、明るい太陽が空で輝いている。

 天気がいいから外で昼食を食べようと言い出した夫に、妻はにこやかに同意した。

 近衛騎士長のベルゼンツをはじめとする騎士が数人すぐ近くに控えているが、これは妻にとって久方ぶりの夫との二人きりだった。

「簡単に食べられるよう、料理長にサンドイッチを作ってもらったんだ」

 そう言って、きらきらと輝く金色の髪を持つ夫が手に持っていたバスケットからサンドイッチを取り出した。

 どうぞ、と彼は優しい微笑みを妻に向けた。

「ありがとう」

 頬をピンク色に染め、妻はサンドイッチを受け取る。夫はそんな妻を優しく見つめ、自分もサンドイッチを手に取った。

「最近、シュリーは忙しそうだね」

「あら、わたくしのことを気にしてくれていたの?」

「もちろんだよ、だって、君は僕の妻なんだから」

 女王の夫は、片目を瞑ってみせる。何年経っても、夫セドリックは絵本からそのまま出てきたかのような素敵な王子様だ。

「ふふ、そんなこと言って、全然寝室には顔を出してくれないじゃない」

 夫は、優しさを見せはしても、妻に触れようとはしない。愛を求める妻に、愛情を示すことをしない夫。言葉だけは優しく、見せかけだけは素敵な夫。

 夫の心を支配する女はもうこの世にいないはずなのに、どうしてなのか。

 誰もが女王であるシュリーロッドにひれ伏すようになったのに、何かが違う。

 すべてが自分のものになったはずのに、まだ満たされない。


「そう言えば、ティアレシアという娘を知っていて?」

 叔父であるバートロム公爵を揺さぶるために侍女にした、ティアレシア・バートロム。

 絶対に逆らってはいけない女王相手に堂々と物を言い、その所作は完璧すぎるほどに完璧だった。王弟であってバートロムの娘であるのだから、所作が叩き込まれているのは当然だ。

 しかし、その姿に、かつての妹の姿が一瞬だけ重なった。妹であるクリスティアンは死んだ。シュリーロッドの目の前で首を刎ねたのだ。生きているはずがない。それに、銀色の髪と紺色の瞳は、金髪碧眼であったクリスティアンの容姿とは似ても似つかない。

 たとえクリスティアンと関係なくとも、その美しく整った容姿に、苛立ちを覚えたのは事実だ。その強気な瞳を絶望に染めてやりたいと思った。

 だから、怖がらせてやるために人身売買の話を持ち出した。それに対して怖がる素振りもみせなかったので、シュリーロッドは自分の下で苛めてやろうと思ったのだ。

 シュリーロッドは、十六年前から沈黙を貫く叔父のジェームスの動向をずっと気にしていた。全くボロを出さない叔父に、シュリーロッドは痺れを切らしていた。かつてクリスティアンを支持していた者たちは、権限を奪い、地方に飛ばしたから王宮での発言権はない。

 しかし、ジェームスを担ぎ上げて反乱を起こされては面倒だ。だから、シュリーロッドはジェームスを警戒していたのだ。

 それなのに、ジェームスは大人しく領地の管理に勤しんでいる。シュリーロッドに逆らう素振りは全く見せない。その代り、何を考えているのかも全く読めない。本当に、もうシュリーロッドに下ったのか、どうやってそれを確かめようかと考えていた頃、娘が女王生誕祭で社交デビューをすると聞いたのだ。

 娘にそれとなくジェームスが女王を裏切っている、という情報を流してみた。

 あの娘はどう動くだろうか。

 本当にジェームスがシュリーロッドを裏切っているのだとしたら、処罰する名目ができる。裏切っていなくても、娘が妙な動きをすればバートロム公爵家を没落させることができる。

 どちらにせよ、シュリーロッドは王族であるバートロム公爵に権限を与えたままにしたくないのだ。

 そんなことを考えていたから、思わず夫にあの娘の話を切り出したのだが、セドリックが一瞬幸せそうに笑みを深めたのをシュリーロッドは見逃さなかった。

「ティアレシア、か。君が侍女にした御令嬢だろう?」

「もしかして、わたくしが知らないうちに会いましたの?」

「あぁ、会ったよ。王宮内を散歩していたら偶然、ね」

 何事もないような顔でセドリックが答えた。シュリーロッドは夫の顔を見て、その感情を読み取ろうとするが、急にその距離が近づいてきた。

「妬いてくれるの?」

 耳元で囁かれた言葉に、シュリーロッドの思考は止まった。顔が見る間に赤くなり、心臓が跳ねまわる。

「いくつになってもシュリーは可愛いね」

 セドリックとシュリーロッドは同い年だが、その落ち着いた柔らかな雰囲気からセドリックの方が年上にみられることが多い。甘やかすように頭を撫でるセドリックの手に、シュリーロッドはまどろむ。

 ここだけが、シュリーロッドの癒しの場だ。愛しい彼を、誰の手にも渡したくない。


(わたくしのセドリックに近づく者は、誰であろうと許さないわ)


 シュリーロッドはセドリックの背に腕を回して抱きつきながら、ティアレシアをどうするべきか冷たい心で考えていた。

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