第32話 密談
人目を忍んで、三人の男達がとある部屋へ集った。
小ぢんまりとした部屋には丸いテーブルがあり、三人は互いの顔が見えるように椅子に座る。一番はじめに座ったのは痩せ細った神経質そうな老人で、二番目に座ったのはでっぷりと太った男、三番目に座ったのは研ぎ澄まされたナイフのように警戒心の強い男だ。
「呼び出した当人がまだ来ていないではないか……」
老人が小声で憤慨する。
「まったくですな。いくら誰もいない場所とはいえ、人の目はどこにあるか分かりませぬ」
それに忙しなく頷くのは、短い指で両手を組んでいる太った男だ。もう一人の男は、そんな二人を一瞥もせず、じっと黙っている。
「しかし、聞きましたかな? ゼイレン伯爵」
「あぁ、あのバートロム公爵家の御令嬢のことですか」
「女王陛下が侍女にと申した時には冷や汗ものでしたが、しつこく王宮に居座ろうとするバートロム公爵を追放するためには格好の餌になるやもしれませんな」
先程までの怒りを抑え、老人は口元に笑みを浮かべた。老人のその目は、何か気にくわないことがあっても、すべては自分の思い通りに運ぶ、そう確信している目だった。
「バートロム公爵は、これまでに一度も尻尾を出しませんでしたからな」
「あぁ。しかし愛娘が関われば、公爵も何かしらの行動に出るだろう。女王陛下はそこまで考えてあの娘を侍女にと申したのだ」
「しかし今の所、特に変わった様子はない」
「それがですね、バートロム公爵家を見張らせていた者からの報告で、かつて女王陛下の下から逃げた騎士に似た人物がいた、と。すぐに女王陛下に報告しようとしたのですが、女王の近衛騎士に追い返されてしまいました」
「女王陛下が逃がした騎士……? そんな話は聞いておらんぞ」
老人は眉をひそめ、脂汗をかいているゼイレン伯爵を見る。
「なんと……エイザック侯爵ならば御存知かと思っていたのですが」
ボーン・エイザックは、女王陛下シュリーロッドの祖父だ。自分の孫が王国の中心にいるから、普段から大きな顔をしている。しかし、そんなエイザック侯爵にも知らないことがあったとは。ゼイレン伯爵は震える唇で、当時の状況を説明した。
「騎士の名はフランツ。彼は、前女王クリスティアン様の審議で証言するはずでした」
「あの審議に正式な証人などいたのか」
「えぇまぁ、当時の法務官が頭の固い奴でしたので、ちょいと不正をでっちあげて当日は私の息のかかった者を法務官にしたのですが、審議の書類にはまだフランツの名がありましてね。女王陛下に相談する前にセドリック様に確認したところ、彼は女王陛下と取引をしたからもうこの国にはいないと言われました」
「取引とな?」
「私も詳しいことは分からないのですが、罪人の処罰を軽くする代わりに審議には出ずに国を出ろ、ということだったように思います。しかし、あのシュリーロッド女王陛下にしては甘い判断だなと、私も感じていたのですが、直接お聞きすることもできず……」
ゼイレン伯爵は早口でしゃべりながら、額の汗をハンカチでぬぐう。女王に進言することは、自分の首を刎ねることと同じ覚悟が必要なのだ。女王に従っていれば、甘い汁が吸えることを知っているゼイレン伯爵は、女王陛下の命令ならば、と深くは追及しなかったのだ。
しかし、それを聞いていたエイザック侯爵は怒りを露わにした。
「何故、それをわしに報告しなかった!」
「え、いや、もう御存知のことかと思っていましたし……」
もごもごと肉のついた顎を必死で動かしながら、ゼイレン伯爵は弁解する。二人のやり取りをじっと見ていた男がふっと笑った。それを見て、エイザック侯爵は老体でも衰えぬ眼力で男を睨む。
「何がおかしい、アルゼン侯爵」
エイザック侯爵が低い声で男の名を口にする。もう何十年も前の話を熱く語っている二人の大臣を冷めた瞳で見つめるのは、カエリム・アルゼン。ブロッキア王国の内務大臣である。アルゼン侯爵は、必要最低限のことしか話さず、自分自身の話は全くしないため、周囲の人間はこの男がどういう人物なのか図りかねている。
十六年前から、シュリーロッドの下で三人は顔を合わせることが多くなっていたが、エイザック侯爵も、ゼイレン伯爵も、アルゼン侯爵のことはまだよく分かっていない。そんな彼が、二人の会話を聞いて笑ったのだ。エイザック侯爵は怒り、ゼイレン伯爵は息を殺した。
「さすがはセドリック様だな、と感心しただけだ」
「それは、どういう意味だ?」
「フランツといえば、クリスティアン様が最も信頼していた騎士。シュリーロッド様が逃がすはずがない。しかし、その彼を捕まえる前に、セドリック様が逃がしてしまった。現在も指名手配されていることからして、本来であれば審議の間に証人として現れたところを捕らえ、処刑するつもりだったはずだ。フランツからすれば、自分の証言で大切な人を救える場面だ、普通は逃げない」
エイザック侯爵とゼイレン伯爵はじっとアルゼン侯爵の言葉を聞いている。
「セドリック様は、あの審議の間に入ることを許されていなかった。どんな決定が下るのかあの時は知らなかったはずだ。いや、知ろうとしていなかっただけか。それでも、側近であったバイロン、ブラットリー騎士団長やカルロ医師が投獄されたことを聞いて、まだフランツが捕まっていないことを不思議に思ったのだろう。そして、審議に彼が呼び出されていることを知り、フランツを逃がした」
「何のためだ?」
エイザック侯爵が感情を抑えて静かに問うた。
「それはもちろん、クリスティアン様のためだろう。セドリック様は、まさかクリスティアン様が処刑されるとは思っていなかったのだから。セドリック様がシュリーロッド様に協力し、我々を使っていたのは、“女王”であるクリスティアンを消したかっただけだ。クリスティアン様から大切な友人を奪ったとなれば、彼女に嫌われてしまうかもしれない。そう考えて、セドリック様はフランツを逃がしたのだろう。あの方は、本当にクリスティアン様が好きすぎる」
そう言って、またアルゼン侯爵が笑った。普段は笑みなど見せないアルゼン侯爵の様子にも驚くが、セドリックがシュリーロッドの意向に逆らっていたということの方が衝撃的だった。
「シュリーは、セドリックを愛しているのだぞ。影で仮面夫婦だのと余計な噂を流す者はいても、本当は愛し合っているのだと、わしはシュリーから聞いておる……!」
女王、という呼称を忘れるほどに戸惑いながら、エイザック侯爵が呟く。
「では何故、お世継ぎが生まれないのだろうか」
「それは……」
「お二人が真に愛し合っているというのなら、セドリック様がシュリーロッド様と寝所を共にするはず。しかし、未だにお二人の寝所は別だ。それに、小耳にはさみましたが、セドリック様は娼婦を連れ込んでいるとか……」
「なんだとっ! あの男、わしの可愛い孫娘がいるというに……」
「まぁ、今そんなことはどうでもいい。問題は、逃げていたフランツがバートロム公爵家に出入りしていることだ」
我を忘れて大声を出すエイザック侯爵を制して、アルゼン侯爵は淡々と言った。その言葉に、ゼイレン伯爵は小刻みに頷いた。
「私はどうすればいいのでしょうか?」
震える声で、ゼイレン伯爵がアルゼン侯爵に問う。
「引き続き、バートロム公爵家の監視を。しかしまぁ、何故今頃になって出てきたのだろうな」
十六年で、シュリーロッドの治世は随分落ち着いてきた。それは、クリスティアンやエレデルトを支持していた国民たちの希望を奪い、反乱しようとする貴族たちの権力を奪い、女王に逆らうことは得策ではないと印象付けたからだ。今では、誰も逆らおうとする者はいない。
「そんなの決まっておるわ! バートロム公爵を担ぎ上げてシュリーを陥れようとしているのだ! それだけは、絶対に許さぬ!」
ドン、とエイザック侯爵がテーブルに拳を打つ。それにビクついた様子のゼイレン伯爵が恐る恐る口を開いた。
「では、早々にフランツとやらを見つけて殺してしまいましょうか」
「それがいい! シュリーに刃向う奴はすべて殺してしまえばいいのだ」
「いささか強引すぎる気がするが。まぁ、それについては我々を集めた当人に聞いてみようではないか」
アルゼン侯爵の言葉で、二人は自分たちが呼び出されていた事実を思い出した。
「こんばんは、シュリーロッドの忠臣たち」
突然の声に扉の方を見ると、話題の渦中にいた人物が立っていた。まばゆい金色の髪は蝋燭の光に照らされ、エメラルドの瞳は三人を捉えている。美しい顔に笑みを浮かべ、女王の夫セドリックはテーブルに近づいた。
「散々僕の悪口言ってくれちゃって、君たちには困ったものだよ」
先程まで声を荒げていたエイザック侯爵も、セドリックの威圧感に呑まれていた。隣国ヘンヴェールの第二王子で、ブロッキア王国女王の夫。その身に沁み込んだ王族の威圧感は、その笑みが深いほど空気を震わせる。
「セドリック様、遅い到着ですね」
しかし、そんなセドリックにも平気で話しかけるのはアルゼン侯爵だ。
「君たちが早すぎるんだよ」
そう言って、セドリックは肩をすくめてみせる。
「あの、セドリック様……先程の話、すべて聞いていましたか?」
あわあわとゼイレン伯爵が問いかける。あからさまに動揺しているゼイレン伯爵に、セドリックは形だけの笑みを向けて答えた。
「さぁ、どうだろうね。でも、フランツのことは気になるな」
ゼイレン伯爵の大きな身体がびくんと跳ねた。
「バートロム公爵家に出入りしているって本当?」
「は、はい。公爵令嬢が屋敷に連れてきた、と」
「ティアレシアが……そうか。なるほどね」
「セドリック様、御令嬢と知り合いなのですかな?」
エイザック侯爵責めるような視線をセドリックに向けた。
「えぇまぁ。でもエイザック侯爵、心配はいりませんよ。僕の心に住む女性は女王ただ一人ですから」
セドリックが示す女王がクリスティアンなのかシュリーロッドなのか、聞く者は誰もいなかった。
「突然なんだけど、お願いがあるんだ」
セドリックが、笑みを消して三人を見た。その真剣な眼差しに、緊張が高まる。
「シュリーロッドは、牢獄にいるブラットリーを処刑するつもりだ。でも、処刑ともなると十六年前のことを国民に思い出させてしまう。だから、僕は秘密裡に彼らを暗殺したい」
セドリックの言葉に、すぐに反応したのはエイザック侯爵だった。
「それで、何をすれば?」
「侯爵は、即効性の強い毒、十六年前カザーリオ帝国から取り寄せたあの毒を用意してください」
エイザック侯爵は、口を堅く引き結んで頷いた。
「ゼイレン伯爵にはブラットリーは病死だと、暗殺の事実を隠ぺいして欲しい」
「わ、わかりました……」
「アルゼン侯爵には遺言書を偽造してほしい」
「自殺ではないのに、遺書が必要ですか?」
「病死だからね。死期を悟った人間は、自分の意思を残したいものだよ」
「わかりました。用意しましょう」
三人が緊張した面持ちでセドリックの指示を胸にとめる。
「実行は、今月の十六日だ。それまでに、頼むよ」
二月十六日。それは、エレデルトが暗殺された日だ。
セドリックが何故、その日を実行日に設定したのか、三人の大臣は理解できない。しかし、女王の忠臣として、この命令を無事に成功させなければ、自分達の地位が危ぶまれる。
十六年前の出来事は、この部屋にいる皆にとって、封印したい過去なのだ。
(これで、舞台は整ったかな)
セドリックは、三人の大臣の背中を見送りながら、にっこりと笑った。
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