第33話 彼が見るものは

 薄暗く、ジメジメとした牢獄には、明るい陽の光は入らない。完全に外界からは隔離された、何の変化もない暗闇がこの牢獄内の人間に絶望を与える。身体は生きていても、心だけを確実に殺すことができるように。そうして、自ら殺して欲しいと訴えるのだ。

 この牢獄では、罪など、あってもなくても同じこと。

 一度入れば、首と胴がつながった状態で外に出ることはできない。牢獄内で生きていても、それは死んでいることと同義なのだ。

「……誰だ」

 この牢獄に、まともな看守などいない。殺してくれ、という一言を聞くために見回っている血に飢えた者ばかりだ。そんな彼らの足音とは異なるヒールの音に、牢獄に囚われた罪人は顔を上げた。

「看守ではないな。誰だ」

 もう一度、牢獄内の罪人が問うた。この牢獄内で、まだ会話ができる精神力を残すことは難しい。しかしこの罪人は、強靭な精神力の持ち主だった。

 その声に、足音はぴたりと止んだ。それも、罪人の牢の前で。しかし、光の届かない牢内で、立ち止まった人物が何者なのかは、罪人には判断できない。

「……ブラットリー・ヴェールド」

 罪人の名を呼ぶその声は、この地獄のような場所には似つかない美しい声だった。

「あなたには、死んでもらいます」

 十六年、心優しい姫の無念を晴らし、この国を守るのだ、という意志だけを胸に生きていたが、それももう今日で終わりらしい。元より、脱獄する術がないことは、騎士団長であったブラットリーが一番よく知っていた。

「エレデルト様とクリスティアン様に、ようやく会って謝罪できるのか」

 ブラットリーが何十年かぶりに口元に笑みを浮かべると、自分を殺しにきたその人物は牢内にするりと入って来た。黒いフード付きのマントを羽織って、顔を隠してはいるが、その服装からして身分の高い令嬢であることが伺い知れた。

(何故、このような令嬢が暗殺など……)

 何者なのかを問おうとしたブラットリーの口に、何か生暖かい液体が流し込まれた。反射的に吐き出そうとするも、細い手に口をふさがれて、飲み込むしかなくなる。

 自分は何を飲まされたのだろうか。

 ちらりと見えた暗殺者の瞳が悲しそうに揺れていたのを見て、ブラットリーの意識は闇に落ちていった。

 

  ◇◇◇


 バートロム公爵は、女王陛下シュリーロッドの隠れた宰相であるチャドに呼び出されていた。

 整然と整えられた書棚、無駄のない装飾、報告書がきれいに積まれた執務机、それらはチャドの性格をよく表していた。冷静沈着で、常に落ち着いているチャド・ブルシットという男は、ジェームスもよく知る人物である。

「何の用だ?」

 女王の宰相とはいえ、身分でいえばバートロム公爵家当主のジェームスの方が上だ。あえて威圧的な聞き方をするが、執務机に座るチャドの表情に変化はない。

「ジェロンブルク領の特産品ですが、実際に収穫された数量と、こちらに献上された数量とが大幅に違っています。女王陛下のための資源を偽って報告することは、反逆罪に問われても文句は言えない、と御存知のはずですね?」

 そう言って、はじめてチャドはジェームスに視線を向けた。眼鏡越しに見える赤紫色の瞳に、昔のような面影はない。チャドはやはり敵に回ってしまったらしい。

「私は偽りの報告などしていないよ。女王陛下から要求されている数量は献上しているはずだ。それ以上は、領民の生活のためのものだ」

「しかし、例年の数量よりはるかに多くの作物が収穫されています。その報告をしなかったことは、事実ですね」

「収穫した作物の利益は、女王陛下に納めている。ただでさえ税金が高いのに、領民から収入源を奪うことはできない」

 ジェロンブルクには、豊かな実りがある。それは、安定した気候や、作物を育てるのに適した広い土地があるためである。そして、その豊富な資源が領民たちの生活を繋いでいる。畑で採れた野菜は商品としてだけではなく、日々の食糧としても重要だ。そのほとんどを、女王陛下であるシュリーロッドのために献上し、高い税を払っている。領民たちは穏やかな性格の者達ばかりなのでジェームスに直接不満を言ってくることはないが、生活が厳しいことは知っている。

 領主として、ジェロンブルクの民をこれ以上苦しめるようなことはできない。それが、女王への反逆罪だと言われても、ジェームスは引き下がるつもりはなかった。

「そうですか。あなたのお気持ちは分かりました。女王陛下が知れば、きっとお怒りになるでしょうね」

 チャドは、あくまでも冷静だった。しかし、その物言いに、ジェームスは引っ掛かりを覚える。

「……まだ、女王陛下は知らないと?」

「私から報告するまでもないでしょう」

「どういうことだ?」

「女王陛下はあなたを王宮から消すおつもりです。おそらく、あなたの可愛い娘さんを使って」

 もし、この件を理由にしてティアレシアに何かあったらジェームスは冷静ではいられないだろう。

 今でさえ、じっとしていられないほどに不安に駆られている。

「教えろ。私の娘をどうするつもりだ」

 焦りを含んだジェームスの問いかけに、チャドはしばし考えるような素振りを見せる。

「さぁ。女王陛下のお考えは私には分かりかねます」

 そう言って、チャドは眼鏡を中指でくいっと上げた。ジェームスはこの男に聞いても無駄だと判断し、部屋を出た。

 そして、娘に会うために急ぎ足で馬車に乗り込んだ。

「今日のティアレシアの予定は?」

 ジェームスは、バートロム公爵家の御者に問う。よくできた御者は主人の求めに間を置かず答えた。

「午後二時から王宮に向かうはずです」

「そうか。なら、まだ間に合うな?」

 今は午後一時半頃だ。王城から屋敷まで、三十分はかかる。しかし、王城に向かうティアレシアと入れ違いにならないよう、早急に屋敷に帰る必要がある。無理のある要求ではあるが、御者はにっこり笑って「もちろんです」と答えた。

(結局、あの男は何がしたかったんだ……?)

 エレデルトにその才能を買われ、若くして宰相となったチャド・ブルシット。クリスティアンのことも大切にしていた彼は今、何を思ってシュリーロッドに仕えているのか。

 最高速度で走る馬車の中で、ジェームスは眉間に深い皺を寄せた。

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