第34話 親子の信頼関係
ティアレシアがルディを伴ってバートロム公爵家の屋敷に戻ると、王城に出向いていたはずの父の馬車が停まっていた。
屋敷がざわついているのは、父が戻って来たからだろうか。広い庭を抜け、正面玄関に足を向ければ、玄関の扉の前で父が怖い顔をして待っていた。
「ティアレシア、今までどこに行っていた?」
父が大きな声でティアレシアを呼び、大股で近づいて来る。こんな風に怒っている父は、はじめて見た。ティアレシアは驚きのあまり動けない。
「お前は、どれだけの人間に心配をかけているのか分かっているのか!」
父の怒りが娘を想うが故のことだということは、ティアレシアにも理解できた。しかし、何故屋敷にいないだけでこんなにも父は怒っているのだろうか。
キャシーをはじめとするバートロム公爵家の使用人たちは、ティアレシアが無事に帰宅した姿を見てほっとしているようだった。
いつもなら、父に心配をかけてしまっても、怒鳴ったりせずに優しく抱きしめてくれる。ティアレシアがそんな父に甘え過ぎていた部分も大きいが、これは何か事情がありそうだ。
「お父様、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。何か、あったのですか?」
まだ厳しい顔をしている父に頭を下げ、ティアレシアは控えめに問う。
「……いや、私こそ、すまない。だが、もう黙っていなくなるのはやめてくれ」
ふわり、と父に抱きしめられる。ティアレシアに触れる父の身体は、少し震えていた。
どうしたのか、と思うと、父の目には涙が浮かんでいた。
「お父様、もう、絶対に、心配をかけるようなことはしないわ。だから、泣かないで」
その涙の意味は分からなかったけれど、ティアレシアはただ自分がちゃんとここにいるのだと示すように父の背に腕を回した。
「ティアレシア、私はお前のことが一番大切なのだよ」
消え入りそうな声で父にそう告げられ、ティアレシアの目頭まで熱くなってきた。
今自分がしていることをジェームスが知ったら、どう思うだろうか。
(どうして、ルディは私をこんなあたたかい家庭に転生させたの……!)
復讐心を燃やして、姉に復讐するために生まれ変わりたいと望んだクリスティアンに与えられた新たな命は、優しくてあたたかな場所に生まれた。ルディが何故、バートロム公爵家に転生させたのか、それは分からない。でも、こんなのあんまりだ。普通の令嬢として生きられたなら、ティアレシアは優しい父と優しい使用人たちに囲まれて、普通の幸せを手にしていたはずなのに。
「旦那様、まずはお部屋に入って、ゆっくりお話をされてはどうでしょう」
泣きながら抱擁する親子に声をかけたのは、真面目ぶったルディだった。たしかに、屋敷の中に入らず、玄関前でずっとこうしている訳にもいかない。他の使用人達は親子の抱擁に感動して泣いているし、キャシーもどう声をかけていいか迷っているようだった。ルディが代表して声をかけてくれてよかった。
ティアレシアは、自分の部屋に引っ込んで王城に行く準備をしようと思っていたのだが、父に話があると書斎に連れてこられた。
「座りなさい」
書斎におかれたソファに、ティアレシアは大人しく座る。厳しい顔をした父が、ティアレシアに何を話そうとしているのか。緊張のせいか、思わず膝に置く手に力が入る。
「お前は賢い子だ。私の知らないところで、色々と考え、行動しているのだろう。それをすべて話せとは言わない。だが、女王陛下に近づきすぎれば、お前が傷つくことになる」
「お父様……」
父は、ティアレシアが何かを隠していることに気付きながらも、ティアレシアの好きにさせてくれていたのだ。娘が大事なジェームスにとって、何も聞かずに見守るということは辛かったことだろう。
「すべては、私のせいだ。お前にはただ笑っていて欲しかった。平穏な暮らしを与えたかった。だが、それは私の独りよがりだったのかもしれない。不甲斐ない父を許してくれ」
まるで今生の別れのようなその言葉に、ティアレシアは思わず向かいに座る父の手を握っていた。
「私は、お父様の娘でとても幸せです。そして、それはこれからも変わりません。お父様は、何も悪くありません。私が……」
「いいや、お前には何の責任もないよ」
ティアレシアの手を優しく包み込み、父が微笑んだ。何かを諦めているようなその瞳に、ティアレシアの不安は大きくなる。
「ティアレシア、もし女王陛下に何か言われても、お前は何も知らないのだから、正直に無関係だと答えるんだよ」
ティアレシアの目を見て真っ直ぐにそう言った父は、その優しい微笑みの中にも強い覚悟を秘めていた。
「何を、するつもりですの?」
「ティアレシアは、何の心配もしなくてもいい」
「嫌ですわ。私の心配はするのに、お父様の心配をしてはいけないなんて、ずるいですわ。私も、お父様が大切なのです!」
「ティアレシア」
窘めるように父に名を呼ばれるが、ティアレシアは引き下がるつもりはなかった。ティアレシアはたしかに復讐のために生きているが、父のこともバートロム公爵家の使用人たちのことも皆、大好きなのだ。傷つけたくないし、守りたいと思う。
「お父様、私は確かにお父様に隠れて行動しています。そのことがお父様を苦しめることになるかもしれませんが、きっとお父様も心配事は減るはずです。私を信じてくださいませんか?」
話せることは少ないが、ティアレシアがやっていることは父のためにもなるはずだと信じている。縋るような思いで父を見つめていると、小さく吐息がこぼれた。
「ティアレシアには敵わないな。何をしているのか、聞いてもきっとお前は答えてくれないだろうから、私は信じて待つことにする。可愛い娘が父を頼ってきてくれることを」
「お父様、ありがとう」
ティアレシアは満面の笑みを浮かべる。父は、そんな娘の頭を撫でて、少しさみしそうな顔をした。
「……王城に行くのか?」
父に問われて時計を見ると、女王陛下との約束の時刻二時にさしかかっていた。
「えぇ。けじめを、つけなければなりませんもの」
目を閉じると、様々な人間の顔が浮かぶ。大切な人、守りたい人、味方になってくれた人たち、みんながティアレシアの背中を押してくれる。
「気をつけるんだよ。もしお前に何かあれば、きっと私はどんなことでもしてしまう」
「もちろんですわ……もう、奪われる側には回りません」
そう言って、ティアレシアは父の書斎を出た。
目指すは、王城グリンベル。
(今頃、きっと王城は大騒ぎだわ)
明るい太陽の下、ティアレシアは王都の中心にそびえる王城グリンベルを見つめた。
二月十五日。予定より一日早い実行に、あの三人はどんな反応を示すだろうか。
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