第40話 十六年前の真実

「十六年前、エレデルト国王を暗殺したのはクリスティアンよ」

 おそろしく静まり返った審議の間で、シュリーロッドの声が響いた。

 しかし誰も、その声が届いていないかのように、シュリーロッドの方を見ようとしない。

「あくまでもこれは今回の件の参考までに、十六年前の事件の整理をしましょう。十六年前、九九九年二月十六日、エレデルト国王が毒殺されました。実行犯としてクリスティアン女王の側近だったバイロン様と、首謀者だとされたクリスティアン様が捕縛されました。クリスティアン様が首謀者とされたのは、エレデルト国王が毒を盛られたとされる夜、クリスティアン様が宮殿にいなかったから、という単純なものでした。実行犯であるバイロンに指示を出していたのだ、とされていますが実際は違います。そうですね、クリスティアン女王の近衛騎士だったフランツ様?」

 ヴァルトの言葉で、一人の男が動いた。ティアレシアの横に控えていたもう一人の騎士である。反逆者として指名手配されているフランツが、どうして審議の間にいるのか。十六年前の事件に関わっている人物が集まっていることに、人々の心は言いようのない興奮に包まれていく。

「はい。あの日、クリスティアン様は私と共に母君であるアンネット様に結婚の報告をしていたのです。王立墓地から宮殿に戻り、エレデルト様が毒を盛られたと聞き、クリスティアン様はひどくショックを受けていらっしゃいました。あの時間、クリスティアン様がバイロン様に指示を出すことなどできません。クリスティアン様は、毒のことは何もご存じなかったのです。もし本当にクリスティアン様が毒殺していたとしても、亡くなって十六年経った今、どうやってセドリック様に毒を盛ることができたでしょうか」

 そこで間を置いて、フランツは感情を抑えた声ではっきりと言った。


「クリスティアン様は、無実の罪で処刑されたのです」


 責めるような視線が、三人の男とシュリーロッドに向けられる。


「クリスティアンは、敵国であるカザーリオ帝国とも内通し、敵国に恩を売るためにお父様を殺したの。この王国では、わたくしの言葉が真実よ」

 シュリーロッドはにっこりと微笑んだ。

 真実など、権力で簡単に捻じ曲がる。

 十六年前、クリスティアンを処刑した時と同じように。


「哀れな女王陛下、クリスティアン様が敵国と内通などしていなかったことはあなたが一番よくご存じでしょうに。だって、本当に敵国と内通していたのはシュリーロッド女王陛下ですものね」

 小鳥がさえずるような可愛らしい声で、銀色の髪の少女が歩み寄ってきた。そして、シュリーロッドの腕を掴んだままだったベルゼンツに微笑みかける。すると、ベルゼンツは頷いて懐から白い封筒を取り出した。

「この手紙は、女王陛下の部屋で偶然見つけたものです。しかし、思わぬ内容が書かれていたため、証拠品として提出します」

 ベルゼンツはそう言うと、ヴァルトに封筒を差し出した。内容を確認し、ヴァルトが証拠品として認めると、その手紙は法務官である男に手渡された。

 五十手前の厳しい顔をした男は、ビルク・オーグストといって、かつてクリスティアンの審議で法務官を務めるはずの男だった。

 そして、彼は手紙を開いて読み上げた。


『貴国の協力のおかげで、随分とわたくしの治世は豊かになりました。わたくしを後継に認めなかった父の死は、きっと貴国の研究の役に立ったでしょう。わたくしの代わりとして、エイザック侯爵から謝礼をさせていただきます。わたくしの息のかかった者がいたために審議も滞りなく進み、妹の罪は確定しました。もちろん、死刑です。これで、わたくしがブロッキア王国の女王となります。貴国との関係も、きっとこれから良くなることでしょう。それでは、互いの国の繁栄を願って……。S・R』


 ビルクが読み終えると、傍聴席がざわついた。

「これは、おそらく十六年前にカザーリオ帝国に送られたものの下書きです。そして、この手紙によるとエイザック侯爵が毒薬に関わっており、審議の時も女王陛下の命令で動いていた者がいることが分かります。そうですね、ゼイレン伯爵?」

 冷静に、ヴァルトが父であるゼイレン伯爵を見つめた。

「違う! 私は何も知らない! 女王陛下のために動いていただけだ」

「そうですか。女王陛下のため、と言いながらあなたは女王陛下への税金を自分の懐にしまい込んでいましたね。本当に、すべて女王陛下のためだったのでしょうか。あなたの横領の証拠はまた別で用意してあります」

 見苦しく罪を逃れようとする父に対して、ヴァルトは冷酷にもそう言い放つ。そして、さらに言葉を続ける。

「すべての偽造書類は、アルゼン侯爵によるものでしょう。過去の資料を調べてみると、非情に細かな差異ではありますが、あなたの筆跡の癖が出ていました。クリスティアン様にとって不利な証拠を偽造し、シュリーロッド女王陛下が即位するための状況をつくりあげた……そして、エイザック侯爵、あなたはクリスティアン様の側近であったバイロン様に、エレデルト国王の寝所へ毒入りの紅茶を持っていくよう命じた。毒見はもう済ませてある、とでも言ったのでしょう」

「ふっ、ふふふ……何を得意気に話しているの? 十六年も前の話を持ち出して、わたくしを裁こうと言うの?」

 突然、シュリーロッドが笑い出した。

 何もかもが無駄だと突きつけるように、女王は馬鹿にしたように笑う。


「あら、十六年前の罪だけではありませんわ。女王陛下は今も罪を犯しているではありませんか。嫉妬深い女王陛下らしい、醜い罪を」

 そう言って、ティアレシアは美しく微笑む。

「セドリック様は一度も女王陛下を求めたことはなく、王都の裏街の娼館で娼婦を買っていました。それも、クリスティアン様によく似た容姿の女性ばかりを。そして、夫を愛する女王陛下はその子を宿す女性が現れてはいけない、と王城に買われた娼婦たちを閉じ込め、拷問し、子を生せない身体にしたのです。女の嫉妬は実に恐ろしいものですね」

「……殺してやる、殺してやるわっ!」

 女王が抑えきれない殺意をティアレシアに向けると、彼女の両脇に立つ騎士が剣を抜いた。

「死にぞこないが何をしているの? クリスティアンを救うこともできなかった役立たずな騎士が、今さら何を守ろうとしているの?」

 シュリーロッドは、主君を救うこともできなかった愚かな男たちを鼻で笑う。

「俺達の中にあるクリスティアン様の想いは、消えてはいない。もうこれ以上お前の好きにはさせない!」

 フランツが強くシュリーロッドを睨む。

「無力な自分にも、クリスティアン様のためにできることはまだあるはずだ」

 ブラットリーが自責と共に言葉を吐き出した。

「近衛騎士、わたくしが剣を向けられているというのに何故動かないの!」

 女王は自分だ。守られ、愛され、大切に扱われるべき存在なのだ。かつてのクリスティアンがそうであったように。

 しかし、誰もシュリーロッドを守ろうとしない。


「どいつもこいつも、何をしているの!」

 シュリーロッドは女王となり、すべてを手に入れたはずだった。

 それなのに、何故またあの時と同じ思いを抱いているのだろう。

 ただの小娘に、何の力があるのだろう。

(この女は、一体何者なの?)

 シュリーロッドに従っていた騎士たちをも取り入れ、審議の流れを完全に変えた。

 セドリックの愛はシュリーロッドだけのもの。娼婦の存在は、外部に漏れないようにしていたはずだった。

 それなのに、どうしてこの女は知っているのか。セドリックを誘惑して聞き出したのかもしれない。許せない。

「お前たちのような反逆者は、さっさと死ねばいいのよ。処刑はこの場で行いましょう。ちょうどいいわ、公開処刑にしましょう」

 ふふふ、と女王は楽しげに笑う。証言や証拠など、何の意味もない。すべて消してしまえばいい。ここにいる者たちが証人となってしまうなら、全員殺してしまえばいい。

「女王陛下、私たちは反逆者などではありませんよ」

 シュリーロッドと同じように、笑みを浮かべるのは女王の赤と対照的な青いドレスを着た銀色の髪の娘。

 ただの公爵令嬢が、随分と出しゃばった真似をしてくれる。

「反逆者でないなら、なんだというの?」

 面白がって問うた女王に、ティアレシアは大きな紺色の瞳を輝かせて答えた。


「しいて言うなら、革命者ですわ」

 その言葉に、傍聴席にいた何十人もの人間が歓声を上げた。そして、彼女は両手を広げ、彼らを煽るように言葉を紡ぐ。

「ブロッキア王国の民よ、今こそ立ち上がるのです! このまま女王シュリーロッドの治世の下、苦しい生活を続けるのか、女王を血の玉座から引きずりおろし、平和な王国を取り戻すのか。私はこの王国をあるべき姿に戻すために戦う。私と共に戦う者は?」

 一瞬、審議の間はしんと静まり返った。シュリーロッドは馬鹿な小娘の戯言に誰が耳を貸すものか、と笑みをつくろうとした。

 しかし、次の瞬間、うおぉぉ! という凄まじい大歓声が空気を響かせた。その声は、審議の間に集まったすべての者たちの思いが具現化したようにシュリーロッドの肌を圧迫した。

「この王国の者たちすべてが、もはやあなたを女王とは認めていません」

「何を馬鹿なことを……」

「実際に、目で見た方が早いでしょうね」

 真っ青なドレスを翻し、ティアレシアが審議の間の大きな扉に向かって歩き出した。何をするつもりなのかを問う前に、ティアレシアはその扉を開き、見せつけた。

「ブロッキア王国の王都に住まう者たち全員ですわ」

 審議の間の扉の向こうにある広場には、地面が見えないほどに多くの人が立っていた。

 それも、皆が皆武器を持ち、旗を掲げている。それは、クリスティアンがよく騎士たちにお守りで持たせていた刺繍によく似た花を掲げた旗で、もう一つ彼らが持っているシュリーロッドを示す王冠が掲げられた旗は切り刻まれていた。

 それが何を意味するのか。分かっていても分かりたくないシュリーロッドは、にっこりと笑みを向けるティアレシアを睨みつけた。

「よくもやってくれたわね。どんな手を使ったのかしら」

「簡単ですわ。シュリーロッド女王陛下があまりにも自分勝手な振る舞いをしていたせいで、国民には不満しかなかったのです。自分を大切にしてくれない人を、どうして大切にしようと思えましょう。簡単に裏切られるということは、それだけシュリーロッド女王陛下に人徳がなかったということでしょう。エレデルト国王陛下はあんなにも国民に愛された王であったというのに」

 くすっと笑うと、美しい顔立ちがますます愛らしくなったが、シュリーロッドにとってそれは忌々しいだけだった。


「その血に塗れた玉座から、さっさと降りてくださいませんか?」 


 ティアレシアは有無を言わさぬ強い口調で、女王にとっての死刑宣告をにこやかに告げた。

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