第44話 愛されなかった王女
――憐れなお姉様。
その言葉を聞いて、シュリーロッドは固まった。去っていく銀髪の娘の背を見つめながら、シュリーロッドの思考は過去へと引きずられる。
◆◆◆
「シュリーロッド、お前にかわいい妹ができたよ」
優しい父が微笑んだ。産まれたばかりの妹は天使のように愛らしく、頼りない手でぎゅっとシュリーロッドの手を握った。
自分一人では何もできない存在。
誰かに愛されねば生きていけない存在。
それが、赤ん坊だ。
シュリーロッドはその無力な存在の誕生を、心から喜んでいた。正妃の娘である異母妹など邪魔なだけだというのに、何も知らなかったシュリーロッドは姉として妹を可愛がりたいと思っていた。
一人で歩けるほどにクリスティアンが成長した時、母レイネが病気で死んだ。しかし本当は自殺だったのだと、祖父から聞かされた。それは、国王の寵愛がすべてクリスティアンの母アンネットに注がれていることに日々悩んでいたためではないかといわれていた。
素直で、純粋なクリスティアンは父だけでなく王宮内すべての人間に愛されていた。それは可愛らしい容姿だけでなく、穢れのない心を持っているからだ。
(だったら、わたくしの心は醜いというの?)
クリスティアンの母が亡くなった時、同じだと思っていたのに周囲の反応はまるで違っていた。シュリーロッドの騎士でさえ、クリスティアンを心配し、見守っていた。
いつしか、シュリーロッドは異母妹への嫉妬心と劣等感ばかりを募らせ、怪しい呪いなどに興味を持つようになった。
初恋の相手である隣国の王子セドリックは、妹の婚約者になった。つまりは、王位はクリスティアンに継がせると言ったも同然だ。クリスティアンは、シュリーロッドがこれから手にするべき地位と名誉さえも奪う存在だ。もう、無力なだけの存在ではない。今度は、自分が奪う番だ。
「……ふ、ふふ。本当に悪魔なんて存在するのかしら」
シュリーロッドは、ついに見つけた。自分の思いを達成する手段を。
レミーア大聖堂の地下には、古代の文字が刻まれている。丸く円をかいて、その文字は幾重にも重なり、神聖な場所にも関わらず不穏な異質さを放っていた。そして、その文字は、数百年経っているだろうに、色褪せず、くっきりと残っていた。
「さぁ、現れなさい。わたくしの忠実な悪魔」
シュリーロッドが手首にナイフを沿わせ、古代文字の上に血を流す。
すると、シュリーロッドの血に反応するかのように、文字が黒い霧を吹き出し、しまいには地下室すべてが黒く塗りつぶされた。そうして現れたのは、おそろしい悪魔ではなく、見慣れた顔だった。
「わたくしは悪魔を呼び出したはずよ。何故、チャドが……?」
「王女様、私が悪魔ですよ」
冷たく笑ったチャドを見て、シュリーロッドも笑みを返した。
レミーア神に封じられた悪魔は、魔力を封印され、王国のために働き続けるよう縛られているという。代々の国王は悪魔の封印をも即位と共に受け継ぎ、悪魔が復活しないように守ってきたらしい。そして、今は父エレデルトがその封印を担っている。
「わたくしを絶対的な女王にしてくれるなら、あなたを解放してあげるわ」
「しかし、私を解放するためには、お父上であるエレデルト様が邪魔になりますよ?」
「なら、父を殺せばいいのね」
自分のことを愛してくれない父親など、いらない。かつて愛された記憶はもう、シュリーロッドの中には存在しなかった。
「面白いことになりそうですね。シュリーロッド様、あなたの覚悟を私に見せてください」
そうしてシュリーロッドは父を殺し、妹を処刑し、悪魔を手にしたのだ。
◇◇◇
「ダメよ、チャドだけは……私の悪魔だけは渡さない……!」
強力な封印を少しずつ穢し、少しずつ綻びを作り、
優越感と、嗜虐心が常にシュリーロッドを支配していた。
この世界は、自分のものだ。
悪魔の力がある限り。
はじめは本当に解放するつもりだったが、シュリーロッドはその魔力に魅せられ、手放せなくなっていた。チャドを解放してしまえば、もう好き勝手に振る舞うことも許されなくなるかもしれない。人々の暗示が解けたら、我が儘が言えなくなる。また、誰もシュリーロッドを愛してくれなくなる……。
しかし今、悪魔を手札に持っているシュリーロッドが、窮地に追いやられている。
銀色の髪の娘によって。
そして、あの娘はシュリーロッドを「憐れなお姉様」と呼んだ。そんなはずはない。そう思おうとしても、シュリーロッドは直感していた。あの娘はクリスティアンだ、と。
ならば、どんな手を使ってでも再び妹をこの世から消さなければならない。悪魔を手放すことになっても、クリスティアンを愛する世界を闇に染めることができるのなら……。
シュリーロッドは赤いドレスを引きずって、大聖堂へと足を踏み出した。
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