「チョコレートと甘いもの」

 甘い香りが漂う調理場で、ティアレシアは固まっていた。


「やっぱり、無理ではないかしら。私にお菓子作りなんて」

「大丈夫ですわ。私もついていますから!」


 頼もしい笑顔を向けてくれたのは、エリメラだ。


「ありがとう。頑張るわ!」


 エプロンをつけて調理場に立つなんて、公爵令嬢だった時にもしたことがない。

 ましてや今は、国王の娘――王女という立場である。

 それがどうして今、調理場に立っているのかというと。


 ――二月十四日はバレンタインデーといって、大切な人に想いを伝える日だそうですよ。


 エリメラの一言が始まりだった。

 輸入されたチョコレートとともに広まった、異国の風習。

 若い娘たちの間では、好きな人に告白する代わりにチョコレートを渡すのだとか。

 とはいえ、貴族の令嬢たちは婚約者がいる者がほとんどなので、告白というよりも感謝の気持ちを伝えるために特別なお菓子を渡している。


「じゃあ、エリメラもフランツにチョコレートを?」

「はい。せっかくなので手作りしようかと」


 照れながら頷くエリメラを微笑ましく見ていると、逆に問い返された。


「ティアレシア様はルディ様にあげないのですか?」

「え、私?」


 バレンタインデーというイベントも、今しがた知ったばかりだ。

 しかし、大切な人と聞いてすぐに思い浮かべたのはルディの顔だった。

 

「もしよろしければ、私と一緒に作りませんか?」


 きらきらした瞳で提案されて、ティアレシアはしばし考える。


(お菓子といえば、いつもルディに作ってもらうばかりだったし……)


 それに、ルディの作るお菓子が世界一美味しいから、自分で作るという発想が今までなかった。


「そうね。いつも私はルディにもらってばかりだもの。エリメラ、お願いできる?」

「もちろんですわ! ルディ様を驚かせましょう」


 そうして、ティアレシアは生まれて初めてお菓子作りに挑戦することにしたのだ。



 *


 ――二月十四日。

 

 ティアレシアはドキドキしながら、ヴェールド男爵の応接間に座っていた。

 手の中には、きれいにラッピングされた箱がある。

 以前、ルディに教えてもらったおかげで、ラッピングも随分うまくなったと思う。

 中身のお菓子も、エリメラと味見もしたから大丈夫だ。

 何度も心の内で言い聞かせていると、応接間の扉が開いた。


「悪い。待たせたな」


 そう言って、ルディが慌てて入ってくる。

 数日ぶりに会う愛しい人の姿に、ティアレシアは思わず駆け寄っていた。

 ルディは今、ヴェールド男爵の後見を得て、貴族社会の中で地盤を作っているところだ。

 頑張ってくれていることが分かるから、会いたいなんて我儘は言わないようにしている。

 でも、今日ぐらいは許してくれるだろうか。


「私こそ、急にごめんなさい。忙しかったのではない?」

「会いたいなんて滅多に聞けない言葉をくれたんだ。それだけで飛んで帰ってくるさ」


 耳元で囁かれた言葉に、ティアレシアの体温はいっきに上がる。

 悪魔の力はもうないはずなのに、ティアレシアの心を揺さぶる魔力だけは健在だ。


「それで、可愛い恋人が俺に会いに来た理由は?」


 漆黒の双眸に見つめられ、ティアレシアの心臓が跳ねた。

 バレンタインデーが若い娘たちの間で異性に告白するイベントだと知っていながら、この日にお菓子を渡す。

 その意味を考えると、今更ながらに照れ臭くなってきた。

 互いに想いを確認し合い、恋人という関係になっても、まだ慣れない。


「……ルディは、今日が何の日か知っている?」

「今日?」


 ルディは考え込む仕草をして、にやりと笑った。


「バレンタインデーだろう。どうして、そんなことを聞くんだ?」


 この顔はすべてお見通しの顔だ。

 その上で、ティアレシアに言わせようとしている。

 せっかく時間を作ってまで会いに来たのだ。

 恥ずかしいからという理由で避ける訳にはいかない。


「日ごろの感謝の気持ちを込めて、ルディにお菓子を作ってきたの!」


 ティアレシアは勢いに任せて箱を差し出す。

 しかし、ルディからの反応がない。

 どうしたのだろう。

 顔を見上げると、片手で口元を覆って目を見開いていた。


「ちょっと、ルディ?」

「ティアレシアが、作ったのか?」

「え、えぇ」

「本当に?」

「だから、そうだって! ま、まぁエリメラに手伝ってもらいながらだし、ルディみたいに美味しくはないかもしれないけれど……」


 どれだけ自分は不器用だと思われているのだろう。

 何度も聞き返されて、ティアレシアの言葉は尻つぼみになっていく。


「そういう意味じゃない。ティアレシアが俺のために作ってくれたのが信じられなくてな」


 そう言って、ルディは本当に嬉しそうに笑った。

 ティアレシアが差し出した箱を開けて、中のお菓子を見つめる。


(見た目も、それほど不格好ではないはずよね……?)


「トリュフか。うまそうだ」


 目の前で、ルディがココアパウダーをまぶしたトリュフを口に入れた。

 チョコレートを溶かして、冷やして、形作るのはけっこう難しかった。

 ティアレシアはルディの反応を緊張しながら見つめる。


「うまいが、甘さが足りないな」

「え、そうかしら? 味見した時は丁度よかったけれど……」

「違う」

「……え?」

「バレンタインデーはチョコレートと一緒に、甘い恋心もくれるんじゃないのか? いつも俺ばかり愛を囁いている気がするんだが」


 ふいに腰を抱き寄せられて、ルディとの距離がグッと近づく。

 心臓が暴れ出して、甘いチョコレートの香りとルディの色香に酔いそうだ。

 世の中の恋人たちは、どのようにバレンタインデーを過ごしているのだろう。

 ティアレシアはチョコレートを渡すだけでいっぱいいっぱいだったというのに、愛の言葉を伝えるなんて難易度が高すぎる。 

 しかし、ここまで会いに来たのは何のためか。

 いつも恥ずかしくて伝えられない気持ちをルディに伝えるためだ。


「……ルディ、愛してる」


 かすかな声だが、ルディにはたしかに届いた。

 その証拠に、彼はティアレシアの唇に優しくキスを落とした。


「あぁ、確かに甘いな。この世の何よりも」


 満足そうに笑みを浮かべたルディは、来年も楽しみにしている、とキスの雨を降らせた。


 そして後日、ルディからのお返しはとんでもなく豪華なアフタヌーンティーと99本の黄色い薔薇の花束だった。


 黄色い薔薇の花ことばは、“あなたに恋しています”。

 そして、99本の薔薇の花束には、“永遠の愛”という意味があるのだとか。

 エリメラに教えてもらったその意味に、ティアレシアはにやける口元と赤くなる顔を隠すために両手で顔を覆った。

 愛をストレートに伝えるための赤い薔薇を選ばなかったのは、ティアレシアが赤い色が苦手だからだ。


(私ばかり、ドキドキさせられている気がするわ)


 ティアレシアの初手作りチョコと拙い告白に、これだけのものを返してくれるなんて。

 まだまだルディには敵わない。

 来年は、ティアレシアがルディの顔を赤くしてみせる。

 ティアレシアは、少し斜め上の目標を掲げたのだった。

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