デビュー周年記念《非公式》SS
『公爵令嬢と収穫祭』
レミーア暦九九九年四月四日、ブロッキア王国の若き女王クリスティアンが処刑された。国王暗殺と敵国との内通という、いわれのない罪を着せられたクリスティアンは、陰謀の首謀者である義母姉シュリーロッドへの憎しみを胸にその生を終えた。
――しかし、その魂は転生した。彼女の復讐心に興味を持った一人の悪魔によって。
「……この髪、やっぱり目立つのかしら?」
陽の光に輝く銀色の髪をなびかせて、ティアレシアは首を傾げる。あえて暗色のワンピースを選び、地味に、目立たないようにと気を付けていたのに。
何故か、別の用事を言いつけていたはずの従者ルディがいる。
黒髪黒目に黒のお仕着せ、と全身が黒いうえに、彼の背後にも怒りの黒いオーラが見える気がする。
(ルディには内緒にして、と言っておいたのに……)
バートロム公爵家の領地、ジェロンブルク。
安定した気候と豊かな土壌を持つこの地の特産品は、主に野菜や果物といった農作物。
広大な領地の大半を田畑や山が占めており、街と呼べるものは一つだけ。
そんなトレザの街では現在、収穫祭が行われていた。
街中に華やかな飾りつけと美味しそうな匂いが漂っている。
トレザの街が一年で最も賑わうのは、この収穫祭の次期だ。会場である広場には、二十を超える露店が並び、多くの人が集まっている。
旬な野菜や果物そのものを売っている店もあれば、それらを使った食べ物やお菓子を売っている店もある。
領民たちは、一年かけて育てた自慢の野菜や果物を売り出すのだ。
活気あふれるその広場の一角で、ティアレシアはルディと向き合っていた。
「えぇ、十分目立っていますよ……それで、社交界デビューを来年に控えたお嬢様が何をやっているんですか」
呆れたような声音で、ルディが溜息を吐く。
ティアレシアは、バートロム公爵家の令嬢だ。
本来ならば、屋敷から自分の足で街に来ることもなければ、収穫祭に露店を出している、なんてこともないはずである。
ティアレシアの背後では、手伝いを申し出てくれたバートロム公爵家の使用人たちが数人ハラハラしながら見守っていた。全員、ティアレシアの共犯である。彼らのためにも、ティアレシアは強気な態度でルディと向き合う。
「まだ社交界デビューしていないから、こうして気軽に収穫祭に参加できるんじゃない」
「いやいや、領主の娘という立場から、視察に来るならまだしも、何普通に公爵家の露店出してるんですか。しかもそれ、俺がお嬢様のためにブレンドした紅茶ですよね……ったく、いつの間に持ち出したんだ」
「お父様は喜んで許可してくださったわ。ルディが淹れる紅茶はとっても美味しいもの。私だけが独占するなんてもったいないじゃない? どうせなら、バートロム公爵家の、いいえ、ジェロンブルクの特産品として売り出したくて」
「……旦那様はお嬢様に甘すぎる」
ルディが額を押さえ、なにやらブツブツと呟いている。
(だって、今のうちに私にできることをしておかなければ。私を愛してくれたお父様や公爵家のみんなのためにも……)
来年、十六歳で迎える社交界デビューは、ティアレシアにとって大きな意味を持つ。
クリスティアン女王は、姉シュリーロッドへの復讐心を抱きながら、十六歳で死んだ。
しかし、天国へ運ばれようとしたクリスティアンの魂は、一人の悪魔――ルディに出会う。
――そんなに復讐がしたいなら、俺が力になってやる。その代わり、お前の魂を俺に捧げろ。
クリスティアンは復讐のために悪魔と契約し、生まれ変わった。
ティアレシア・バートロムとして。
クリスティアンを陥れて女王になったシュリーロッドは、表向きは国を悪女から救った女王とされているが、とても良い治世とはいえない。
自分が気に入らないものは排除し、国民のことは考えずに贅沢三昧。
それなのに、クリスティアンは父殺しの、国を売った悪女として歴史に名を刻まれている。
転生して、シュリーロッドへの憎悪や怒りは募るばかりだ。
社交界デビューを機に、ティアレシアは復讐者としての道を歩むことを決めていた。
しかしその時までは、公爵令嬢として、公爵家のため、領民のために生きたい。
父ジェームスは国民を一人でも救いたい、と慈善事業に力を入れていた。そんな父の娘として、ティアレシアも何か力になりたかった。
今回の収益はすべて、教会や病院に寄付をする。
だから、用意した商品はすべて売りつくす勢いで宣伝しなければならない。
「見つかったのなら、仕方ないわね。ルディ、試飲の準備をお願いできるかしら」
「ほう、お嬢様を連れ戻しに来たこの俺に手伝え、と?」
「えぇ。だって、あなたは私の従者でしょう」
ティアレシアはにっこりと笑みを作った。
復讐を果たせば、この魂はルディに捧げる。
そして、ティアレシアの復讐を見守り、魂を奪うために、ルディは従者として側にいる。
「ふっ、まぁいいでしょう。ただし、今後は俺に内緒で何かできると思わないことです」
ルディの笑顔が怖い。
一人だけ知らされていなかったことを、かなり根に持っているようだ。
そして、ルディも加わり、バートロム公爵家オリジナル紅茶の販売が再開された。
(悪魔なのに、お願いしたことはちゃんとしてくれるのよね……小言は多いけれど)
ティアレシアは試飲用の紅茶を準備するルディを見ながら、不思議に思う。
いつもバートロム公爵家でキビキビと働いているだけあり、ルディの動きに無駄はなく、客寄せも何でも完璧にこなしてくれた。
特に、女性たちがすごかった。
ルディが試飲用にと配っていたコップの争奪戦も、自分がどれだけ購入して貢献したかを勝負していたのも、かなりの見物だった。
「ルディがいるだけで、紅茶がみるみるうちに売れていったわ。手伝ってくれて、ありがとう」
「お嬢様を早く屋敷に帰すためですから。さ、予定していた分はすべて売りましたし、店は片づけて屋敷に帰りましょう」
空を見上げると、もう夕暮れに染まっていた。
収穫祭は、夜遅くまで行われる。
しかし、公爵令嬢であるティアレシアが自由に動ける時間はそう多くはない。
「待って。せっかく収穫祭に来たのだもの。私も少し見て回りたいわ」
領地ジェロンブルクの一年に一度のお祭りだ。
そして、ティアレシアはきっと、来年この祭りに来ることはない。
「……そうですね。少しだけなら」
「ルディも一緒に、楽しみましょう」
渋々了承してくれた従者を連れて、ティアレシアは収穫祭を楽しむことに決めた。
この魂は復讐のためにある。
それでも、今日ぐらい楽しんでもいいだろう。
だって、お祭りなのだから。そう、少しだけ自分を甘やかす。
人々の楽しそうな笑い声、どこからか聞こえてくる音楽、ふわりと漂う、おいしそうな香り。
さて、どこから回ろうか。
「おや、ティアお嬢様じゃないかい! どうだい? うちの林檎で作ったアップルパイ、焼き立てだよ」
「いやいや、うちのスイートポテトも!」
「ティアレシアお嬢様になら、フルーツ盛り合わせをサービスしちゃうよ!」
ティアレシアをよく知る領民たちが、次々と声をかけてくれたので、すでに両手はいっぱいだ。
もちろん、ルディの両手にもたくさんのお菓子やお土産が持たされている。
「さすが、よく街に逃げるティアお嬢様。領民たちに人気ですね」
「うるさいわね。領主の娘が領民の暮らしを知ることは大切でしょう?」
「……毎度毎度連れ戻しに来る俺の面倒も考えて欲しいものだがな」
ボソっと耳元で囁かれたのは、従者のお小言だった。
悪魔のくせに、何故か真面目に従者をしてくれているせいで、小言が多い。
(シュリーロッドの歴史なんて、学ぶ価値なんてないもの)
ティアレシアは、やけくそ気味に手に持っていたアップルパイにかぶりついた。
食べ歩きなど、貴族の模範となるべき公爵令嬢がすべきではないが、堅苦しいのは抜きだ。
「ん、おいしいっ! 林檎の甘みをシナモンが引き立ててくれて、最高だわ」
サクサクのパイ生地に、蜜たっぷりの林檎と、シナモンの風味。
ジェロンブルク産の林檎はそのまま食べてもデザートのように甘く、舌触りも良い。
そんな林檎を贅沢にまるごと使ったアップルパイは、焼き立てということもあって、あっという間に食べてしまった。
「ルディは、食べないの?」
「俺のことはおかまいなく」
にこりと胡散臭い笑みを向けられた。
近くに飲食スペースとして開放されている場所があったので、ティアレシアはそちらへ移動する。
「どうぞ、お嬢様」
いつの間にか、ルディが紅茶を用意していた。
ちょうど喉が渇いていたところだったので、ティアレシアは礼を言って口をつける。
「これは、きっと人気商品になるわね」
ルディがブレンドした、乾燥した果物入りのフレーバーティー。
甘く爽やかな香りが特徴だが、味はそれほど濃くなくあっさりしている。
癖が強くないので、どんな茶菓子にも合うだろう。
「うん、スイートポテトとも意外と合うわ」
「それはよかった」
ルディは購入したお菓子とお土産を手際よくまとめながら、ふっとティアレシアを見て笑った。
何? と口を開きかけた時、ルディの人間離れした美貌が近づいてきた。
一瞬の出来事だった。
頬に残る感触と、わざと吹きかけられた、あたたかい吐息。
「えぇ、確かに美味しいですね」
「なななな、なにを……っ!」
「お嬢様の頬についていたスイートポテトをいただきました。でも、スイートポテトが甘いのか、お嬢様が甘いのか、分かりませんね。もう一度、お嬢様をいただいても?」
悪びれもせずに、ぺろりと唇を舐め、ルディが意地悪な笑みを浮かべた。
真っ赤な顔でうろたえるティアレシアを、完全に面白がっている。
「い、いい訳ないでしょう! というか、せめて、口じゃなくて手で取りなさいよ!」
ここには他にも人がいるのだ。公爵令嬢と従者がただならぬ関係だなんて噂されたらどうするのだ。
というか、こういう男女の触れ合いに、ティアレシアは慣れていないからやめて欲しい。
まだ火照ったままの頬を押さえて、ティアレシアはルディを睨む。
「俺に秘密を作ろうとした罰ですよ」
口の端を歪ませて、ルディが笑う。
闇を閉じ込めたような瞳にじっと見つめられて、ティアレシアはわざとらしく視線を逸らす。
「……か、帰りましょうか」
「えぇ、そうですね」
あっさりと頷いたルディに、最初からそれが目的だったのか、とティアレシアはむっとする。
ルディに踊らされているような気がしないでもない。
――復讐を遂げるためには、
それでも、今はまだ。
前世の悲劇も今世の憎しみも、何も知らないただの公爵令嬢として、差し出されたその手を取ってもいいだろうか。
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