『薔薇と願い』

 ふわりと薔薇の花弁が舞い、淡いピンク色が視界を覆った。

 可憐で、可愛らしいピンク色。

 ドレスのフリルのように幾重にも花弁が重なって。

 よく見れば、その花弁は外側に向かって薄いグラデーションになっている。

 王女が愛したその薔薇は、いつからか『クリスティアン』と呼ばれるようになった。

 国王暗殺と敵国との内通の罪を着せられ、処刑されたブロッキア王国女王クリスティアン・ローデント。

 齢十六の女王が、異母姉シュリーロッドの陰謀により処刑されたということは、十六年後に暴かれる。

 公爵令嬢ティアレシア・バートロムによって。

 ティアレシアを中心に革命の風が吹き、ブロッキア王国には新たな国王が誕生した。



 そうして〈悪魔の女王〉シュリーロッドの圧政から解放された今、街はお祭り騒ぎだった。



 街中にクリスティアンの薔薇が飾られ、新国王への期待に人々の瞳は輝く。

 広場には臨時で露店まで立ち並んでいる。

シュリーロッドの治世では自由に商売ができなかった者たちがこの機を逃すはずがない。



「お嬢さん、苺飴はどうだい? サービスするよ」

 にこにこと人の好さそうな店主が、露店の前を通りかかった身なりのよい娘に声をかけた。

 いかにもお忍びのお嬢様といった装いだ。

 新時代の幕開けで浮かれ気分だった店主は、声をかけた後で気づいた。

 気軽に声をかけてはいけない相手だったらどうしようか。

 しかし、店主の不安は杞憂に終わった。

 彼女は顔を隠すように深く帽子をかぶっていたが、店主が差し出した、砂糖がまぶされた苺飴の串を見て立ち止まる。

「あら。美味しそうね」

「お嬢様、買い食いはほどほどにしてくださいよ。ついさっきもクッキーを買ったでしょう」

 好意的な令嬢の言葉にほっとしていると、その後ろから漆黒に包まれた美青年がひょいっと顔を出した。

「ルディだって、いつもより安くなっているからって買い出しいっぱいしていたじゃない」

「俺のは買い出しで、仕事だろうが」

「それをいうなら、私だって、王都の様子をみに来たのよ」

「見に来ただけで、何で俺の両手はお嬢様の買い物のせいでいっぱいになっているんでしょうね」

「そ、それは……って、ごめんなさい」

 苺飴を差し出した状態で固まっている店主の存在をようやく思い出し、令嬢が謝る。

 そして。

「苺飴を二ついただくわ」

 にっこりと美しい笑みを浮かべて、令嬢は代金を支払い、苺飴を手に満足そうに去っていった。

「……なんてきれいなお嬢さんだ。それに、あの髪色……」

 見間違いでなければ、令嬢の髪色は水色がかった銀色だった。

 この国で今、銀色の髪の娘といえば、一人しかいない。

 ティアレシア・バートロム。

 革命の中心にいた、十六歳の公爵令嬢だ。

「ま、まさかなぁ」

 店主は首をふり、商売を再開した。


  *

 

 ティアレシアは、たっぷりの砂糖が表面を覆う苺飴をぺろりと舐めて、悶える。

「ん~、甘くておいしい! 買って正解だわ」

「ふん。俺ならそれより美味しく作れる」

 拗ねたようにルディが言って、まるごと口に含んだ苺飴をガリっと砕く。

「ルディが菓子職人並の腕前なのは知っているわ。でも、やっぱり違うでしょう?」

 ――人々の嬉しそうな顔を見ながら食べるのとは。

「そんなもんか」

「えぇ。私は、みんなの笑顔が見たかったから」

 幸福だと無理やり言わされていた彼らの、本当の笑顔。

 それが今、目の前に広がっている。

 あちこちで笑い声が聞こえる。

 眩しくて、嬉しくて、涙が出そうだ。

 まだまだこれからだと分かっていても。


「お前のおかげだな」

 

 帽子の上から、ルディの手が乗せられた。

 帽子のつばで視界が覆われてしまう。

 ルディがどんな顔をしているのかは分からない。

 でも、その声はとても優しい響きを持っていた。


「……ありがとう」


 革命は、ティアレシアだけの力ではない。

 フランツやグリエム男爵、ブラットリー、ジェームス……多くの人に助けられた。

 そして何より、悪魔であるルディの力が大きかった。

 だから、普段は口にできない気持ちを伝えたのに。


「お前が俺に素直に礼なんて、珍しいな」

 

 と、鼻で笑われた。

 その上。


「他にも俺に言いたいことがあるんじゃないのか? 感謝の気持ちならいくらでも聞いてやるぞ」

 頭にのせられた重みが消えたかと思うと、魔性の美貌が目の前に現れる。

 顔を覗き込まれて、ティアレシアは反射的に帽子を盾に顔を隠す。

「う、うるさいわね。もうないわよ」

「俺はある」

 やけに真剣な声音で言うものだから、思わずルディの方を見てしまう。

「な、何よ」

「……」

 ルディはにやりと口元に笑みを浮かべたまま手を伸ばし、ティアレシアの唇に親指でそっと触れた。

 そして、その指にきらめく砂糖を赤い舌でぺろりと舐める。


「唇をこんなに甘くして、そんなに俺に食べられたかったのか?」


 キスをされた訳ではない。それなのに。

 どくん。

 色気たっぷりの視線に射抜かれて、心臓が暴れ出す。

 鼓動に合わせて頬がどんどん熱くなる。

 それは、はしたなくも唇に砂糖をつけていた羞恥だけでなく、ルディの色香にあてられたせい。

 復讐のためにと何度もキスを交わしているのに、その時よりも恥ずかしいのは何故だろう。


 ――これからは、魂だけでなく”心”まで捧げたいと思わせてやる。


 きっと、あんなことを言われたせいだ。


「ふっ、じわじわ攻めるのも楽しめそうだな」


 あたふたするティアレシアを見つめながら、ルディは意地悪な笑みを浮かべた。


 そのとき。

「お~、随分賑わってるなぁ」

 近くで聞き覚えのある声がした。

「ブラットリー!」

「ん? ティアレシア様じゃないか」

 こちらに気づいて手を振ったのは、かつてクリスティアンを支えていた元近衛騎士団長ブラットリー。

 太陽のような明るい笑顔は健在だ。

 そして、彼の隣には緊張気味のフランツがいる。

「ティアレシア様、どうしてあなたが? 護衛はいるのですか?」

「ルディがいてくれるから大丈夫よ。それよりも、せっかく会えたのだし、みんなで回らない?」

 ティアレシアの提案に喜んで頷いたのはブラットリーだけだったが、否を唱える者はいなかった。

 そうして、四人は以前とは違う王都を歩く。

 旅芸人が音楽を奏で、踊り。

 美味しそうな匂いに誘われて、露店を冷やかし。

 吟遊詩人は新国王ジェームスを讃える歌を歌う。


「クリスティアン様にも見せてあげたかった」


 ぽつり、とフランツがこぼした呟きは、きっと誰にも聞かせるつもりのないものだった。

 しかし、皆がその言葉に時を止めたように静かになる。


「俺たちは、クリスティアン様の笑顔を取り戻すことはできただろうか」


 かつて彼らが守ろうとした主は、もういない。

 目を閉じれば思い出す、柔らかな笑顔。

 絶望に落とされ、苦痛にさいなまれ、その花は萎れてしまったけれど。

 けっして、諦めることはなかった。


「えぇ、きっと。みんなのおかげで、クリスティアン様は笑っているわ」


 ありがとう。

 クリスティアンのために立ち上がってくれて。

 信じてくれて。

 今でも思い出してくれて。


(それだけで、私は――クリスティアンは、幸せよ)


 ティアレシアは目に涙を浮かべながらも、心からの笑みを浮かべた。


「新国王ジェームス様、万歳っ!」

 

 王城にいるジェームスへ向けて、人々は叫んだ。

 その声と同時に、フラワーシャワーが王都のあちこちで降り注ぐ。


「ブロッキア王国に栄光あれ!」


 ティアレシアたちの周りにも、きれいな薔薇の花弁が舞う。


 純粋な愛が降り注ぎますように。

 幸せな未来がありますように。


 人々の願いが託された、クリスティアンの薔薇が。

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