第37話 尊敬する先輩方
――二月十五日の朝八時頃の、セドリック様の様子を教えてください。
『はい。セドリック様は、いつものようにモーニングティーを飲まれていました。でも、突然苦しみだして、気を失ってしまったのです』
――その日のセドリック様に、変わった様子はありませんでしたか。
『そういえば、今日はエイザック侯爵様にもらった貴重な茶葉がいい、とおっしゃっていました。まさか、あの茶葉に毒が盛られていたなんて……』
事件が起きてすぐ、セドリックに紅茶を淹れた侍女から調書を取り、王立騎士団長であるヴァルトは小さく息を吐いた。
まさか、と言いたいのはこちらの方である。
女王の祖父であるボーン・エイザックが、これほどまでに分かりやすく暗殺などしようとするだろうか。女王の夫暗殺未遂事件の報を受けてから、ヴァルトの眉間の皺はとれそうにない。補佐官が丁寧な字で綴った、先程の会話を読み返し、ヴァルトは再び息を吐く。何度見ても、そこにはボーン・エイザックの名がある。
証言がある以上、彼を調べるのがヴァルトの義務だ。王立騎士団長として王都の治安維持を任されていたが、ベルゼンツが女王陛下の側から離れられない以上、もう一人の騎士団長として、ヴァルトがこの事件を調べなければならない。ただでさえ、私用で調べ物が立て込んでいるというのに、こんな大事件を任されては、しばらく私用で動くのは控えなければならなくなった。
「それで、エイザック侯爵の身柄は拘束できたのか」
書類から視線を外さず、ヴァルトは入って来た部下に訊ねる。
「はい。かなり激しく抵抗したようですが、相手は老人でしたので、すぐに身柄は拘束できました」
「そうか、ならいい。話を聞こう。侯爵を連れて来い」
「侯爵の話もいいが、俺たちの話も聞いてくれないか?」
その声に、ヴァルトは反射的に書類を手放し、腰の剣に手をかけた。しかし、相手の方が上手で、ヴァルトの首には鋭く光る剣が向けられていた。その剣の持ち主を見て、ヴァルトは息を呑む。
「どうして、あなた方が……」
騎士団長室に入って来たのは、一人ではなかった。ヴァルトに剣を向けている男と、もう一人じっと様子を伺っている者がいた。そして、そのどちらもヴァルトに強い衝撃を与える者たちだった。信じられなくて、無理矢理振り絞った声はかすれていた。剣は、ヴァルトの手から零れ落ちた。それを見て、相手も剣を下ろす。
「久しぶりだな。俺を覚えているか」
にかっと笑う、体格のいい男は、昔と何も変わっていないように見えた。一つにまとめている金茶色の髪はかなり伸びているし、髭も生えているが、その人が纏う明るい空気は何も変わっていなかった。忘れるはずがない。
「……ブラットリー騎士団長」
「元、だがな。相変わらず難しい顔してんな、ヴァルト」
そして、その冗談めかした口調も同じだった。
死の監獄から、病死したという報を受けた直後に、まさか本人に会うことになろうとは思わなかった。
「これは、元からです」
十六年前まで、ブラットリーとヴァルトの間ではお馴染みとなっていた台詞を、また言うことになろうとは。様々な疑問は浮かんだが、ブラットリーが生きていてくれて嬉しかった。しかしその感情をうまく表現することはできず、眉間の皺はどんどん深くなっていく。
「はは、相変わらずかわいい奴だなぁ」
そう言って、ブラットリーはヴァルトの頭をくしゃくしゃと撫でる。そのせいで、整えていた茶色の髪はぼさぼさだ。
「ブラットリー様、ヴァルトと遊んでいる時間はありませんよ」
後ろに立っていた男が、前に出てくる。その人を見て、ヴァルトは頭を下げた。近くで、ブラットリーがおいおい何で俺には頭を下げなかったんだ、と笑っている。
「フランツ様、申し訳ありませんでした」
先代女王クリスティアンの騎士であり、友人であったフランツは、ヴァルトの直属の上司だった。ヴァルト自身は、女王クリスティアンとは直接の関わりはなかったが、ことあるごとにフランツがクリスティアンを褒めちぎるので、ヴァルトは間接的にクリスティアンに親しみを抱いていた。
しかし、十六年前庇い切ることはできなかった。ヴァルトは自分の意志を強く持っていたが、組織にいる上では、騎士として主君の命に忠実であることが正義だと信じていた。
だからこそ、近衛騎士団が調べた結果クリスティアンが首謀者であるなら、そうなのだろうと受け止めた。しかし、シュリーロッドの治世では国民の苦しみや不安は増すばかりで、ヴァルトにできることはせいぜい犯罪者を捕らえて罰することぐらいだった。ブラットリーやフランツならば、と考えたことは数えきれないほどある。そうしていつも、尊敬する二人が信じたものではなく、女王という権威に従った愚かな自分を恥じていた。
指名手配されていたフランツの捜索の手を緩めていたのは、せめてもの償いだった。しかし、ヴァルトがフランツを追い詰めようとしていた事実は変わらない。怒声を浴びる覚悟をして、ヴァルトは頭を下げていた。
「顔を上げろ。お前のせいではない。だが、もしお前が少しでも俺達を信じてくれるというなら、力を貸してほしい」
フランツは怒った様子ではなく、ただ真摯にヴァルトの助力を求めていた。
「私でよければ……と言いたいところですが、今は無理です」
「セドリック様のことか。俺達がやろうとしていることにも、関わりがある」
ブラットリーの言葉に、ヴァルトはさらに眉をひそめる。セドリックが毒を盛られたことについては、箝口令をしいた。それなのに何故、と問おうとして、ヴァルトは気付いた。
「まさか……」
「さすが、察しがいいな」
そう言ってブラットリーが笑ったのを見て、ヴァルトは確信した。
「先輩方がこだわっている、十六年前の事件に、エイザック侯爵が関わっているのですね。そして、そのためにセドリック様を利用している」
「あぁ、そうだ。真に裁かれるべきだった者たちが、あと二人いる」
フランツが静かに目を伏せた。それは、身体の内でのた打ち回る激しい感情をやり過ごす時に彼がよくする仕草だった。
「自分の父親の不正を暴こうとしているお前なら、俺たちの話を聞けばきっと協力してくれるはずだ」
はっとして、ヴァルトは机の上に置いていた書類に手を伸ばす。
それは、父ゼイレン伯爵が国民から納められた税金を横領している可能性を示すもので、金額や公式書類との誤差が細かく書かれている。急なことで、片付けるのを忘れていた自分の失態だ。ヴァルトは頭を抱えたくなった。ブラットリーは、大ざっぱに見えて意外と細かい部分をよく見る男だ。もはや隠すこともできず、ヴァルトは諦めの溜息を吐く。
「わざわざ私のところに来たということは、王立騎士団長としての立場が必要なことなのでしょうね。そして、その件にはおそらく、父も関わっている……あぁ、最近は知りたくないことばかり教えられますよ。でも、もう目を背けたりはしません。私も覚悟を決めたのです」
ヴァルトは大きく息を吐いて、二人の先輩を見た。これから聞く話は、きっと二人が会いに来てくれたことよりも衝撃的な内容かもしれない。ヴァルトが力になれることではないかもしれない。
それでも、ヴァルトは二人のように、自分の信じた道を真っ直ぐに走っていける、意志の強い人間になりたいのだ。
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