第47話 復讐の結末

 春の陽光を遮るように振り上げられた、黒く重い大きな斧。処刑人の口元には、笑みが浮かんでいた。

 死の監獄の中央にある処刑場にいるのは、三人の人間だけだ。

 一人は今にも斧を受けようとしている罪人、シュリーロッド・ローデント。

 いつもの赤いドレスではなく、みすぼらしい麻のドレスを身にまとい、きつく縄で縛られている。目元は泣き腫らしていて赤く、艶やかだった蜜色の髪も、今は乱れて見る影もない。


「お姉様、十六年前とは立場が逆ですね」

 にっこりと可愛らしく微笑んでシュリーロッドを見下ろすのは、海色のドレスを着たティアレシア・バートロム。

 その魂は十六年前、この処刑場で無実の罪で首をはねられたクリスティアンのものである。

「クリスティアン……お前は死んだはずよ!」

「言ったでしょう? お姉様を許さない、地獄に堕とす、と」

 シュリーロッドの身体は震えていた。カサカサの唇は怒りのためか強く引き結ばれ、血がにじんでいる。

「ねぇ見て、お姉様」

 そう言って、ティアレシアは右手を見せた。その掌には、黒い蛇の刺青が入っている。

「それは……!」

「えぇ、もうチャドはお姉様の悪魔ではないわ。私のものよ」

 封印をやり直したティアレシアに、チャドの手綱は移った。彼はまだ目覚めておらず、大聖堂の地下で眠っている。

「お姉様、いいことを教えてあげる。お姉様が私にしたことはすべて無駄だったの。お姉様はお父様に愛されていたし、決して孤独ではなかったわ」

「嘘よ! お父様はお前を王にしようとしたじゃない。それに、お母様はお前のせいで自殺したのよ」

「お姉様、そんな嘘を信じていたの? レイネ様は自殺ではなく、病死よ」

「いいえ、お前の言うことなど信じないわ!」

「カルロが看取っているもの。間違いないわ。お姉様に、そんな嘘を吹き込んだのは、きっと私が次期国王になるのが許せなかったエイザック侯爵かしら?」

 シュリーロッドは、実の祖父に妹への劣等感を利用されていたのだ。レイネ妃は、大切な娘をおいて逝くような人ではない。それは、父の口から聞くレイネ妃の話からも明らかだった。シュリーロッドは、誰を恨まなくてもよかったのだ。


「お父様は、王になることが、お姉様の幸せだとは思っていなかったの。お父様は、お姉様の幸せを願っていたから」

 国王エレデルトは、二人の娘を愛していた。

 はじめての娘であるシュリーロッドには、王族として厳しい教育を受けさせていた。その分、エレデルトは娘を甘やかしていたが、シュリーロッドは自分が甘えすぎていることに気づかずに成長していた。そして、クリスティアンが生まれてからも、すべてはシュリーロッドの思い通りに進んでいた。

 しかし、シュリーロッドとは性格の違うクリスティアンが成長するにつれ、エレデルトの中にはある不安が生まれていた。

 シュリーロッドが王になれば、国民たちの反乱を生むかもしれない……と。国民を愛し、愛され、守る立場にいる王が、国民から見放されてはならない。そうなれば、シュリーロッドが傷つくことになる。だから、エレデルトは正妃の娘でもあるクリスティアンを次期王としたのだ。シュリーロッドが自由に、好きなように生きられるように。

 しかし、そんな父の想いは伝わらず、残酷な痛みをシュリーロッドに与えてしまった。

「お姉様が本当に欲しかったのは、王座ではないでしょう? ただ、独りが嫌で、誰かに見てほしくて、愛されたかっただけなのよね。でもね、誰もお姉様を愛していなかったんじゃない。お姉様が愛しているのは、自分自身だけだったのよ」

 ティアレシアの言葉を聞く度に、シュリーロッドの呼吸が乱れる。息苦しそうに、吐息をこぼす。自分が手放してしまったものに苦しむシュリーロッドに、ティアレシアはさらに言葉を重ねる。

「クリスティアンはね、お姉様のことが大好きだったわ。優しくされたことはなくても、ただ一人のお姉様だったもの。それに、美しくて、気高くて、私の中のお姉様はいつもきらきら輝いていた。あの日、すべてを壊されるまでは」

 なんて不器用な姉だろう。目を向ければ、見えたものがあったのに。求めるものは、きっと手に入ったのに。

 いつか、誤解が解けたかもしれない。

 仲の良い姉妹になれたかもしれない。

 家族みんなで笑い合える、そんな未来があったかもしれない。


「どうして、お前が泣いているの?」

 ぽつり、と言葉を零したシュリーロッドは、本当に驚いているようだった。自分の涙には気づかないふりをして、ティアレシアはシュリーロッドを睨みつける。

「……やっぱり、お姉様のことは許せないわ」

 ティアレシアが処刑人に目配せすると、彼は重い斧を降り下ろした。

「だから、簡単には殺してあげないの」

 落ちたのは、シュリーロッドの首ではなく、蜜色の長い髪。

 何故、どうして……と口を震わせるシュリーロッドの姿は、あまりにも無力だった。

 ティアレシアはシュリーロッドに近づいて、人の気持ちなんて分からない、憐れな姉の体を強く抱き締めた。

「憎い妹に同情されるなんて、屈辱的でしょう? それに、ジェームス王の治世に血は流れてほしくないの。お姉様のためではないわ」

 ティアレシアは、腕の中で固まってしまったシュリーロッドにそっと囁く。

「本当に、お前は憎らしい妹だわ。普通、罪人を抱きしめたりしないでしょう。あぁ、みんな、こうやってお前の甘過ぎる蜜にからめとられてしまうのね……」

 シュリーロッドは、かすかに笑みを浮かべた。

 それは、今まで一度も見たことがない、優しい笑みだった。ティアレシアはその笑顔を見て、また涙をこぼす。

 本心は誰にも言わない。ずっと、シュリーロッドに見てほしいと思っていたのはクリスティアンの方だったなんて、絶対に言わない。


「うおぉぁぁぁぁ……!」


 突然聞こえてきた叫び声が、ティアレシアの背後に迫る。ティアレシアが振り返る前に、シュリーロッドが立ち上がり、ティアレシアの体を押した。何が起きたのか分からずに、ティアレシアは周囲を確認する。

「セドリック……?」

 囚われているはずのセドリックが、血に濡れたナイフを持って震えている。青ざめた顔で、彼は何かを呟いている。

「ティアレシアは、俺のものだ……俺が死ぬなら、ティアレシアも一緒だ!」

「わたくしの、愛しい人。あなたは、わたくしのものでしょう?」

 シュリーロッドが両腕を縛られたまま、セドリックの体に倒れこんだ。それにより、彼が持っていたナイフも彼自身に突き刺さる。

「……ぅ、何を……!」

 そんな声が聞こえたかと思うと、二人の身体は壊れた人形のように地面に転がった。折り重なるようにして倒れた二人は、ティアレシアが大嫌いな赤色に染まっていく。

「……お姉様っ!」

 ティアレシアはセドリックには見向きもせずに、倒れたシュリーロッドの体にすがりついた。

「だめよ! これから、お姉様には生きて、お姉様が壊したものを、ブロッキア王国の平和を見てほしいのに……死なないで!」

 それが、ティアレシアの復讐だった。

 自らが壊したものの尊さを、どれだけの人を苦しめ、どれだけの人生を狂わせ、どれだけの罪を犯したのか、シュリーロッド自身に分からせたかった。このまま死ぬなんて、許さない。憎んでいた妹を守って死ぬなんて許さない。

「ふふ、クリスティアン、わたくしはお前の復讐で、お前のためには死んであげないわ。愛する者のために、自分で……死を選ぶの」

 そう言って、シュリーロッドはティアレシアにきれいな微笑みを向けた。

 最期まで、シュリーロッドは誇り高く美しい姉のまま、逝ってしまった。

 ティアレシアは、シュリーロッドの亡骸を抱きしめて静かに涙を流した。


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