第10話 最初の敵意
キン、という音があちこちで響き、踏みしめる足音と人の息遣いが聞こえてくる。
「打ち合い、止めっ!」
その号令で、すべての音が消えた。そして、その号令をかけた人物の元へ騎士たちが集合する。
(もう少し見ていたかったのに……)
こっそり騎士たちの訓練を見学しようと思っていたクリスティアンは、号令をかけた騎士団長ブラットリーをむっとした表情で見つめた。ブラットリーは、熊のように大柄な身体をして、人当りのいい明るい笑みを浮かべている。刈り上げられた金茶色の髪、騎士たちを見つめる優しい藍色の瞳を持つ彼は、誰からも信頼と尊敬を集めていた。もちろんクリスティアンも、ブラットリーのことが大好きだ。
「みんな、クリスティアン王女が来てくれたぞ」
おぉぉ! とクリスティアンの訪問を喜んでくれている騎士たちに、クリスティアンは笑いかける。
「みなさま、いつも訓練お疲れ様です」
お辞儀をするクリスティアンに、騎士たちも恐縮したように頭を下げた。そして、その騎士の中にフランツの姿を見つけてクリスティアンは走り寄る。フランツとは、クリスティアンが王城内で木から降りられなくなった猫を助けている時に出会った。猫と一緒に助けられたのは恥ずかしい思い出だが、その時から仲良くしている。
「フランツ! お疲れ様」
「ありがとうございます」
フランツは優しい笑顔で頭を下げた。
「ブラットリー、フランツを少し借りてもいいかしら?」
「どうぞ。……フランツ、クリスティアン王女に何かあったらただじゃおかねぇぞ」
クリスティアンのお願いに、ブラットリーは笑顔で了承してくれた。フランツには低い声で脅しをかけていたが。そして、クリスティアンは戸惑うフランツを引っ張っていく。
「クリスティアン様? どこへ……」
クリスティアンがフランツを連れてきたのは、〈
「お父様! チャド! フランツを連れてきたわ」
部屋に入るなり、クリスティアンは笑顔で父エレデルトと側近のチャドに言葉を向けた。
「ほお、君がクリスティアンの友達か」
執務机から顔を上げ、父がフランツを見て言った。
「フランツ・ビレギッシュと申します」
国王の前に連れてこられて緊張状態のフランツだったが、名指しされて黙っている訳にもいかず、頭を下げて挨拶をした。
「陛下、誠実そうな青年で安心ですね」
銀の眼鏡をかけ、色素の薄い茶色の髪を肩まで伸ばし、細い目をさらに細めているチャドが言った。チャドは、三十代前半とまだ若いにも関わらず、国王の側近、そして宰相として優秀だ。チャドの言葉を受けて、エレデルトは頷いた。
「あぁ、いい眼をしている。フランツ、いずれクリスティアンは女王になる。どうか家臣としてではなく、友人として娘を守ってほしい」
国王直々にそんなことを言われ、フランツは驚いて言葉も出ないようだった。しかし、すぐに気を取り直して、大きく頷いた。
「もちろんです! この命に代えても、クリスティアン王女殿下をお守りします」
「フランツ、命はかけないでね」
「……は、では、この命ある限り、クリスティアン王女殿下のために」
クリスティアンの訂正を挟みながら、フランツは国王に誓いを立てた。
国王の執務室から出て、フランツは大きく息を吐いた。よほど緊張していたのだろう。
「急にお父様に会わせてごめんなさいね。でも、友人を紹介したかったの」
「いえ、謝らないでください。クリスティアン様の側にいたいと思えば、いずれ国王陛下とお会いすることになったでしょうし、その時期が少し早まっただけです」
フランツは、まだ近衛騎士に任命された訳ではない。しかし、フランツはいずれ必ず近衛騎士になってクリスティアンの騎士になる、とクリスティアンは信じていた。そして、フランツもそのつもりで頑張ってくれている。
「ありがとう。私もきっとフランツが近衛騎士として守る価値のある立派な王女になるわ」
「クリスティアン様は、今のままで十分立派な王女様ですよ」
真っ直ぐなフランツの言葉が、とても嬉しかった。その想いに応えられるような王女であろう、とクリスティアンは改めて思った。
「あら、クリスティアンではないの」
玄関ホールに降りていたクリスティアンの頭上から、聞き知った声が降ってきた。クリスティアンは階段の上に向かって声を張る。
「お姉様! どうなさったの?」
「別に。何かおもしろいことがないか探していたところに、あなたを見つけただけよ。その男は誰?」
その男、と指されたフランツは、第一王女であるシュリーロッドに頭を下げた。
「王立騎士団に所属しているフランツ・ビレディッシュと申します」
「へぇ……何の勲章も付けていないってことは、新入りか、よほどの役立たずなのね」
シュリーロッドはフランツを見て薄く笑った。フランツはその言葉にじっと耐えている。フランツの騎士という立場で王女であるシュリーロッドに意見することは許されない。クリスティアンはフランツを庇うように前に出て、姉を見上げた。
「お姉様、私の友人を悪く言わないでください!」
「なら、その騎士が役に立つのか私が確かめてあげるわ」
そう言うなり、シュリーロッドはドレスの内側からナイフを取り出し、クリスティアンに向かって投げつけた。王女である姉が、刃物を扱うことなどないはずなのに、ナイフの軌道は的確にクリスティアンの心臓を捉えていた。そして、驚いて動けずにいるクリスティアンの前に、黒い影が覆いかぶさる。
「フランツっ!」
クリスティアンを抱きしめるようにしてナイフから庇ったフランツの首は、ナイフがかすめたためか血まみれだった。太い血管が切れたのかもしれない。フランツの首筋をドレスの袖で抑えるが、生地が赤く染まるだけで、血は止まってくれない。訓練中のフランツを突然連れ出したために、彼は武器を持っていなかった。剣があれば、フランツが身体を盾にすることもなかったかもしれない。クリスティアンのせいだ。
でも、一番の原因は……。
「お姉様! ひどすぎるわ!」
泣きながら、クリスティアンは姉を睨む。しかし姉は特に気にした様子もなく、笑っていた。
「ふふ。そのナイフにはね、傷が塞がりにくくなる毒が塗ってあるの。なかなか血は止まらないと思うわ。面白いものを見せてくれてありがとう」
クリスティアンが十三歳の時、シュリーロッドから感じた最初の敵意だった。
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