第9話 裏街での再会

 居酒屋の薄暗い店内に入った途端、客の視線はティアレシアとルディに集まった。

 まだ昼間だというのに、店内はほぼ満員だった。酒瓶を片手に、顔を赤くした男達はティアレシアを見てにやりと笑う。どの客も完全に酔っぱらっていた。酒と煙草の匂いに、ティアレシアは顔をしかめる。想像はしていたが、実際こういう場所に来るのは初めてであるティアレシアは、内心かなりびくついていたが、そんな素振りを全く見せないように背筋を伸ばして奥のカウンターを目指す。

「若いお嬢ちゃんが何でこんなところに来ちまったんだ?」

「べっぴんさんだなぁ。俺と一緒に飲もうや」

 すれ違うテーブルの男たちに声をかけられるが、すべて無視した。ティアレシアとしては、店内の隅っこで目立たず客の会話を盗み聞きしようと思っていたのだが、どういう訳か店内に入っただけで注目を浴びてしまった。これでは、話題の中心はティアレシアになりかねない。ほとぼりが冷めるのを待つか、別の酒屋に移動するか、とティアレシアは思案するも、一先ずカウンター席に着いた。隣にはルディが座る。その向こうにはフードを目深に被った体格のいい男が一人座っており、店内の騒ぎなど気にせず、黙って発泡酒を口にしていた。

「で、注文は?」

 無愛想な男の店員がティアレシアに注文を聞く。店に入っての情報収集のことしか考えていなかったために、ティアレシアは何を注文するか考えていなかった。慌ててメニューを見るが、酒屋だけあってほとんどアルコール入りで、料理もこってりしたものばかりだ。ティアレシアがじっとメニューと睨めっこしていると、呆れたルディが店員に注文する。

「そこの兄ちゃんが飲んでるのと同じやつとソーダもらえるか?」

 注文を取った店員はさっさと調理場に行く。

「ちょっと、お酒飲むつもり?」

「酒屋に来たんだ、当然だろ。それに、酒飲まねぇとますます怪しまれるぜ?」

 ルディの言葉で、後ろをちらりと確認する。入り口から真っ直ぐ通り過ぎてきたテーブルの客たちは、まだティアレシアのことを観察していた。若い令嬢が昼間から居酒屋に足を運ぶことの不自然さに、今更ながら気付いたティアレシアである。

「そうね。あなたの言う通りだわ」

「まぁ、ここにいる連中もあんたが守りたかった国民だろ? せっかく注目を浴びてんだから利用すりゃいい」

 にやっと笑うルディに、ティアレシアは目を見開いた。確かに、誰がどんな会話をするかじっと聞き耳を立てているよりも、直接的に聞いた方が何か得られるかもしれない。ティアレシアは店員を呼び、追加の注文を頼む。店員は驚いたような顔をしていたが、すぐに調理場に行き、注文の品をテーブルに運ぶ。

「おいおい、俺は注文してねぇぞ」

 そんな声があちこちから聞こえてきたのを確認して、ティアレシアは振り返る。

「それは、私から皆さんにとお願いしました」

 にっこりと笑うティアレシアに、男達はぽっかりと口を開けている。

「乾杯、しませんか?」

 その言葉で、客たちはわっと歓声をあげた。

「太っ腹なお嬢ちゃんに、乾杯!」

 店内の客たちがグラスをぶつけ合い、豪快に飲み干す。一様に機嫌のよさそうな表情を浮かべる男たちに、ティアレシアは頃合を見て話しかける。

「実は私、皆さんに聞きたいことがあります」

 騒がしかった店内でも、ティアレシアに注目していた客たちはすぐに静かになった。

「どうした?」

「何でも聞いてくれや」

 その好意的な答えを聞いて、ティアレシアは口を開く。

「皆さんは、シュリーロッド女王陛下のことをどう思いますか?」

 女王シュリーロッドの名が出た途端、にこやかだった皆の顔が強張った。しん、と静まり返った店内で、ただ一人、ぽつりと言葉を零した者がいた。

「まさに〈悪魔の女王〉だ」

 その言葉を吐いたのは、カウンター席の奥にいたフードの男だった。ティアレシアはその真意を聞こうとするが、彼の言葉を皮切りに、脅えていた客たちは口々に不満を言い始めた。

「あれは、本当に〈悪魔の女王〉だ……俺らの生活なんてこれっぽっちも考えちゃいねぇ」

「そのくせ、時々貴族連中にこの裏街を視察させて儲けを全部持っていっちまう」

「この前だって、女王陛下の命だとかいって『ルビーの館』の娼婦が一人王城に連れていかれたらしいじゃねぇか」

「あぁ……その前に連れていかれた娘も帰ってきてないと聞くし、王城で何をされているか分かったもんじゃねぇな」

 娼婦が王城に連れて行かれている、ということは初耳だった。裏街のことだから隠蔽されているのかもしれない。ティアレシアが考え込んでいると、話題は処刑されたクリスティアン女王に変わっていた。

「それにしても、クリスティアン様は本当にエレデルト様を殺したのか?」

「さぁね。どちらにせよ、今のシュリーロッド女王の治世よりも平和だっただろうよ」

 違いねぇ! と男達は笑う。もう十六年も経てば、処刑された女王のことも笑い話になってしまうのか。感情的になるまいと、ティアレシアは唇を噛み締める。しかし、会話だけはしっかりと耳に入れていた。ルディは注文していた発泡酒を満足そうに飲んでいる。ティアレシアは今、何を口にしても味を感じられる自信がなかった。

「そういや、クリスティアン女王が犯人ではないと主張していた者がいたような……」

「あぁ、カルロ医師だろう?」

 その会話を聞いて、ティアレシアはカルロの名を出した男に詰め寄った。

「今、カルロ医師とおっしゃいました?」

「お、おぅ……」

「カルロ医師がどうしたというのですか?」

 彼は、国王暗殺事件とは関係のない人物だ。ティアレシアとして、クリスティアンのことを調べた時にも、カルロの名はなかったはずだ。それなのに何故、ここで名が挙がるのだ。

「お嬢ちゃん、若いし知らないのも無理はないか」

「カルロ医師はクリスティアン女王が国王暗殺の首謀者ではないとずっと訴え続けていたんだよ……その結果、投獄され、その存在を社会的に抹殺された」

「あの当時、クリスティアン女王を庇う発言をした者は罰せられ、今やクリスティアンという名が禁句となっているからなぁ」

 カルロはこの国に必要な医師だ。クリスティアンのことなど放っておけばよかったのに、優しい彼はそうしなかったのだ。

「それで、どうして侍従を連れたお嬢様がシュリーロッド女王について知りたがる?」

 カウンターの奥に座っていた男が、いつの間にかティアレシアの側に来ていた。その男は身体つきがしっかりしていて、背も高いために見下ろされているティアレシアはかなりの圧迫感を感じる。フードのために顔はよく見えないが、その影から覗く双眸にはどこか懐かしさを感じた。

「ただ、本当のことが知りたかっただけです。この国の人はみんな、女王のために嘘をついているから……」

 ティアレシアの言葉に、目の前の男が息を呑むのが分かった。周りに集まっていた客たちも、罰が悪そうな顔をする。

「あなたのおかげで目が覚めました」

 そう言って、男は被っていたフードを外す。どこか見覚えのあるこげ茶色の短髪、ティアレシアを映す橙色の瞳、首筋に傷跡を持つその男を見て、今度はティアレシアが息を呑む番だった。

(フランツ……⁉)

 思わず叫びそうになる口を、手で抑える。

 クリスティアンの近衛騎士であり、友人だったフランツ・ビレギッシュが目の前にいた。

 クリスティアンの二歳上だったフランツは、十六年経った今、三十四歳になる。クリスティアンの知っているフランツは、顔立ちも整っていて、雰囲気も明るい好青年だったが、大人になった彼の顔には当時の明るさはなく、その瞳も暗く、どこか闇の中をさ迷っているようだった。かつての友人の成長した姿に、ティアレシアはしばし目を奪われていた。元々整った顔立ちをしていた彼は、暗い表情でも、大人の男性としての魅力を損なってはいなかった。しかし、目が覚めたとはどういう意味だろうか。

「俺は今日、王城に出向きます」

 フランツはそう言うと、フード付きのローブを脱いだ。彼が着ていたのは、クリスティアン女王の近衛騎士の騎士服だった。紫がかった赤色の騎士服の胸元には、クリスティアンが不器用ながらに縫い付けた刺繍がある。

『フランツを守ってくれますように……』

 その刺繍は黄色いサンダーソニアの花。クリスティアンは祈りを込めて、初めて刺繍をした。じっと刺繍を見ているティアレシアに気付いて、フランツは少し頬を緩めた。

「この刺繍は、クリスティアン様にしていただいたものなんです。サンダーソニアという花らしくて、花言葉は……」

「祈りや祝福」

 フランツの言葉を遮って、ティアレシアが言った。

「御存じでしたか」

 ティアレシアは、えぇ、と適当に相槌を打つ。サンダーソニアの花を選んだのはクリスティアンだ。知らないはずがない。フランツが近衛騎士になったお祝いに、とクリスティアンが考えた贈り物だったのだから。クリスティアンは、本当にたくさんの人に守られて生きてきた。最期は姉に裏切られて処刑されてしまったけれど。クリスティアンの処刑後も、ずっと彼は忘れていなかったのだ。

「王城に出向く、というのはどういうことですか?」

 ティアレシアはフランツを見上げて問う。

「すべては、クリスティアン様を守れなかった俺のせいだ。ずっと逃げていましたが、あなたの言葉でようやく決心がつきました。俺は、真実を知る者として、王城に出向きます」

 ティアレシアをはじめとして、フランツの言葉に耳を傾けていた客たち、店員たちが驚愕の表情を浮かべる。十六年前の真実を知るというクリスティアンの騎士が、こんな裏街の居酒屋にいたことに、そして何より自分から女王のところへ行くという行動に、みな信じられないという思いでフランツを見つめていた。

「真実を知ろうとしてくれてありがとう、優しいお嬢さん」

 そう言うと、フランツはカウンターに代金を置いて店を出て行った。

 客たちと同じようにその背を見送ってしまったティアレシアも、慌ててお金を店員に渡し、まだ飲んでいたルディを引っ張って、フランツを追うように店を出た。

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