第8話 自分のもの

 生誕祭の翌日、ティアレシアは王都ローゼクロスを歩いていた。

「ジェロンブルクとはえらい違いだなぁ」

 いつの間にか、隣にはルディがいる。ルディはいつも神出鬼没だ。ルディの魔力を体内に有しているため、ティアレシアの居場所は彼にすぐにバレてしまうのだ。

今日もルディはそのまま闇に溶け込んでしまいそうな漆黒のスーツを身に着けている。しかし、色白の肌と整った顔は眩しい。

 いじわるく唇を歪めたルディを見て、ティアレシアは昨晩のことを思い出す。

唇に感じた熱い吐息と、身体を抑えつけるルディのたくましい腕、そして何よりもこの魂はルディの気分次第で消えてしまうのだという恐怖――。

 昨晩、ルディは悪魔なのだ、とティアレシアは再認識した。

(そういえば、ファーストキス……だったわね)

 純情な乙女だったクリスティアンならば、ファーストキスを婚約者以外の者に奪われたとなれば取り乱していただろうが、復讐のために生きているティアレシアにとっては大したことではない。しかも、相手は悪魔だ。気にしても体力と時間の無駄だろう。

(やっぱり、全く気にしてないのね)

 隣を歩く、背の高いルディを見上げる。その横顔はいつも通りにやけていて、何か悪巧みでも考えていそうだ。口付けた相手が全く気にしていないのに、ティアレシアばかり気にするのも癪だ。

 気を取り直して、ティアレシアは昨晩のことを頭から完全に追い出して答えた。

「当然でしょう。ここがブロッキア王国の中心なのだから」

 二人が歩いているのは、王都の南側にある商業街だ。王国内外で集められた珍しい品物を扱う店から生活用品を扱う店まで、様々な店が並んでいる。きちんと整備された道は太く、昼間ということもあり馬車や人が多く行き来している。

「この商業街には何でも揃っているらしいわ」

 貴族御用達の店もあれば、庶民向けの店もあり、どんな身分の客でも受け入れる――それがこの商業街のポリシーだった。シュリーロッドが女王になるまでは。

「でも、これじゃあ何も買えないわね」

 ティアレシアはふと目に入った八百屋の価格を見て溜息を吐いた。この八百屋には、国民の生活に必要な食材が揃っている。しかし、何でも揃っていても、その値段は庶民には手を出せないものだった。道の往来で多くの人とすれ違っても、その身なりはどれも整っていて、どこかの貴族の屋敷に仕えている者だろうと思われた。

「シュリーロッドの治世を変えなければね」

 誰の手にも取られず、本来の価格以上で売られている品物を見て、ティアレシアは呟いた。


 ブロッキア王国の中心である王都ローゼクロスにも、やはり裏の世界というものが存在する。整備された道とは違い、狭く、入り組んだ道。柄の悪い人間が多いその裏通りを、ティアレシアは歩いていた。

「お前みたいに身綺麗にした女はここじゃ完全に浮いてるな」

 馬鹿にしたようにルディが笑った。地味なドレスを選んだはずだが、裏街などに縁がなかったティアレシアにはよく分からない。

「で、なんでこんな危ねぇ場所にお嬢様が来てるんでしょうかね」

 適当なルディの物言いに、ティアレシアは苛立ちを覚えるが、悪魔相手に本気で怒っても無駄だと心を鎮めて答える。

「貴族たちがお忍びで来たりするらしいし、裏街の情報は表には出ないものばかりだから、何か聞けるかと思って」

 王城内の情報はこれから侍女として得るとして、裏街の情報も知っておきたかったのだ。

「なるほどな。それで、どこに行く?」

 ルディが嬉しそうに問う。ティアレシアはそんなルディをひと睨みして口を開いた。

「人が集まるのは、やっぱり酒屋よね?」

 ルディが牽制になってか、幾度かすれ違う酔っ払いやゴロツキたちはティアレシアを見ても声をかけてはこなかった。違法な品物を売る店が並ぶ通りを抜けると、娼館や居酒屋の看板が多く集まる通りに出た。

「お兄さん、あたしと遊ばないかぃ?」

 先程まではルディのおかげで絡まれることはなかったのに、今度はルディのせいで客引きの女性を寄せ付けることになってしまった。

「いいねぇ……いつも色気のない小娘のお守りばかりだから、少しは俺も遊びてぇな」

「色気がなくて悪かったわね! さっさと行くわよ!」

 ティアレシアは口を尖らせ、ルディの腕を女性からもぎ取る。無理矢理ルディを引きはがすが、女性たちはしつこかった。

「行かないでよ、色男さん」

「こんな小娘じゃなくて、あたしとイイコトしましょうよ」

 その言葉を聞いて、ティアレシアは叫びたい衝動を抑える。

(そりゃ、悪魔ですからね!)

 悪魔は、人間を誘惑するものだ。甘い夢を魅せて地獄に堕とす。悪魔になど関わらない方がいいのに、女性たちはまんまとルディの虜になっている。まんざらでもなさそうなルディを見て、さらに腹が立つ。ティアレシアは、ルディの腕を離して一人で居酒屋へと向かうことにする。しかし、今度はその身体を後ろからルディに引き止められた。

「悪いね、きれいなお嬢さんたち。色気はなくても、俺はこの娘の魂に惚れ込んでるんだ」

 いつになく甘い声で、ルディが言った。

「なぁ、ティアレシア?」

 珍しく名前を呼ばれ、さらには耳元で優しく囁いて肩を後ろから抱かれるものだから、ティアレシアの顔は急に熱くなる。女性たちを諦めさせるためだとしても、ここまでやる必要はあるのだろうか。この悪魔、絶対にティアレシアのことをからかっている。その悪ふざけに付き合いたくはないのに、頬は真っ赤に染まり、心臓はうるさく喚く。

(セドリックの時はこんなことなかったのに!)

 かつての初恋であり、婚約者を思いだし、ティアレシアは一瞬で冷静になる。セドリックはクリスティアンではなく、シュリーロッドを選んだのだ。いつかルディもティアレシアの魂をさっさと奪って、別の誰かを暇つぶしの相手とするかもしれない。

 悪魔に期待してはいけないと分かっているのに、ルディのことは魂の契約によって裏切られることはないとどこかで確信していた。そのことに、今更ながらにティアレシアは気付き、結局は一人ではなく誰かに頼ろうとする自分が嫌になった。

「ルディ、手を離しなさい」

 ついさっきまでのドキドキも、頬の熱さも引き、ティアレシアは冷たくルディの手を払いのけた。それに対し、ルディは舌打ちをしたものの、何も言わずにティアレシアについて来た。ルディはまだ自分のものだ、とティアレシアはどこかほっとしていた。


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