第4話 王城
ジェロンブルクの田舎道を抜け、王都入口の門をくぐると、そこはもう別世界だった。
ブロッキア王国の王都ローゼクロス。
色とりどりの煉瓦屋根がかわいらしい街並みが広がり、王都全体が石畳の道で整備されている。そして、テーリャ河にかかる大きな橋を越えれば、王侯貴族たちの豪華な屋敷が点在する。テーリャ河によって、市民と貴族の生活区域は分けられているのだ。もちろん、その貴族の住む中心街にはバートロム公爵家の屋敷もある。領地を王都外に持っている貴族がほとんどなので、王城に仕事を持っている者以外は、王都の屋敷は滅多に使わない。王城で大きなイベント事がある時だけは、各地に散らばる貴族達が集まる。社交界は、情報交換の場としても重要だ。ティアレシアは、王都の屋敷には一度しか来たことがない。王都にいれば、クリスティアンの記憶が嫌でも蘇るから。
ティアレシアは社交界デビューする今まで、ずっと王都を避けていた。
「何も、変わっていないのね……」
王都の中心に建つ、巨大な王城グリンベル。山を削って建てられたために、その城は王都をすみずみまで見下ろせる。
『ここから街を見ると、すべてがわたくしたちにひれ伏しているように思えない?』
まだクリスティアンが次期女王ではなくただの第二王女だった頃。そう言って笑った姉の言葉を思い出し、ティアレシアは知らず険しい顔になる。たしかに、王城の塔から王都を眺めると、建物の屋根しか見えないために、屋敷や人々、そのすべてが王城にひれ伏しているように見える、かもしれない。
『いいえ、お姉様。この王城から見えるものすべてが、私たちを支えてくれているのよ』
姉の言葉を否定し、真っ直ぐクリスティアンはこう答えた。ティアレシアとしても、あの時と気持ちは変わらない。もっと城下を知りたかったし、もっと国民と触れ合いたかった。そうする前にクリスティアンは処刑されたが、ティアレシアならば簡単にそれができる。
ティアレシアが少しだけ目を輝かせたことを、王都への憧れからだと思ったジェームスはにっこりと笑みを浮かべて言った。
「屋敷の者には、五日間ほど滞在すると伝えてある。舞踏会が終われば、好きなだけ王都を観光するといい」
「ありがとう、お父様」
優しい父に、ティアレシアは柔らかく微笑む。しかし、その表情の裏には憎しみと悲しみ、そして怒りと後悔が渦巻いていた。
王城グリンベルの強固な門をくぐり、見事な庭園を進み、馬車は大広間へ続く大階段の前で止まった。女王の生誕祭ともあって、馬車も人もかなり混雑していた。
どの出席者も、女王の前で粗相がないように、と身なりを完璧に整えて来ている。招待状を大広間への入口で確認されている者達の顔には、一様に緊張の色が見られた。
それもそうだろう、あの女王の前に出るのだから。
ティアレシアも、父のエスコートによって階段を上っていた。後ろからは相変わらずにやにやと絞まりのない顔をしたルディがついてくる。
招待状のチェックをしていた騎士は、父の顔を見るなり笑顔になり、どうぞと中へ勧めた。やはり先々代国王の弟ともなると招待状ではなく、顔パスで通れるらしい。通してくれたのは、三十代くらいの騎士だった。ティアレシアが礼を込めて笑うと、何故か騎士は目をぱちくりさせて頬を赤く染めた。ぼうっとしている騎士を不思議な気持ちで見つめ、ティアレシアは大広間へ足を踏み入れた。
楕円形の広い大広間には、もうすでに何百という人々が集まって談笑していた。着飾った人々、用意された様々な御馳走、そして何より大広間の美しさに目を奪われる。天井を飾るシャンデリアは繊細で美しく、柱に刻まれた女神レミーアの彫刻は生きているようで、磨き上げられた床には華やかな幾何学模様が、天井には信仰するレミーア教の一場面が描かれている。太陽の神レミーアと、レミーアの双子の妹である月の神ルミーア神が互いに守護する昼と夜を照らし、人々がその光の恩恵を受けている。
まだクリスティアンであった頃、この天井画を見る度に、神話にあるレミーア神とルミーア神のように姉と手を取り合ってこの国のために在りたいと思っていた――そんな日が来ることはなかったけれど。
「おい、さっきの男、あれは完全にお前に見惚れてたな」
ルディの言葉に、なんのことかと思い返して、ティアレシアはあぁと声を漏らす。
「見惚れていた、というよりも驚いただけでしょう。この髪色に」
ティアレシアは淡々と言った。
ブロッキア王国の人間は、だいたいが金髪や茶髪で、銀色の髪を持つ者は一人もいない。ルディのような黒髪も、海を越えた東の方の国の人間の特徴で、この王国にもちらほら存在するから珍しいものではない。みな、一応常識として黒髪の存在を認めているのだ。
しかし、銀色の髪ともなると、前例がないために変なものを見るような目で見られてしまう。おそらくは、悪魔の力で生まれ変わった反動が出ているのだろうが、張本人であるルディに訊いても何も答えないし、何も言ってくれない。無責任な悪魔だ。
使用人たちやジェロンブルクの街のみんなはそんなことを気にしないし、むしろきれいな銀髪がうらやましいとさえ言ってくれる。
それでも、銀色の髪が珍しいことに変わりはない訳で、公の場ともなると異端者ははじかれてしまうものだ。ただ、ティアレシアが幸運だったのは、バートロム公爵家の娘であったということ。直系の王家以外では最も高い身分の家柄だ。影で何かを言うぐらいならば誰でもできるが、直接バートロム公爵家に喧嘩を売る勇気のある貴族はいない。
おもしろがってルディはまだ何か言っていたが、相手にするのも馬鹿らしくなって、ティアレシアは黙って父の背を追う。
そのうち、大広間いっぱいに人が集まり、あとはもう女王を待つだけとなった。
王立騎士が女王の入場を告げると、騒がしかった大広間は一瞬で静まり返った。
そうして大広間の奥の扉から、赤いドレスに身を包んだ女王が現れた。蜜色の髪がきれいに結い上げられた頭には、女王の象徴ともいえる真紅のルビーが埋め込まれたティアラが輝いている。深海を思わせる藍色の瞳は大広間の人間たちを映し、その形のいい唇は笑みを作っていた。
女王は夫にエスコートされ、大広間を見渡せる王座に座った。そして、女王の隣に夫が座る。二人の座っている椅子は真紅の生地でできていて、まるで血のようなその色にティアレシアは気分が悪くなる。血の塊の上に座って優雅に微笑む女王は、贅沢な金と宝石が散りばめられた大広間、そしてそこに集まった人々を満足そうに見つめている。女王夫妻が王座に座るまで、大広間に集まった者たちは
もう結婚して十五年になるが、女王夫妻に子どもはない。そのため、影では仮面夫婦だと囁かれている。しかし、女王である妻を夫がエスコートし、笑顔で見つめ合う二人を見る限り、仲の悪い印象は受けない。見事な仮面夫婦っぷりだ、とティアレシアは感心する。
「皆様、今日はわたくしのために本当にありがとう」
みなに視線を向け、女王は優雅に微笑んで言った。その言葉で、大広間に集まった人々は頭を下げた。その様子を見て、女王は満足そうに笑う。
「どうかわたくしを楽しませてね」
女王シュリーロッドの三十四歳の誕生日、その祝いのために集められた貴族たちみなに、自分たちの贈り物が女王の機嫌を損ねはしないかと緊張の糸が走った。
女王の合図で王宮楽団の演奏が始まり、女王の生誕祭が幕を開けた。貴族たちは順番に女王への祝辞と賛辞を述べ、贈り物を渡す。
「ティアレシア、お前は女王陛下とは初顔合わせだが、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ、お前の従姉妹にあたるお人だからな」
微笑むシュリーロッドの姿を目にし、知らず硬くなるティアレシアの表情を見て、父ジェームスが安心させるように笑った。もうすぐ、ティアレシアも女王の前に立つ。
「えぇ、大丈夫よ、お父様。私は女王様にお会いすることをずっと楽しみにしていたのだもの」
そう言って笑ったティアレシアの目には、確かな憎悪が浮かんでいた。しかし、すでに前を向いていた父ジェームスは娘の変化に気づかなかった。
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