第29話 愛の証明

 ヒールの音を響かせながらクリスティアンのための寝室へ辿り着き、そのベッドの上にあるものに息を呑んだ。数日前まではクリスティアンの遺体があったが、ルディの言うように遺体はもうない。しかし、その代わりにセドリックがベッドに横たわっていた。

 かつてクリスティアンが眠っていた場所で、かつての婚約者が眠っている。

「セドリック様、何をしているのですか?」

 何も見なかったことにしたかったが、そうもいかない。ティアレシアはそっとベッドに近づき、冷めた瞳で目を閉じるセドリックに声をかけた。

 眠っている姿でさえ、見惚れるほどに美しい。さらさらの金色の髪が頬にかかり、口元がむにむにと動いている。これが憎いと思う相手でなければ、可愛い、という感想を持つだけで済んだだろう。

 クリスティアンのベッドで、どんな夢を見ているのか、とても幸せそうな表情をしている。何度も呼びかけるが、彼はまだ夢から覚めない。それがまたティアレシアの心を逆撫でして、殴りたくなる。というか、さすがにもう起きているだろう。ティアレシアを困らせるために、わざと寝たふりをしているに違いない。だから、ティアレシアはセドリックの耳元で残酷に笑って見せる。

「これだけ呼びかけても起きないのですもの。ベッドから蹴落としても大丈夫ですわね?」

「……い、今、起きたっ!」

「そう、よかったですわ」

 慌てて身体を起こしたセドリックに、冷ややかな笑顔を向ける。

「君が口付けてくれたらすぐに起きたのに」

 という呟きは無視して、ティアレシアは無言でセドリックを見つめる。

身だしなみを整えたセドリックが真面目な顔をして、ティアレシアに白い封筒を差し出した。

「これが、僕からの愛の証明だ」

 そう言って、セドリックは封筒の中から一枚、白い紙を取り出した。ティアレシアに文面が見えるように広げてみせる。その内容を一読し、ティアレシアはにっこりと笑う。

「ありがとうございます、セドリック様」

 ティアレシアの笑顔を見て、セドリックは誇らしげに胸を張った。しかし、十六年前クリスティアンを陥れるために同じことをしたのだと思うと、笑顔が引きつりそうになる。

「どうやってこれを手に入れたのですか?」

「簡単なことだよ。シュリーの私室に入って、秘密の引き出しから私印を拝借しただけだ。あとは筆跡を似せればいいだけだしね」

 そう言って、セドリックは片目を瞑ってみせた。その物言いと仕草に苛立ちを感じながらも、ティアレシアは笑みを崩さなかった。

 セドリックは、昔から剣を握るよりも筆を握る方が様になる男だった。賢く、教養ある素敵な王子様だったのだ。中でも、字の模写が得意だった。すごいと尊敬していたその才能が、クリスティアンを殺すことになるとは思わなかったけれど。

「でも、どうしてこの内容にしたのですか?」

 シュリーロッドの筆跡と女王の私印が押された紙には、十六年前の暗殺事件について、カザーリオ帝国に礼を述べる文面が書かれている。

 十六年前の騎士団の調べでは、エレデルトに使用された毒は特定できなかったが、カザーリオ帝国から仕入れたものだったらしい。そして、カザーリオ帝国と密通していたとクリスティアンが疑われ、処刑されたのだ。もちろん、クリスティアンはカザーリオ帝国と連絡を取ったことも、毒を取り寄せたこともない。

 しかし、そう主張したところで、クリスティアンの筆跡を真似て書かれた文書が証拠として発見されたために言い逃れるための嘘だと無視された。クリスティアンの言い分など誰も聞いてくれなかった、形だけの審議を思いだし、ティアレシアは目を伏せた。

「この内容じゃ嫌だった? でも、君は十六年前のことに拘っていただろう。これで、正解なんだよね?」

 そう言ったセドリックは、ティアレシアの内にある復讐心を見透かしているような気がした。

 口調は優しいのに、有無を言わさない力がある。言葉に詰まるティアレシアに、セドリックは身体を近づけてきた。そして、ベッド脇に立っていたティアレシアの手を引いて、セドリックの腕の中に引き寄せた。

「ねぇ、どうして君は十六年前の真実を知りたがるの? 十六年前といえば、君はまだ赤ん坊だ。みんなが忘れようとしている悲しい出来事を、どうして今更?」

 背を撫でるセドリックの手に、鳥肌が立つ。

 自分勝手な裏切り者が、ティアレシアを懐柔しようとしている。細身とはいえ男の身体に包み込まれたティアレシアは、抵抗しようにもなかなか腕の中から抜け出せない。

「どうして逃げるの? そうやって嫌がって、睨んでくる君にも興奮するけど、これじゃあ不公平だ。僕は君への愛を証明したんだ。今度は、君が僕への愛を示してくれないと」

 危険な甘さを含むその言葉に、ティアレシアはびくっと全身を震わせた。憎悪と嫌悪感とが身体の内で暴れ回っている。

「僕のこと、ただ愛に溺れる馬鹿だと思った?」

 言葉にできないほどの感情を抑えこむティアレシアの耳に、セドリックの低い声が届く。

(……油断したわ)

 ティアレシアとして、誰かを利用することはあっても、利用されることなどあってはならない。


「怖いのですか? 十六年前の事実と向き合うことが」

 憎いセドリックの腕に包まれたまま、ティアレシアは余裕さえ感じさせるような落ち着いた口調で問いかけた。

「どうしてそう思う?」

「だって、クリスティアン様を愛していたのでしょう? 愛する者を殺した、その事実はセドリック様の心に大きな傷となって残っているはずですもの。たとえ愛していなくても、近しい人が一人、何の罪も犯していないのに処刑されたのです。人として、罪悪感ぐらいはあるでしょう?」

 慈悲深い聖女のように穏やかに微笑んでみせると、セドリックはティアレシアの身体を乱暴に突き放した。

「私が十六年前に拘るのは、誕生日がクリスティアン様の処刑日だからですわ。クリスティアン様が死んだ日に、私は生まれた。クリスティアン様とは血縁関係もありますし、誰でも気になるでしょう?」

 目を見開いてティアレシアをまじまじと見つめるセドリックに苦笑をこぼし、ティアレシアは彼の手に力なく握られていた白い封筒を頂戴した。


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