第6話 女王として背負うもの


「ねぇ、お父様。どうしてみんな悲しそうな顔をしているの?」

「みんなはね、国のために戦ってくれた。でも、たくさん怪我をして、痛い思いをしてしまったんだ……」

 いつもは穏やかな父エレデルトの瞳が、悲しい色をしていた。見てはいけないものを見てしまったような気がして、クリスティアンは窓ガラス越しに見える景色に目を移した。柔らかな風が木々の葉を揺らし、優しい陽の光が真っ白な室内を照らしている。

 ここは、王立病院。クリスティアンは父と姉と共に傷痍軍人の慰問に来ていた。

 クリスティアンが生まれてすぐ、西国を束ねるカザーリオ帝国が攻めてきた。

数年前より、カザーリオ帝国は周辺国を軍事力によって支配下に置くようになった。そうして西国を統一し、カザーリオ帝国は西最強の国となった。その勢いはとどまることなく、大陸の東の中心であるこのブロッキア王国まで支配下におこうとしたのだ。しかし、ブロッキア王国は東の国で最も力を持つ大国、カザーリオ帝国の勢いに呑まれることなく勝利を収めた。この戦いにより、カザーリオ帝国を支配下に置くこともできたが、エレデルトは力で抑えることは好まず、カザーリオ帝国との平和協定を結んだ。

 それでも、ブロッキア王国に被害がなかった訳ではない。戦争の爪痕は、まだ癒えていない。国の判断によって傷つくのは国民であることを、エレデルトは娘たちに教えるために慰問に同行させたのだ。

「あ、カルロがいる!」

 恐々と病室に近づいていたクリスティアンだが、見知った顔を見つけて笑顔を浮かべた。

 王宮医務官をしているカルロは、王立病院の医院長でもある。三十代と若いが、その腕は優秀で、身分に捉われずに病人を診る心優しい医師だ。病弱な母を毎日見舞うクリスティアンは、母を診てくれているカルロともよく顔を合わせていた。

病人に対しては熱心なのに、自分のことに関してカルロはかなり無頓着だ。茶髪の髪は無造作に伸びていて、口まわりには髭も生えている。しかし、その紫の瞳は優しい色を浮かべており、この人なら信じられると何故か思える。毎日病人のために忙しく働いているために、カルロの白衣はいつもよれよれだ。

 クリスティアンはいつもの様にカルロに話しかけに行こうとしたが、父の大きな手に止められた。

「きちんと挨拶しなさい」

 父の言葉で、クリスティアンは自分の立場を思い出す。

「みなさん、国王陛下と王女様たちがお見舞いに来てくださいましたよ」

 クリスティアンとエレデルトの姿に気付いたカルロが、病室にいる人々に聞こえるように声を張った。清潔な白で統一された大部屋の病室には、約三十人の病人がいる。

 その瞬間、悲しい目をしていた病人たちの顔がぱっと輝いた。

 戦争で傷ついた者達のことを決して忘れない――この平和を必ず保つ。

 国王が初めて慰問に来た時、皆に誓った言葉だ。その誓いを、国王は十一年経った今でも忘れていない。忘れない、と言った言葉通り、国王は年に何度もこの国立病院を訪れる。

 そんな心優しい国王に、国民たちは信頼による忠誠心を抱いていた。この人のためなら戦える、と。


「みなさん、お加減いかがですか? 今日は娘たちを連れてきました。弟がいるジェロンブルクで美味しい果物が獲れたので、よかったらみなさんで食べてくださいね」

 エレデルトは、先程までの悲しい表情を感じさせない笑顔を浮かべて病室内の皆の顔を見回した。

「……第一王女のシュリーロッドですわ」

 この病院に来てからずっと不機嫌に黙り込んでいた姉のシュリーロッドだが、父の紹介で仕方なく口を開いた。

「はじめまして、第二王女クリスティアンです。あの、この林檎は本当においしいので、食べて元気になってください!」

 クリスティアは見舞いの品として持ってきた林檎を手に持って頭を下げた。しかし、あまりにも勢いよく頭を下げたために、手に持っていた林檎を落としてしまった。

「王女様、どうもありがとう」

 そう言って、一人の男性がにっこりと笑って林檎を拾った。精悍な顔立ちをしたその人には、右腕がなかった。あっ……と驚き、涙を浮かべるクリスティアンの頭を、彼は林檎を持ったその左手で器用に撫でた。

「大切にいただきますね」

 クリスティアンは目に涙を浮かべたまま、頷くことしかできなかった。

 一人一人の名を呼びかけ、顔を見て話している父について、クリスティアンは林檎や葡萄などの果物を手渡す。シュリーロッドは気分が悪くなったと言って早々に別室にいった。

「どうか皆様のお身体が少しでも早くよくなりますように」

 エレデルトとクリスティアンは、病室にいるすべての人と話をして、元気になるよう祈りを捧げた。国のために戦って障がいを持った彼らの表情は、国王陛下が来てくれたというだけで実に晴れやかになっていた。

「国王陛下、今日は来てくれてありがとうございました。クリスティアン様も、本当にありがとうございました」

 病室を出て、王城へと帰るエレデルトとクリスティアンに、カルロが嬉しそうに頭を下げる。

「怪我は治せても、僕に心の治療はできませんから。ここにいるみんなの心を癒すことができるのは、国王陛下、そして王女様たちだけなんです」

 国のために、戦い、傷ついた人達。国のために戦えと言ったのは国王なのに、国王の存在が彼らの支えになっている。腕や足を失った者、失明した者もいた。そして、もちろん命を失った人たちもいる。

 クリスティアンは、自分がその人たちの命を背負う運命にあることを初めて恐ろしく感じた。女王になれば、誰かの人生が、誰かの命が、クリスティアンの決断で犠牲になるかもしれない。いや、犠牲になる。クリスティアンは、いつの間にか目に涙を浮かべていた。

「見たくない、もうあんな痛い思いをする人を、見たくない……!」

 青白い母の顔も思い出して、クリスティアンは自分がどこか知らない場所に放り出されたような心細い気持ちになって泣きわめいた。

 そんなクリスティアンを、父がぎゅっと抱きしめる。

「だったら、クリスティアンが守らなくてはね。もう誰も、痛い思いや悲しい思いをしなくてもいいように。お父様と一緒に守っていこう?」

「私に、みんなを守れるのかな?」

「守れるとも。だって、みんな笑っていただろう?」

 父にそう問われて、クリスティアンは王女である自分に笑いかけてくれたみんなの顔を思い出す。

 あの笑顔を守りたい。みんなが笑って暮らせる平和な国を守りたい。

 クリスティアンは涙を拭いて父を見上げた。父も、同じ気持ちなのだ。自分のために傷ついてしまった人達のためにも、国を思ってくれる人たちのためにも、正しく国を背負っていかなければいけない。

「お父様、私、頑張ります。いっぱい勉強して、みんなの笑顔を守ります」

 クリスティアンは十一歳の時、女王として背負うものを知った。


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