第2話 王女様の初恋


 華やかな世界が、クリスティアンの目の前には広がっていた。きらきらと輝くシャンデリア、ぴかぴかに磨き上げられた食器、そして何よりも大広間に集まった人々の姿に圧倒される。


「お父様、私、本当に大丈夫かしら?」

 自分の背丈よりもはるかに大きな鏡の前に立ち、クリスティアンはもじもじと落ち着かない気持ちで父エレデルトに問いかけた。腰まで伸ばした長い金色の髪は複雑に編みこまれており、侍女たちの気合いの入り様がいつもとは違う。飾り立てられた自身を鏡で見て大丈夫だと言い聞かせても、見返す碧色の瞳には不安の色が浮かんでいる。普段はただ広いだけの大広間が、舞踏会になるとこんなにも眩しく煌びやかな世界に変わる。

 この日は、十歳になったクリスティアンの初めての公務だった。


「クリスティアン、お前なら大丈夫だよ」

 と優しい父が、震える肩をぽんと叩く。

 今回のクリスティアンの仕事は、招待した隣国ヘンヴェールの国王への挨拶と、ヘンヴェール王国とブロッキア王国両国の友好関係を示すことだ。

 クリスティアンは、王女としてこういった場での礼儀作法は物心つく前から叩き込まれている。いくら初めて大勢の人の前に立つからといって、不安で震えるようなことにはならない。ヘンヴェール国王への挨拶や貴族への挨拶も、今日までに何百回と練習してきたから問題はなかった。

 しかし、たった一つだけクリスティアンができないものがある。

「やっぱり、私には無理です……」

 クリスティアンが父に弱音を吐いたのと同時に、柔らかなワルツの演奏が始まった。そして、大広間にいる人々がペアを組んで踊り始める。

 クリスティアンは、ダンスが苦手だった。いくら練習しても、曲のテンポに合わせてステップを踏めないのだ。ダンスの先生の足を踏むことは大得意だったが。

「クリスティアン王女様、どうか私と一曲踊っていただけませんか?」

 そう言ってクリスティアンの前に膝をついたのは、ヘンヴェール王国第二王子セドリックだった。十三歳のセドリックは、クリスティアンが思わず目を奪われるほどにきれいな顔立ちをしていた。白地に金色の刺繍が入ったベストとズボンは、まさに王子様のイメージそのものだった。しかも、それが不自然ではなく、よく似合っている。さらさらの金色の髪は一つに結ばれ、彫刻のように整った顔はにっこりとクリスティアンに笑顔を向ける。エメラルドの瞳でじっと見つめられて、クリスティアンの胸はどきどきと脈打つ。

(こんなに素敵な人が、一番に私と踊るの?)

 この舞踏会は、ヘンヴェールとの友好を深めるためのもの。互いの国の王子と王女が仲良く踊る姿を見せて、関係が良好であると示さなければならない。これは初めから決められていたこと。そう頭では分かっていても、クリスティアンは自分がどれだけダンスが下手かを知っている。不安から、その手をすぐにはとれないでいた。しかしセドリックは、なかなか頷かないクリスティアンにも、優しく笑いかけてくれる。

「お父上にお聞きました。ダンスが少し苦手だとか。でも、大丈夫ですよ、僕がリードしますから」

 その言葉通り、セドリックは見事にクリスティアンのダンスを自然にフォローしてみせた。クリスティアンは、ただセドリックに身体を預けているだけでよかった。初めて、ダンスを楽しいと思えた。あっという間に曲が終わり、パートナー交代の時がきた。

「もしよければ、クリスティアン様のお相手は僕が続けても?」

 セドリックが耳元で囁いたその言葉は、クリスティアンの望んでいた言葉だった。クリスティアンが上手に踊ることができたのはセドリックのおかげだ。他の人と同じように踊れるはずがない。それに、セドリックともう少し一緒にいたかった。

「私でよければ、お願いしますわ……」

「もう一曲、可愛い王女様を一人占めできるなんて、僕は幸せ者です」

 セドリックの優しい笑顔とその言葉に、クリスティアンの頬は赤く染まる。

 これが、クリスティアンの初恋だった。


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