第26話 悩みの種
「ベルゼンツ、女王陛下のご様子はいかがかな?」
でっぷり太った五十手前の男が、両手をもみしだきながら近衛騎士団長ベルゼンツの前に現れた。感情の読めない薄い笑みを浮かべ、ベルゼンツは訪問者をねめつける。
ここは、女王陛下の住まう〈煙水晶の宮〉だ。女王陛下の忠臣であり、経理大臣のゼイレン伯爵がこの場にいることは不自然ではないのだが、その訪問の時間が問題だった。
「失礼ですが、ゼイレン伯。女王陛下はご公務を終え、お疲れのご様子。誰も部屋に寄せ付けるな、とのご命令を私は受けております。夜も遅いですし、お帰り下さいますね?」
拒否権を与えない問いかけを、ベルゼンツは淡々と吐いた。その取りつく島もないベルゼンツの態度に、ゼイレン伯爵は顔を真っ赤にして憤慨した。
「わたしは女王陛下の忠臣であるぞ! 女王陛下の地位が盤石なのは、このわたしの力添えによるものが大きい。貴様のような代えのきく騎士とは違うのだっ!」
ゼイレン伯爵は、短く太い指を、ベルゼンツに突きつける。その瞬間、ゼイレン伯爵の目の前に、騎士の剣があった。
「女王陛下の命に逆らう者があればいかなる者でも斬り捨ててよい、と命じられております。ゼイレン伯、あなたの代わりは私が責任を持って探しましょう」
さすがに剣を向けられて強がることもできず、ゼイレン伯爵はふくらみすぎた頬に冷や汗を流した。唇をわなわなと震わせているその姿から、ゼイレン伯爵がベルゼンツに恐怖を抱いたことは一目で分かる。彼は、怒らせてはいけない相手を、怒らせてしまった。
「それで、麗しき女王陛下に何の御用ですか?」
「け、剣をおさめ…いや、なんでもない……女王陛下に確認したいことが、あったのだ」
ぴたりと首筋に鋭い剣を当てられたまま、ゼイレン伯爵は言った。あくまでも、内容は女王陛下にしか話さない、という意志だけは貫いて。そのことに女王の騎士がさらに苛立ったのか、答えに満足したのか、その薄い笑みからは読み取れない。
「そうですか。それは、今すぐに確認しなければならないことなのでしょうか」
「当然だ。そうでなければ、夜に女王陛下の住まいへ来たりはしない」
「では、女王陛下ご自身に伺ってみましょうかね」
ベルゼンツは剣を降ろし、女王陛下の私室に入り、また外に戻る。
「申し訳ありません。女王陛下はお取込み中ですので、ゼイレン伯爵にはお会いにならないそうです」
「やはり、女王陛下は、わたしの働きに満足していないのか……?」
独白するゼイレン伯爵を感情のない目で見つめ、再度お帰り下さい、とベルゼンツは告げる。その声にはっとして、ゼイレン伯爵は逃げるように立ち去って行った。
「これで、よかったのですか?」
ドタドタという耳障りな足音が完全に聞こえなくなり、ベルゼンツは溜息を吐いた。
「あぁ。助かったよ」
扉を開けて顔を出したのは、女王の夫であるセドリックだった。彼はにこやかにベルゼンツの肩に腕をまわし、女王の騎士に満足気に頷いた。
「シュリーロッド女王陛下は?」
「僕との愛に溺れているよ……なんて、君には通じないか」
「セドリック様、いい加減、女王陛下のお気持ちを受け止めてもらえませんか? 女王陛下の欲求不満が、我々騎士に日々ぶつけられているのを知っているでしょう。私の部下が不憫でなりません」
ベルゼンツの悩みの種は、女王陛下の我儘だ。完全に、騎士たちを玩具だと思っている。誇りある騎士が女王陛下の着せ替え人形にされ、主君を守るために鍛え抜いた肉体は女王陛下の目を楽しませるための道具になってしまう。
(それもこれも、この夫が女王陛下を相手にしないからだ!)
ベルゼンツの内心の苦悩など、知らぬ顔をして、セドリックは笑う。
「君は少し勘違いしているようだけど、僕はシュリーロッドを大切にしているつもりだ。誰よりも、特別扱いをしているよ」
「……そうですか。それで、今日は何がしたかったのですか」
「ちょっとね……シュリーロッドと二人で愛を深め合いたいなぁって思ったんだけど、彼女はここにいないみたいだ」
「セドリック様、今夜シュリーロッド様がここに帰らないことは御存知だったはずでは?」
「あれ? そうだったかなぁ。まぁ細かいことは気にしないでくれ。とにかく、僕はここでシュリーロッドの帰りを待つよ。彼女以外、ここに一切取次はしてはいけないよ? たとえどんな用があったとしても、ね」
「承知しております」
「頼んだよ」
セドリックはそう言って、シュリーロッドの私室へ戻った。ただ主君の命に忠実な騎士であるベルゼンツは、主君が秘密にしている限りその事情に深く関わることができない。そして同時に、本当に何も知らない無知であれば、主君を守ることもできない。ベルゼンツの忠誠は女王陛下のもの。女王陛下が愛するセドリックもまた、ベルゼンツの主君である。しかし、ベルゼンツは時々自分が抱く忠誠心が本当に自分の意思なのか疑問に思うことがある。何かを詳しく思い出そうとすると、その記憶に靄がかかったようになり、ベルゼンツは自分が疑問に思っていたことすら忘れてしまう。
そして、自分の主君はシュリーロッド女王陛下なのだと言い聞かせ、騎士としての役割を果たすのだ。
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