第25話 公爵の思い

 バートロム公爵邸へ帰る仕事終わりの馬車の中で、ティアレシアは拳を握っていた。

「どうした?」

 突然目の前に現れたのは、ルディだった。ルディはティアレシアの向かいの席に座っており、口元には相変わらず人の悪い笑みを浮かべている。そして、吸い込まれそうなその黒い瞳で、不思議そうにティアレシアを見つめている。人を惑わせるために魅力的につくられているその美しい容貌を腹立たしく思いながらも、ティアレシアはつとめて冷静に口を開いた。

「ねぇ、クリスティアンはどこにいるの?」

「は? クリスティアンならここにいるだろ」

「馬鹿にしないで頂戴。魂ではなく、身体のことだと分かっているでしょう?」

 面白がってにやにや笑うルディに、ティアレシアはうんざりする。セドリックが血相変えてティアレシアのところまでやって来たのは、彼が愛してやまないクリスティアンの遺体が消えたからだ。あの美しく保たれた遺体を宝物のように思っていたことを知っているだろうに、いや、知っていたからこそ、ルディはセドリックの目の前から消したのだろう。彼がクリスティアンではなく、ティアレシアのためにどこまでやるのか、本当のところ未知だったから。

(それにしても、私の身体なのに……他人に勝手にどうにかされるなんていい気分ではないわね)

 もう滅んだとばかり思っていた肉体が、まだ生きていて、自分を裏切った男の手元にある。それだけでも気分が悪いのに、今度はその身体が消えた。

「あぁ、そのことか。心配しなくても、お前の身体は無事だぜ」

「私はどこにあるか聞いているの」

「俺の中」

「は? ふざけないで」

 馬鹿にされている。そう思って一蹴したが、ルディはわざとらしく肩をすくめるだけで、説明しようとしない。悪魔が存在している自体、あり得ないことなのだ。彼の中にクリスティアンの遺体があってもおかしくないのかもしれない。

「どうして、そんなことになったのよ」

「何でだろうな。ま、クリスティアンの身体を保っていた魔力に干渉したからじゃねぇか? 誰かさんが契約している悪魔の魔力は、俺の魔力を下回ってたってことだろ。それか、使役されてて自由に魔力を解放できねぇ、とかな。どっちにせよ、お前の身体はその魔力ごと俺に取り込まれた」

 悪魔のことについてはまだよく分からないが、クリスティアンの遺体を生かす魔力を探るために干渉したが、その魔力がルディの魔力に耐えられずに吸収されてしまい、消えてしまった。つまりはそういうことだろう。

 クリスティアンの遺体があの寝台にずっと置かれているよりも、ルディの中に取り込まれている方がまだいい。それに、あの魔力を使っていた悪魔がルディよりも力が劣っていることが分かってよかった。

 シュリーロッドが悪魔を使役しているのだとすれば、いずれティアレシアは彼女の悪魔をも相手取らなければならないだろうから。


 ◇◇◇


 王城グリンベル、〈翡翠輝石ジェダイトの宮〉と呼ばれる宮殿の一室で、バートロム公爵であるジェームス・バートロムは苦悶の表情を浮かべていた。

「バートロム公爵閣下、貴殿の娘は女王陛下の下でどんな働きをしているのかね?」

「しかし、あの生誕祭で初めて見かけたが、本当にあなたの娘なのですかな。とてもあなたにも奥方にも似ていない……」

 口々に人の娘について好き放題言ってくれるのは、会議の間に集まっている貴族たちだ。ただの貴族ではなく、大臣に任命された国の政治に関わる重要な人物たちである。普通なら、国の今後を決める重要な会議の間でこのような会話が許されるはずがないのだが、いかんせん貴族達の顔には緊張の色がない。

 それもそのはず、この場には女王陛下はもちろん、重要な役職についている三人の大臣が不在なのだ。領地で起きた問題とその対処法を報告する、という定期的に行われる会議ではあるが、女王陛下が領地の問題を解決しようとしたことはない。問題を増やすことはあっても、だ。

「間違いなくティアレシアは私の娘です。女王陛下の下でも真面目に働いています。これ以上余計な詮索をされますと、御身のためにはなりませんよ」

 普段は温厚で穏やかな人柄として通っているジェームスだが、可愛い娘のことともなれば鬼にもなる。ティアレシアは、長い間子がなかったバートロム夫妻のもとにようやくやってきてくれた天使なのだ。

 ジェームスは、優しくて聡明な兄の支えになりたかった。そのために、自ら国防を任せてほしいと願い出た。国防を担う者として、国境に面する地や外国に赴くことが多かった。

 それは、自分を国王に担ぎ上げようとする者たちから逃げるためでもあった。王家が直系を重んじるとはいえ、後継者争いがない訳ではない。自分が王になる気はないと示すためにも、王城には年に一度程度しか顔を出さなくなった。

 そのうち兄が国王としての地位を盤石なものとし、カザーリオ帝国の侵略も抑えこみ、シュリーロッドとクリスティアンという二人の王女も生まれ、平和な日々が続いていた。

 国王暗殺、という報を聞くまでは。

 その頃、ジェームスは、妻ベルローゼが身ごもったことで国防大臣としての仕事を他の者に任せ、領地ジェロンブルクで妻と共に幸せで穏やかな時を過ごしていた。

 突然の訃報に、ジェームスは馬を走らせ、王城に向かった。そして、頼りにしていた父を亡くし、不安だろうクリスティアンを叔父として支えてやらなければと思った。

 しかし、即位して三日後、クリスティアンは投獄された。罪状は、国王暗殺と敵国との密通。その罪状を詳しく確かめる時間も与えられないまま、実行犯としてバイロンの、首謀者としてクリスティアンの首が刎ねられた。

 ジェームスが気付いた時には遅く、証拠はクリスティアンに不利なものばかり集められていた。決定的なのは、国王暗殺に使われた毒が、クリスティアンの部屋にあったことと、カザーリオ帝国皇帝に宛てた手紙が発見されたことだ。その手紙の内容は、ブロッキア王国の内情で、敵に知られてはならないことが事細かに書かれていた。それは、国の上に立つ一部の者しか知らないものだった。

 クリスティアンの即位の前日、ちょうどカザーリオ帝国軍の目撃情報がヘンヴェールとの国境沿いのウェール地方から寄せられたこともあり、クリスティアンが自国を敵国に売ろうとしたのだと公言された。

 実際には、ウェール地方にいたのはカザーリオ帝国の軍ではなく、自国の軍だった。クリスティアンの命でウェール地方に騎士団長であるブラットリーが確認に行ったために、それは間違いない。しかし、彼がその報告に王城へ戻ってきた時には、クリスティアンはもう投獄されていた。

 ブラットリーをはじめとするクリスティアンに仕える者たちが抗議の声を上げたが、いつの間にか形成されていたシュリーロッド派の者たちによって抑え込まれた。シュリーロッドは、罪人を裁き、自分が女王になると彼らの前で堂々と言ってのけた。

 ジェームスは、シュリーロッドがどういうつもりなのか問いただそうとしたが、ブラットリーに止められた。

『シュリーロッド様が女王なら、我々は反逆者です。あなたはもうすぐ父親になるのです。妻子を守るためにも、我々のことはどうぞお忘れください』

 ブラットリーのこの言葉を聞いていなければ、ジェームスはおそらく娘に会えなかっただろう。クリスティアンを庇いたてる者達は皆投獄され、一生牢の中だ。だから、ジェームスは決めていた。娘が無事成長し、父親など必要としなくなった時、ジェームスは亡き兄エレデルトと姪クリスティアンのために戦おう、と。それまでは、決してシュリーロッドに目をつけられないように振る舞って、娘を守るだけの地位を手に入れよう、と。


「くだらない話ばかりなので、私はここで失礼するよ。重要なことはこの報告書に書いてあるから、チャドに渡しておいてくれ」

 大臣たちに冷ややかな視線を向けて、ジェームスは立ち上がった。あえて、公式には発表されていない、女王陛下の宰相の名を出すと、会議室がざわついた。

 女王陛下の最も信頼する宰相として側にいる、チャド・ブルシット。エレデルトの宰相でもあり、クリスティアンの側近でもあった。そんな彼が今、どういうつもりでシュリーロッドに仕えているのか、ジェームスには分からない。

 しかし何よりもジェームスが優先するべきは、娘であるティアレシアだ。妹であるクリスティアンに死刑を命じた〈悪魔の女王〉と呼ばれるシュリーロッドに、ティアレシアは目をつけられてしまった。おそらくは、王弟であったジェームスを牽制するための人質として。そして、その知恵をシュリーロッドにつけたのはチャドだろうと思われた。

 ジェームスは、チャドとティアレシアが接触することだけは避けたいと願いながら、王都の屋敷へと戻った。

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