第1話 復讐の幕開け

 ――お姉様に復讐するまでは、死ぬ訳にはいかない。

 クリスティアンの肉体は死んだ。しかし、その魂は強い復讐の炎を燃やして闇の中をさ迷っていた。そして、あまりにも強いその復讐心に惹かれた一人の悪魔が、転生のために天国へ運ばれようとするクリスティアンの魂を引き止めた。

「そんなに復讐がしたいなら、俺が力になってやる。その代わり、お前の魂を俺に捧げろ」

 このまま天国へ行けば、前世での苦しみをすべて忘れて新しい命を生きることができる。クリスティアンでは経験できなかった幸せな未来を切り開くこともできるかもしれない。

 それでも、クリスティアンは悪魔の言葉に頷いた。

この魂を悪魔に売ってもいい。姉シェリーロッドに復讐ができるのならば。

「いい暇つぶしになりそうだ」

 悪魔はにやりと笑ってクリスティアンの魂に口づけた。


◆◇◆


「お嬢様! ティアお嬢様!」

 バートロム公爵家の使用人たちが、広い屋敷内を走り回っていた。このバートロム公爵家ではよく目にする光景である。

「もう、お嬢様は賢く聡明でいらっしゃるのに、どうして歴史の授業の時だけ隠れてしまわれるのかしら……」

 メイド頭であるキャシーの呟きは、捜索している使用人みなの心の声だった。バートロム公爵家に仕えて三十年のキャシーは、もう今年で五十代後半になるが、まだまだ現役で体は丈夫だ。しかし、毎度毎度メイド仕事もろくにできない。お嬢様の捜索に体力を消耗するため、顔には疲れが浮かんでいる。

 教育熱心なバートロム公爵は、娘のティアレシアに優秀な家庭教師をつけていた。しかし、ティアレシアは家庭教師など必要ないほどの秀才だった。それでも、公爵の意向や家庭教師の体裁のためにも、ティアレシアにはしっかりと授業を受けてもらわねばならない。だから、いつも使用人たちは隠れてしまったお嬢様を必死で探すのだ。

「きっと、お嬢様はわたしの授業がつまらないのでしょう」

 家庭教師のリチャードが困ったように笑った。リチャードは、茶髪の頭が飛び出たようにひょろっとしていて頼りない風貌だが、その茶色の瞳には教育者としての熱意が確かにある。しかし、ティアレシアがあまりに授業に出て来ないので、その瞳の奥にある炎はかなり小さくなってしまっていた。そんな彼を見て、キャシーは慌てて首を横に振る。

「そんなことはございません! お嬢様は勉強が好きですし、先生のことも好きですわ。ただ、歴史が苦手なだけだと……」

「そうだといいんですけど」

「先生なら、きっとティアお嬢様を歴史好きに変えられますわ!」

 自信を失いかけているリチャードを、キャシーが強引に励ます。どんなことをしても、ティアレシアが歴史を好きになることはない、とこの屋敷の人間は誰も知らないのだ。

(歴史書なんて、事実とは違うことしか書かれていないもの)

 キャシーとリチャードの会話を冷めた暖炉の中で聞きながら、ティアレシアは思う。

 二人が応接間を出て行ったのを確認して、ティアレシアは窓から外に出た。


 ブロッキア王国王都の西に隣接する、バートロム公爵家領であるジェロンブルク。王都から少し離れている、というだけでこのジェロンブルクの土地は静かで、優しい感じがする。それはきっとジェロンブルクの地に住む者皆があたたかいからだろう。

 小さな街トレザに行っても、田畑を耕している者に会っても、みなが優しく笑いかけてくれる。だから、ティアレシアはいつも授業を抜け出すと、街に出る。

「おいおい、あのメイド頭そのうち過労で倒れるんじゃねぇか?」

「うるさいわね」

 隣を歩く背の高い男に、ティアレシアは口を尖らせる。全身黒で身を包み、ティアレシアに無礼な口をきくこの男は、ルディという従僕である――表向きは。

この田畑以外何もないのどかな田舎道に不釣合なほどに、ルディは異質な美しさを持っていた。ティアレシアも公爵令嬢としての気品と美しさはそれなりに備えていると思うが、パッと見目を引くのはルディの方だ。それが、女性としても、人間としても悔しい。

「歴史の授業、出ればいいじゃねぇか。お前得意だろ」

 すべてを知っていて、ルディは意地悪くそんなことを言う。

「前女王クリスティアンは父である国王を殺し、敵国に自国を売ろうとした裏切り者である……そんな歴史をクリスティアンである私に学べというの?」

 レミーア暦九九九年にクリスティアンは確かに処刑されたが、その魂は生まれ変わった――悪魔であるルディの力によって。

 クリスティアンが死んで十六年、もうすぐティアレシアはクリスティアンと同じ年齢になる。

「だが、お前は今ティアレシアだ。誰がお前をクリスティアンだと思う? クリスティアンに過剰に反応するのは良くないと思うぜ」

 そう言いながら、ルディの目は楽しんでいた。クリスティアンが生まれ変わったティアレシアは、バートロム公爵家の一人娘だ。水色がかった銀色の髪と紺色の瞳は、たしかに金髪碧眼だったクリスティアンとは似ても似つかない。

 バートロム公爵家当主であるジェームス・バートロムは、先々代国王エレデルトの弟で、クリスティアンの叔父にあたる。血のつながりのためか、どことなくクリスティアンと顔立ちが似ている気もするが、自分がクリスティアンだったからそう錯覚しているだけかもしれない。

「ティアレシアとしてでも、女王クリスティアンが悪者として歴史に名を刻んでいることが許せないのよ。しかも、現女王シュリーロッドの治世が平和だなんて嘯いてる……!」

 真実など何も知らない人間が、シュリーロッドの言葉で歴史を歪めている。きっと今までも、権力を持つ者の言葉で歴史は塗り替えられてきたのだろう。シュリーロッドの歴史など、学ぶ必要はない。

 今まで学んできた歴史すべてが嘘に思えて、ティアレシアは歴史が大嫌いになった。

「それで、俺はいつまで子どものお守りをさせられるんだ?」

「ルディ、人間としての立場を理解して頂戴。私は公爵令嬢、あなたは従僕。街のみんなの視線があるんだから、その無礼な物言いはやめて」

 ティアレシアは、ルディの問いを無視して諭すよう言う。

「は、誰もいないのにか」

 到着したトレザの街に人はなく、がらんとしていた。この時期、商売をしている者はみな王都へ行ってしまうのだ。

 レミーア暦一〇一五年、二月六日はシュリーロッドの誕生日だ。

 今日は二月二日、女王誕生祭はもうすぐだ。

 ブロッキア王国で商売をしている者は、女王シュリーロッドへ最高の贈り物をしなければ、圧力をかけられる。国民は、祝い税を治めなければ罰せられる。しかし、女王に謁見できる領主や贈り物を用意する商売人が少しでも女王を喜ばせることができれば、褒美をもらうことができる。今の生活を守るため、女王の喜ぶものは何か、国民は皆必死で考えるのだ。

 田舎であるこのジェロンブルクも例外ではない。しかし、領主が王弟であったバートロム公爵ということもあり、ジェロンブルクの税率が大きく跳ね上がるということは一度もなかった。バートロム公爵は、女王の手から土地と領民の生活を守っている。だからこそ、公爵家への領民からの信頼は厚い。

 他の領地では、女王の圧力に耐え切れず生活困窮者が続出していると聞く。普段から厳しい税の取り立てに苦しみ、様々な規制に縛られて生きているのに、女王の機嫌次第でそれらはもっと酷くなるのだ。

 寂しく冷たい風が、ティアレシアの銀の髪をすくう。


「あなたには、きっちり私の復讐に付き合ってもらうわ」


 そう言って、ティアレシアはにっこりとルディに微笑みかけた。

 二月六日の女王生誕祭で、ティアレシアは社交界デビューを果たす。

 この日をどれだけ待ち望んでいたか……。

 クリスティアンが生きられなかった十六年目から、復讐の幕が上がるのだ。

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