11-3


(重力障壁を纏ったバグ・ナグルスは決して無敵でも、不死身でもない。けど――)



 数度の交戦を経てタクミはある程度、ユェン=ターサンの駆る機体の特性を見切っていた。強引に搭載したことが原因なのか、重力障壁はグラ・ヴィルドが使用していたものよりも出力と効果範囲が狭い。全周囲に展開する事が出来ず射撃に対してピンポイントに展開し、弾道を捻じ曲げている。


 また増加した重量からほんの僅かに加速の立ち上がりが遅くなっている。そのおかげでまだ辛うじて、味方は撃破されていない。



(このままだと勝てない。いや、すり潰される)



 重力障壁を纏ったバグ・ナグルスは、射撃武器の集中砲火を正面から掻い潜る。エクスバンガードの出力から放たれる超電磁加速砲アサルトレールガンの弾道すら歪め、その隙間を縫って跳躍拳の間合いまで踏み込み、叩き込み、叩き潰す。


 敵の射撃を無効化し最強の一撃を確実に届ける、ただそれだけのシンプルな戦法。故に小手先の戦術や策略でひっくり返すことは不可能に近い。飽和攻撃による制圧、それ以外に攻略法は事実上存在せず。そして今現在これらの解決法を用意することは不可能だ。



(このまま粘って、援軍が来るのを待つ? 高橋が来てくれれば、集中砲火で――)


ラビット3西村上等軍曹、手短に言うけど、そっちにラビット2高橋准尉を回すから、可能な限り早くユェン=ターサンを撃破。その上で慣性変換式発電機関イナーシャルジェネレータ を速やかに停止させてくれ』



 辛うじて勝利の道筋を組み立てようとしたところで、稲葉中尉から今まで聞いたことのない真剣な声色が通信機の向こう側から届き、一瞬タクミの思考は白に染まる。



「待ってください、稲葉中尉! そっちにだって余裕は!」



 ユェンが牽制に放った弁髪ワイヤークローを捌きながら叫ぶ。ただでさえ倍以上の戦力に稲葉中尉達は囲まれている。その状況で最大戦力である高橋が抜ければ壊滅は免れない。



『大丈夫、5分は持たせるよ』


「死ぬ気ですか、中尉!」


『司令部から通信が入った。現在上皇派のテロリストは慣性変換式発電機関イナーシャルジェネレータ を起動させ、何かを発射しようとしている。恐らくは大量破壊兵器の類じゃないかな? まぁそうでなくとも自転エネルギーの消費で少なくない被害が東京に、いや地球の環境に出るだろうしね』


「けど、こちらがユェンを倒せる可能性は――」


『色々考えたんだけどね、それが確率的にマシって僕は判断した』



 ユェン=ターサンからの更なる追撃。跳躍拳による踏み込みを、反撃の機会を捨てる大きな動きで避けながらタクミは思考する。単純な勝率、残った敵の足止め…… あらゆる要素を天秤にかけた上で現状、稲葉中尉が下した以上の策は存在しない。



『――稲葉中尉、提案があります』


ラビット4御剣上等軍曹、時間が無いから手短に』


ラビット4ラビット3タクミで、ユェン=ターサンを足止め、あるいは撃破します』


『行けるのかよ!? それ』



 通信に60mmガトリング砲ヘルアヴェンジャーの発射音と共に高橋の声が混じる。どうにか拮抗を保っているのだろうが、恐らく弾倉が尽きた時点で向こう側の戦場は一気に不利になるのは間違いない。



『けど出来ればレナ大尉達をそっちに回して、周りは一通り制圧出来る筈だから』


『ですが、ユェンを何分足止め出来るのです? あなた達、たった二人で』



 レナ大尉達のマスカレイドが再びレールガンを斉射し、バグ・ナグルスの足を止めた。このまま作戦会議を続けることは難しい。戦況が変わる前に、何より会話を続けることで生まれた隙で、誰かが撃破された時点で全ての前提が無意味な物に変わってしまうのだから。



ラビット3西村上等軍曹、君の判断を聞きたい。ラビット4御剣上等軍曹と共に、たった2機で、バグ・ナグルスを足止め、もしくは撃破する事が出来るかい?』



 タクミは一瞬だけ言葉に詰まった。ナナカの駆るただのバンガードでは、タクミの駆るエクスバンガードの全力出力と連携することは不可能。恐らく彼女はオーバードライブを使用することで補うつもりなのだろう。そうする事の意味を分かった上で。



「――行け、ます」


『本当なんですね、ナナカさん、タクミさん。死にはしないんですね?』



 レナ大尉からの、恐らくある程度事情を理解した上での最終確認。それにタクミはバグ・ナグルスに対する牽制射撃を行いながら、ナナカは装備を残っている2本のロングブレードに切り替えながら答えを返す



「――自分がナナカを、死なせません」


『私がタクミを、守ります』


『分かりました、ご武運を』


『よし、これよりレナ大尉の部隊と合流し、僕らの手で慣性変換式発電機関イナーシャルジェネレータ を止めに行く、手始めに目の前の部隊を突破する必要があるからそのつもりで!』



 稲葉中尉の声と共に3機のマスカレイドが離脱する。後に残るはタクミのエクスバンガード、ナナカのバンガード。そしてユェン=ターサンのバグ=ナグルス。


 御剣那奈華みつるぎ ななかの覚悟が、最後のピースとして天秤に加えられ、この時に確かに致命的な、そして不可逆な結末が決定づけられた。もはや傾きは変わることなく、決まり切った終わりに向けて状況は突き進む。





 御剣那奈華みつるぎ ななかにとって、西村巧にしむら たくみ存在理由レゾンデートルそのものである。


 父も母も兄妹も、師も兄弟子達も、彼女の事を理解している人間からは、剣士として完成したわざを、恐れられ、敬われ、遠ざけられ。彼女のことを理解していない人間は、そもそも近寄って来ることすらなかった。


 いつも孤独で、誰からも理解されず、そして必要とされていない。


 勝負とは分からないからこそ成り立つのだ。努力を積み上げ結果が変わるからこそ意味があるのだ。大人の男が幾ら努力しようと、それをただ反射神経と、遺伝子レベルで練り上げられたわざでねじ伏せる少女など、ただ相手の心を折って砕いて潰すだけの装置。



 だからナナカは15歳の時、自分を必要としない場所を捨て去り、誰であっても衣食住が保証される軍事教練がある高校に進学した。戦争でなら認められる場所もあると、そう考えて。


 そこで彼女はタクミに出会い、敗北し、認められ、必要とされ、高め合い、共に挑み、共に笑い、共に泣き、共に進み―― そしてたぶん、共に愛し合っている、と感じている。



 比翼の鳥と呼ぶことの出来ない、恐らく平和な時代であれば、一方的にナナカがタクミに依存するだけの関係。辛うじて彼女と彼が釣り合っているのは今が戦いの時だからこそに他ならない。


 戦う事も出来るタクミと、戦う事以外出来ないナナカの差。だからこそこの一瞬、恐らくそれを選べば二度と剣を振るう事が出来ない体になると理解した上で。彼女は操縦桿に取り付けられたスイッチを押し込んで、オーバードライブに突入するタクミの隣に追い付いた





(オーバードライブ…… ナナカは何分持たせられる? その間に――ッ!)



 タクミとナナカはほぼ同時に超音速まで加速する。


 オーバードライブ、即ち操縦席に対する慣性保護の限界を超えた超機動。IAの速度は構造的、機甲的な要素によって上限が決まるのではない。搭乗者を保護できる限界がそのまま、速度の限界として設定される。


 つまるところIAは操縦士へのダメージを無視するならば、より速く、より強く、より強靭な兵器として機能する。ただしその結果は語るまでもない。



 最初から過剰なGによる負荷を、同じく過剰な搭乗者保護で相殺することで、長時間のオーバードライブを前提としたエクスバンガードならば兎も角。あくまでも緊急回避として一時的な使用しか想定していない通常のバンガードで行った場合。高い確率で後遺症が刻まれ、場合によっては死に至る。


 比較的耐性が強く、意図的にGがかからない軌道を選定出来るタクミですら長時間のオーバードライブを実施した結果、以前のユェン=ターサンとの戦いで生死の境をさまよう程のダメージを受けたのだ。彼よりも適性が低い彼女がどうなるのか――


 けれど目の前の強敵を倒すにはそれ以外の選択肢は存在していない。


 エクスバンガードが右に、ナナカのバンガードが左に。アスファルトを溶かし、大気を切り裂き、バグ・ナグルスを挟撃する形で展開する。会話すら必要ない、互いにサブモニターに映し出される機影を目端に捉えるだけで、どう動きたいのか理解出来るのだから。



『――っ、ぁ……』



 通信機から、彼女が過剰なGによって押しつぶされるこえが聞こえる。戦闘機に迫る速度と、乗用車よりも短い最小旋回半径で体が捻じれて潰された結果。その苦しみを思い、タクミはギリリと奥歯を噛みしめる。



『ほう! この加速度で、ここまでの連携を――っ!』


「――速射モード、飽和射撃っ!」



 驚きの、しかしまだ余裕のあるユェン=ターサンの声を聞きながら、タクミは撃鉄を引き絞る。威力よりも発射弾数を優先、超電磁突撃砲アサルトレールガン内部のコイルを赤熱させ、弾頭が銃口から吐き散らされた。


 間違いなく重力障壁で歪められ、下手をすればそれだけで止められる程度の威力。けれどそれで十分、必要なのは確実に重力障壁を使わなければならない状況に持ち込む事。


 本命は自分ではない。



『まずは、その―― 腕っ!』

 


 無理やり搭載した結果、バグ・ナグルスの重力障壁は機体の全周囲を覆うだけの広さを持たない。超電磁突撃砲アサルトレールガンに対応すれば、その反対側にはその防御を展開することは出来ないのだ。


 ナナカの駆るバンガードが、上段からロングブレードを振り下ろす。亜音速の突撃から放たれた一撃はたとえイナーシャルアームドであっても、間接に直撃すれば腕を切り飛ばす可能性があり、そして彼女の振るう刃にはそれを狙えるだけの鋭さが込められていた。しかし――



『悪くない、だがその程度では俺の命と、俺を倒したという名誉はくれてやれん!』



 振り下ろされた刃渡り5mの刃を、バグ・ナグルスの弁髪ワイヤードクローが迎え撃つ。金属音が鳴り響き、肩口の関節を狙った剣筋は胴体の装甲に弾かれ、更にユェン=ターサンは追撃の跳躍拳を振りかざす。


 間一髪、オーバードライブの速度を持って、強引にナナカは必殺の一撃から距離を取る。超音速の交差で生まれた衝撃波によって、周囲の建物にはめ込まれたガラスが砕かれキラキラと宙を舞う。



(勝ち目は決して、ゼロじゃない…… だけど、けどっ!)



 この交戦の手ごたえは決して悪いものではない。あと一手、あと一歩踏み込む事が出来るなら、世界最強を打倒できる実感をタクミは感じることが出来た―― ただしその一手は、その一歩は文字通り命を賭さねば、挑むことすらできないとも理解してしまう。


 そして、その時犠牲になるのは自分ではなくナナカの方だ。絶対に敗北するという絶望とはまた違う。先程組み上げたはずの決意はいつの間にか霧散し、他人を、自分の判断で他者ナナカの命を左右する恐怖がタクミの心を震わせる。けれどその瞬間――



『私を、これ以上惨めにしないでよっ!』



 ナナカの悲鳴がタクミの耳に突き刺さる。体を引き裂こうとする慣性の暴力よりも強く、戦いにおいてですら、共に並び立てない。そう彼が認識している事実がより強く彼女を貫いている。ふっとタクミの震えが止まった。ああその感情は、自分の持つ唯一のモノが否定される恐ろしさを理解しているのだから。


 だからタクミは、分かったの一言と共に、もう一段加速する。オーバードライブの更にその先、衝撃が機体を貫通し、それに遅れて塗料と油の焼ける匂いが鼻に届き、今2機のバンガードが、赤々と燃え上がる。





 肉が締め付けられ、血液が逆流し、骨が歪む。操縦服で低減できないオーバードライブの過剰慣性が、ナナカの体にダメージを蓄積させていく。限界を超え、歪んでいく彼女の視界に燃え上がる濃緑が映った。タクミのエクスバンガード、残念だが操縦の腕前も、機体の性能も全ての面で彼は彼女を上回る。


 命を賭けても尚、その隣に追い付くことは出来ない。現についさっきまで、タクミが気遣ってようやく連携が成り立つ程度の体たらく。ああ、けれど、それでもなお。ナナカはタクミの隣に並び立ちたいと願うのだ。



 赤熱するエクスバンガードに立ち並ぶため、もう一段速度を上げる。ボキリと何かが折れた音が鼓膜を通さず伝わるが、痛みを強引に気迫でねじ伏せ、操縦桿を握り込みフットベダルを更に押し込む。


 どくどくと鼓動が心臓から吐き出され、視界は既に赤く染まり、死神の足音が頭蓋の内側に木霊してなお、ナナカはバンガードを駆り続ける。



 青を黒で飾ったイナーシャルアームド、バグ・ナグルスの姿をフロントモニターに捉え更に加速、既に音すら間に合わない。思考すらあやふやな反射に等しい直観が機体を振り回す。命を燃やしながら最善を突き進み、ロングブレードを振り抜いた。


 タクミの牽制によって、重力障壁はナナカに対して向けられることはない。迎え撃つは弁髪ワイヤードクローの一閃。それを、ぐるりと腕を捻って受け流す。破壊的なベクトルを維持したまま、2度、3度、刃が舞いバグ・ナグルスの肩口を、カメラアイに襲い掛かった。



『ハッ、成程、成程! 確かに、ああこれならばあるいは俺の最期に相応しいか!』

 


 切先が青を抉る。マスカレイドより高密度で圧縮された、積層樹脂の装甲は十分な強度を持ってナナカの業を受け止めた。けれどほんの僅かに、先程よりも刃は前に届いている。



(まだ、早く―― もっと、速く—— 疾くっ!)



 跳躍拳のカウンターが放たれる前にその場から、バンガードは跳ねて下がる。また一つ身体から何かが削れる音がした。けれど止まらない、ナナカの攻撃を引き継ぎ、タクミのエクスバンガードが、バグ・ナグルスに襲い掛かる。


 重力障壁を引きつける為の牽制射撃に本命を織り交ぜながら、ナナカが無理を通せば切り込める間隙を生み出し。そこに命を消費しながら決死寸前の一撃を放つ。


 刃と砲弾のコンビネーションが奏でる曲は、速度を上げ、空間を削りつつ、ユェン=ターサンを追い詰めていく。ロングブレードが音速を超え、空中で弁髪ワイヤードクローと衝突し砕け散る。



(もう、一撃!)



 炸裂ボルトが起動し、肩口から予備の長刀が弾き出される。バグ・ナグルスの弁髪ワイヤードクローが引き戻されるより先に、炭素繊維を寄り合わせたワイヤーに可能な限り薄く、強靭に鍛え上げられた刃が再び襲い掛かる。



『ははっ! ははははははっ! そうか! ただの刃を! よもやここまで極めるか!』



 この10年、数百機のバンガードを撃破し続けた弁髪ワイヤードクローが宙を舞う。数度の打ち合いの最中、ナナカが刻み付けた傷を切り開いた結果。ただ一つ遠距離攻撃を奪われ、完全に趨勢は傾いた。


 戦いにもしもは存在しないが、あと20秒このやり取りが続いたなら、ナナカが放った剣は世界最強の命に届いただろう。



(――あ)



 けれど、あっけなく。まるで機械の電源が落ちるかの如く。ナナカの体は限界を迎えた。意識はある、視線は動く、けれど酷使された体が、物理的に動かない。精神論では覆せない肉体の限界。


 目の前にはバグ・ナグルスの右腕に切り込んだ己の刃。そこで終わり。何もかもが止まる。ナナカが文字通り命を燃やした結果ではここまでしか届かない――



(私の―― 負け)


『成程、これが…… 限界、か』



 ほんの僅かに寂しさが込められた声。ユェン=ターサンには、ナナカの眼前に立つバグ・ナグルスには僅かな余裕があった。違いなく彼女の命は次の瞬間、左の手から放たれる跳躍拳に吹き飛ばされる。


 けれど、それは永遠に訪れることは無い。



「けど―― 私達の、勝ち」


『これで、終わりだ。ユェン=ターサンッ!』


 

 あえて公用周波数で放たれたタクミの勝利宣言。目の前に広がるバグ・ナグルスの背後に、燃え盛るエクスバンガードの姿が映る。銃剣が突き刺さる距離、銃口を操縦席に押し付け、降伏勧告すら無しに向こう側で撃鉄が落ちる。音よりも先に衝撃。


 世界最強ユェン=ターサンは40㎜の弾丸で撃ち抜かれ、それを確かめたのとほぼ同時に、御剣那奈華の意識は闇に沈む。


 タクミと共に並び戦えた満足感と、もう戦えない寂しさを噛みしめながら。

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