02-3
「状況はどうなっている?」
『予定通りです。このまま後続部隊も投入します』
「準備出来次第、予備戦力まで投入して構わん。確実に事を成せ」
月の裏側、月面帝国における皇都に存在するビルの一角で、レオニード=ロスコフ上皇は軌道上に展開する宇宙艦隊との通信を行っていた。
超古代文明の遺産は、数光秒離れた場所とリアルタイムでの通信を可能とする。
彼の部屋の広さは地球の基準なら高級ホテル程度。しかし超古代文明の遺産によって限定的に人類が生存できる空間を確保している月面帝国においては最上級である。
調度品もシンプルな物ばかり、月には資源の余剰はほとんど存在していない事を示していた。通信用モニターの横にある花瓶に飾られた一輪の花は、地球ではその気になれば誰でも手に入れられるものだ。
しかし月面においては贅沢品である。
「国連宇宙軍のステーションに侵入させた工作員からの通信は?」
『緊急の連絡はありません』
「だろうな…… 地球人に宇宙という環境は早すぎるのだ」
『はっ、我らの大義を貫くために!』
胸に手を置く、月面式の敬礼と共に地球侵攻部隊の指揮官からの報告は終わり、モニターの画面は量子通信機が捉える無数のノイズで埋め尽くされた。
画面の電源を落としながら、改めて上皇は現状について思考を巡らせる。月面帝国側から見れば、地球側の宇宙戦力は現時点では障害にはなりえない。
主戦力はロケット推進の艦艇、基地である宇宙ステーションはレールガンを1発撃ち込めば使い物にならなくなる。
だが、それを潰すよりは工作員を潜入させ偽の情報を流す事で、利用する事を月面帝国―― 正確には上皇を含む終戦反対派は選んだのだ。
最も現皇帝であるアルテ皇帝による終戦交渉の一環で、ある程度軌道ステーションの技術を公開したという話もあり今後は油断は出来ないのだが。
「まったく、地球との和平などと世迷言を」
レオニード上皇にとって地球は対等の存在ではない。月面遺跡を発掘し、そこで真実と出会った月の民から見れば旧人類。サルと人と同じレベルの差が存在する。
そもそも上皇からすれば、アルテ現皇帝の就任自体論外である。確かに自分達月面第一世代による地球制圧作戦が失敗したのは間違いない。
だからといって月面で生まれて月面で育った、純粋培養の月面人であるアルテ皇帝を含む第三世代による地球との共存を目指す方針は手温すぎた。地球人に月の英知をばら撒く事は、媚び諂い、許しを請う事と同じ。
文字通り純粋培養された少女が、月に認められ権力を得て皇帝の地位を得た。逆の試行が必要な時もあるだろう。
だがこの5年間で彼女が積み上げた成果は、吐き出したリソースと釣り合うものではないと彼は断言する。
「だが、ここまで事を進めて止められないという事実は――」
上皇は窓に目を向ける。眼前に広がるのは月面クレータの下に広がるビルの群。
地球のそれと比べると継ぎ目がなく、上に行くほど細くなる円錐状の建物が連なる光景は、まるで無機質な虫の巣穴に迷い込んでしまったようにも感じられる。
装飾を取り去り、文化を非効率と否定し、ただ効率だけを突き進めた結果生まれた生活空間。月面遺跡を元にしたこの都市において人間は個ではなく、ただ目的を論理的に実行する為のパーツに過ぎない。
その中で自分が半分以上論理的思考ではなく、感情的に物事を進めている自覚が上皇にはあった。それでも彼は自分が進む道が非効率なものではないと確信している。
何せ世界を動かすのは非合理な心を持った人間である。だからこそ地球にもこちらの意図を理解した上で、あえて泳がせる勢力が存在していて、本来なら成功しなかったテロが成立したのだ。
それを理解しなかった故に彼女はテロを防げず、想定以上の成果を上げた。だからこそ月面帝国の支配するものは未だに彼を止めない。
月の海の奥底で、レオニード=ロスコフ上皇は暗い笑みを浮かべるのだった。
◇
実のところ、イナーシャルジェネレータの倒壊は劇的なタイミングではなかった。映画やドラマの様に代表同士が握手をする場面ではなく、最後までプログラムが終了してから数分後。ちょうど全体の空気が緩んだ瞬間に爆破は行われた。
それに呼応し式典の外側で月面帝国のIAが破壊活動を開始。混乱する状況の中で様々な事が同時に突き進み。結果として東京メガフロート日本防衛軍基地の一室に、月面帝国の現在における最高権力者であるアルテ皇帝陛下が保護されていた。
この状況は
現状は混沌としたまま、メガフロート内では戦闘が続いている。主に暴れまわっているのは月面帝国のIAであるマスカレイド。最初に出現した機体はある程度撃破出来たとの報告を受けている。
ただし援軍としてルナティック7の襲撃があったとの情報もあり余談を許せない状況は続いているのだが。
「西村殿、状況の説明をお願いしたい」
ロングスカートでゴシックロリータのメイド服とショートカットの髪型が対照的な少女を背後に控えさせ、アルテ皇帝陛下は問いを発する。銀髪のセミロングと金色に輝く瞳に彩られた美女というにはまだ幼さを残す顔。
それと不釣り合いに豊満な胸を、ベージュ色のタイトなシルエットのドレスに詰め込んだ姿はおとぎ話に出てくる姫君か、あるいは月の女神そのものにも見える。
だが西村は彼女がアイドルではなく、手ごわい交渉相手である事を理解していた。
少なくとも家柄と甘いマスクでメディアに露出して、発言力を稼ぎ、コネを紡いで動かす程度の事しか出来ない。そんな自分よりも高い判断力、そして当然ながら権限も持っている相手だと。
「正確な情報はまだ何も。ただ上がって来る報告を纏めた物を信じるなら――」
「月と地球の終戦反対派が手を組んだ…… という処ですか?」
言葉に詰まるが、彼女が彼の心を読んだわけではないのだろう。そもそも地球も、現皇帝を中心とする月面帝国の終戦交渉推進派も、反対する勢力は想定していた。
それらに対する根回しや分断を行い、彼らが単独でこの調印式をひっくり返す事が出来ないレベルで動きを抑え込む程度の対策は行っている。
だたしどちらにとっても相手憎しで戦争継続を訴える彼らが手を結ぶという、余りにも本末転倒な行動を起こす事を想定しても。地球と月の交渉推進派にはそれを起こり得る事態として対策を行うだけのリソースが存在していなかったのだ。
「それで、この先どうするおつもりです? 残念ながらわたくしにはこの事態を安全に打開出来る手札が有りません。最悪軌道上に待機している
「現状でそれをやられると事態が混乱しますね。日本国防軍の戦力でどうにかするしかないでしょう」
「つまり日本国防軍には終戦交渉反対派は存在しないと?」
「少なくとも、このメガフロート内には存在しませんよ」
見栄を切り、一番良い角度の顔で皇帝陛下に言葉を返す。裏方が情報を纏め大まかな方針を固める為の資料を作り上げる時間を稼ぐ事が、自分の仕事であると西村は理解していた。そういう意味で自分の顔は武器になる。
ただ顔が良い人間が断言するだけで、その言葉は一定の重みを持つ。当然この基地内部に反対派が入り込まない様に細心の注意を払っているのは確かである。だがそれを事実だと相手に認識させることは簡単ではない。
顔の良さだけで全てが決まる訳ではないが、その道筋が一歩でも埋まるというのならそれを使い潰さない程度に手札として切るのが彼の流儀だ。
「まぁ ……これまでの実績を見れば、信頼できますね」
「ですが皇帝陛下。この基地に反乱分子が居ないとしても――」
「ええ、同じメガフロート内に存在する米軍基地はそうではない。いえ――」
西村は芝居がかった動作で一旦彼女達に背を向け振り返る。普通の政治家や首席事務官が行えばひんしゅくを買う動作でも、35歳のイケメン首席事務官である彼には許される。
「賛成派の基地司令と反対派の副指令を組み合わせる事で、抑えるつもりだったのでしょう。複雑に絡み合った派閥の抗争が最悪の出目を叩き出したようですが」
彼とて何もしなかったわけではないが、流石に在日米軍のポストの決定に直接口を出すようなマネは出来ない。精々基地司令に推進派の人間が就任しやすいように裏から手を回すのが限界だ。
日本へのコネが少なかった推進派の候補に対して裏から手を回し、幾つか使いやすいものを斡旋する。外務省側から反対派の指令候補に軽く調査を入れる。そんな細かい行動の積み重ねの一つ一つにどれだけ意味があったのかは分からない。
しかし、大きな差が無いのならそういったちょっとした事が原因でポストの上下が入れ替わる事もあるのだ。
「手段は基地の信頼出来る人間に任せますが、脱出が優先ですね」
「向かう当ては?」
「安全を考えるなら横須賀です。あそこならある程度信頼出来ますので」
近場の基地を幾つかピックアップして、顔を知ってる相手が多い基地を選択する。本来ならメガフロート基地が彼にとって一番信頼出来る基地なのだが、このまま待っていれば事態が悪化する可能性が高い。最悪陥落する可能性すら考えられる。
流石に敵もメガフロート以外に戦力を展開する余裕はないという判断もあった。
「脱出の方法は? 可能なら護衛である彼女の輸送も手配して貰いたい」
「そうですね、我々だけなら航空機による輸送が…… いや、駄目ですね」
敵IAが存在する場所で通常の航空機を離陸させるのは自殺行為だ。航空機である以上レールガンの直撃を喰らえばそれだけで撃破されるのだから。
その後暫く話し合ったが基本的な行動の方針において彼自身と、皇帝の間に大きな齟齬は無かった。自分達の生存が最優先。
皇帝は言うまでもなく彼女が死ねば月面帝国に地球と終戦協定を結ぶ選択肢は消えてなくなる。自らの死は彼女と比べれば影響は小さいが、推進派事務方のトップが死亡するという事態も反対派の意見に大きな追い風になる。
自分の命そのものが他人の命より重いと思っている訳ではない。しかし自分が死んだ結果、大量の命が失われるというのなら何をしても生き残らなければならない。
その上で生き残る可能性を上げる為の話し合いを続けようとしたところ、会議室の扉が大きな音を立てて開かれた。メイドがアルテ皇帝陛下の前に立ちふさがり西村も一瞬体を震わせる。
しかし、すぐに彼が自分の信頼する秘書である事を理解し平静を取り戻す。
「どうした、緊急事態以外でここには入らないようにと――」
「間違いなく緊急事態です。ルナティック7、ナンバー1。グラ・ヴィルドが軌道上から降下した事を確認。更に国連宇宙軍から敵増援の姿を捉えたと連絡が!」
西村が予想していた中でも、事態は最悪に近いパターンに向かって進んでいる事実を知り頭を抱えたくなるのを辛うじてこらえる。ここには自分だけではなく家族の反対を押し切って、兵役についた弟がIAに乗って警備しているのだ。
このままでは自分と弟が皆死んで西村の家は途絶えてしまう。そんな場違いな考えが一瞬頭をよぎるが、それを無理やり抑え込み勤めて冷静さを保とうと努力する。
状況は最悪に近いがまだやれることは残っている。だから西村は現状生き残っているこの場の政府の最高責任者として、いつも通りにこなす事を改めて決意するのであった。
たとえそれが下から上がって来た意見を選び責任を取るだけであったとしても、それがなければ物事は始まらないのだから。
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