04-3


「――診断の結果、一時的な精神ショックによる体調不良ですね。栄養剤と経口補水液を出しておきますので軽く休憩したら現場に戻って大丈夫ですよ」



 気が付くとタクミは医務室の椅子に上に座った状態で、医者からペットボトルと錠剤を受け取っていた。段ボールから出したばかりと思われる生ぬるいそれを受け取り周囲を確認する。


 4床2列に並んだベッドには負傷兵が唸っており、包帯を巻かれて床に放置されているモノも多い。ただこちらが満員なら基地のどこかにある死体安置所は、空いているだろう。根拠もなくそう思い、一礼して部屋の外に出た。



「タクミ、大丈夫か?」


「ああ、うん。ちょっと精神的な疲れが出ただけみたい」


「そうか―― よし、戻る前に少し話そう」



 それに対してYES/NOで返事をする前に、ナナカはタクミの腕をぎゅっと握ってぐいぐいと歩いて行く。それに逆らう気力の無いタクミはそのままの勢いで引っ張られ、最終的に基地の通路に設置された休憩スペースの椅子に座らされた。



「どうする、そのぬるいのを飲むか?」


「何があるの?」


「炭酸、コーヒー、リンゴ、ミカン、緑茶、ウーロン茶……」


「いいや、これ飲むよ」



 どうやらこの基地にはタクミが普段から愛飲しているコショウ先生は無いようだ。あの薬臭い炭酸飲料を楽しめないのなら、素直に温い経口補水液を飲んだ方がマシである。栄養剤の中身を口に放り込み、ペットボトルを咥えて流し込む。



「倒れそうになった原因、聞いても?」


「……説明しても、分かってもらえるか分からないけど」


「いい、聞くだけ聞いてから考える」



 男らしいナナカの言葉を聞いて、タクミはようやく笑みを浮かべた。そしてぽつりぽつりと自分が倒れた原因を口に出していく。



「さっき、あの場所に来てたスーツの人、兄貴なんだ」


「もしかして、私と同じで仲が良くない?」



 3年近く共に過ごしても、話していない事はある。タクミですらナナカ自身が家に隔意を持っているのは直に理解出来た。だから互いに家の事について詳しく話した事はない。



「確かに良くないけど、それは原因じゃない」



 西村重蔵という兄は、タクミにとって単純に嫌えばいい相手でしかなかった。常に威圧的で、言葉が乱暴な兄。恐らくタクミがじゅうにぃを嫌うのと同じ位、じゅうにぃはタクミを嫌っているのだろう。


 しかしタクミの心はただ嫌いな相手が出て来ただけで崩れる程に脆くはない。じゅうにぃは脇が甘く、タクミの反撃を許す事が多く、その度に悔しそうな顔をするのだ。


 たとえ嫌い合っていても同じ土俵でやり合える相手なら怖くはない。



「ねぇ、西村健一郎って知ってる?」


「あのワイドショーに良く出る? 苗字が同じだけど、もしかして――」


「そう、一番上の兄。外務省に努めてるんだって」



 その言葉にさっきの人が兄弟で一番上じゃないの? というナナカが聞き返し、もう一度タクミは笑みを浮かべる。いつだってじゅうにぃはそういう風に長男と勘違いされて、後でその事を愚痴るのだ。



「成程、つまりタクミの兄弟が全員このメガフロートに揃っているという事に?」


「そうだね、他に兄弟居ないし」


「今までの話からすると、原因は上のお兄さん?」



 その言葉を聞いた瞬間、タクミの脳裏にじゅうにぃの言葉が頭の中に蘇る。「だから、タクミだけ作戦から外す事は――」というそれの向こう側にあるであろうけんにぃのタクミを危険から遠ざけようという意志。



「たぶん、けんにぃに悪気はないんだ。けど――」


「けど?」


「守ろうとするんだ、こっちの意志を考えずに」



 いつだってそうだった。政治家として殆ど家に帰らない父の代わりに、年が離れたけんにぃはいつだってタクミを守ろうとしてくれた。学校の成績が悪かった時も。小中学校で虐められた時も。


 そして出来の良い二人の兄と比べられ、周囲から悪意を受けた時。お前はそれでいいと言い切った。自分より劣った存在であっても良いと。それで十分だと過保護という名の檻に、母親と共に閉じ込めようとしたのだ。


 タクミはただそれに耐えられなかった。何をやっても、どうあっても変化しない。そんな評価を延々と受け続け。自分が優しい檻に閉じ込められる、そんな閉塞感の中でずっと過ごして来た。



「そうやって守られるのが嫌でさ」


「軍事教練で学費がタダになる高校に入ったと、そこは私と同じだね」


「やっぱり、ナナカもそうだったの?」



 改めて視線を合わせると、座った状態では自称身長150cmと小柄な彼女を見上げる事になりほんの少し新鮮だった。距離は近いが残念ながら色気のない操縦服なので特に思う事はない。



「私だって、タクミ程ではないけど。良い家のお嬢さんなんだよ?」



 確かに過去のナナカを思い返せばファーストフードを食べたがったり、カラオケに行きたがったりと自由になった箱入り娘な空気はあった。更に剣術ニワカと実家を卑下する事はあっても貧乏だったと聞いたこともない。


 そんな事を考えているとペットボトルを弄びながらナナカは言葉を続ける。



「タクミは多分、怖いんでしょ?」


「怖い?」


「IAの操縦っていう自信自身を取り上げられるんじゃないかって」



 それを聞いた瞬間、タクミの中で漠然としていた恐怖が一瞬で形になった。けんにぃが自分を守る為、IAから自分を引き剥がす。3年かけて積み上げてきた自信自身を悪意ではなく、善意で崩される事がたまらなく怖い。



「ねぇ、ナナカ。どうすればいいと思う?」


「立ちあがって、普通に戦えばいいと思う」


「出来るかな? けんにぃが本気になれば――」



 いつだってけんにぃはタクミが勝負を挑む前にカタを付けて来た。


 小中学校でいじめられていた時も、タクミが反撃に売って出ようとする前に向こうの頭を下げさせた。兄たちと比べられて悔しくて努力を重ね、それでも駄目だった時、一番初めに努力した事に価値があると結果を切り捨てた。


 何をしても掌の上だという実感。そこから逃れられたと思った所で再び現れた兄の影にタクミは恐怖している。



「大丈夫、タクミがつかみ取った勝利の価値は軽くない」



 気づけばタクミの頬はナナカの両手で包まれていた。少し屈む格好で視線を合わせられ、瞳の中に自分の顔が映る距離まで迫られて、流石に気安い仲であってもここまで迫られれば胸が高鳴る。



「タクミが計画して、先陣を切って実行した」


「トドメを刺したのはナナカだったよね?」


「タクミ無しじゃ、無理だったよ?」



 どこまでも真剣にナナカはタクミの瞳の奥を見つめて来る。気恥ずかしくなり目をそらそうとするが、頬を抑えたナナカの手がそれを許さない。



「何もしてないただの新兵なら兎も角、タクミはしっかりと結果を出したから」


けんにぃに、戦う事を止められない?」


 

 理屈としては国防軍から見て、タクミの上げた戦果は無視する事は難しく。けんにぃの意向一つで下げられる事は無いだろう。国防軍にもメンツがある。


 そこまで理解していても、タクミの中にあるけんにぃに対する呪縛じみた複雑な感情が心を縛りつけて来る。しかしその複雑に絡まった思いに対してナナカは言葉の刃を振り下ろした。



「むしろ守る位の意気でやればいい、それだけの力がタクミにはある」



 けんにぃを守る。それをゴルディアスの結び目を断ち切ったように、と表現するのはタクミ以外から見れば過剰表現かもしれない。けれどナナカが放ったその一言はタクミにとってそれだけの衝撃だった。


 一方的に施してくる相手を、嫌う事すら出来ない地獄を、こうも簡単にひっくり返せる方法がある事にようやく気づけたのだから。



「ありがとう、ナナカ」



 まだ絡まった思いが断ち切られただけで、何か成し得たわけではない。けれどこれまで目を背けていた課題と向き合えるようになった。その思いを込めた言葉を受けて、ナナカは花が咲き誇るような笑みを浮かべる。

 


「よかった、やっといつもの顔に戻った」



 そんな酷い顔をしていたのかと額に皺を寄せれば、やり過ぎると癖になると無理やり伸ばされて、そんな事が無性におかしくて、二人で小さな声で笑い合った。



「何分くらいかな?」


「部屋を出てから20分ちょっと」



 タクミが立ちあがりながら尋ねれば、打てば響くタイミングでナナカが応える。



「じゃあ今すぐ戻れば?」


「ブリーフィングが終わるまでに間に合うかも――」



 ナナカが返事を済ませる前に、タクミはその手を握ってブリーフィングルームに向けて駈けだした。ナナカはほんの少し不機嫌そうな声を出すが、すぐにそれは笑みに変わって、彼女の歩幅に合わせて走るタクミに引っ張られるのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る