08-2


 タクミが兄の死を知ってから、あっという間に1週間が過ぎ去った。病院のベッドの上で聞いて、そのまま病床だからと通夜に出ることなく。辛うじて葬式に制服を着込んで顔を出したが、直にとんぼ返りで部隊の再編で忙殺される。



 本来あり得ないルナティック7、グラヴィルドの撃破による、二等兵から伍長への特進に対する事務処理は、未だに纏まらない兄の死に対する気持ちを整理する前に押し流していく。


 最も事実上、稲葉少尉の副官と化してる高橋と比べれば、大した作業ではない。それでも組織特有の面倒な書類仕事に対し、同じように特進したナナカと共に悪戦苦闘する羽目になった。


 更に訓練と機体調整、形式上必要な上司部下との顔合わせ。それらがようやくひと段落したところで気が付いた。兄の死後、殆ど状況が変化がない事実に。



(何か、足踏みしている気分だ……)



 午前中の訓練を終えたタクミはお気に入りの炭酸飲料が無いことを確認、諦めてスポーツドリンクを購入した。どうやら物流に影響が出ているようで休憩所の自動販売機の表示は半分以上売り切れのまま補充もされていない。


 メガフロートからの撤退先である横須賀になし崩し的に配備され、部隊再編が完了した後はただ訓練を重ねるのみ。自分から死地に飛び込むつもりはないが、こうも動きがなければジリジリとした焦燥感が湧き上がる。



「なんで、メガフロートを放置してるんだろう?」


「まだ攻める準備が全然終わってないからだよ」



 休憩所で呟いた独り言に背後から答える声、振り向くと高橋が書類を抱えて立っていた。目の下に隈が広がり、しかし瞳はギラギラと光る、典型的なワーカーズハイである。



「ほい、とりあえずこれと、これと、あとこれ。付箋の処にハンコ打て」


「あ、うん……」



 パラパラと受け取った書類を斜め読みしながら印鑑を押していく。戦術データリンクシステムを含む携帯端末が普及しても、こういった紙の文書によるやり取りは決してなくならない。


 人と人が顔を突き合わせることで分かることもある。事実タクミはこれらの内容がメガフロートに対する反抗作戦を行う為に必要な書類であると理解した。


 判を押し終わり、高橋の方に向き直ると。缶コーヒーのブラックを飲み干してぼぉっと中に視線を向けている。タクミが印を押し終わったのに気づいていないようだ。友人がここまでの状況になっているにも関わらず、何も出来ていない。



「ごめん、高橋…… なんか、何も出来なくて」


「あ? 何言ってんだお前」



 タクミの弱音に反応し、普段の人当たりの良さをゴミ箱に投げ捨てた不機嫌さで、高橋は焦点を合わせた。ビクリとタクミは下がりそうになるが、それでも視線をどうにか合わせて話を続ける。



「結局さ、ユェン=ターサンとの戦いで何も出来なくてさ」



 不機嫌そうな表情のまま、高橋は彼の言葉を遮らず先を促す。ずっと前、今よりもずっと人と話すのが苦手だった頃。こんな風に話を聞いて貰ったことがあったなとタクミは思い出す。



「グラ・ヴィルド相手に勝ってさ、もしかすると何か出来るんじゃないかって。そう思った自分が潰れかけたりしたのをどうにかしたのに、また何も出来なくて。だから健にぃが――」


「だまらっしゃいっ!」



 すぱぁん! と小気味いい音。高橋は書類の束でタクミの頭をはたく。その拍子に2~3枚書類が宙を舞い、瞳から零れ落ちそうになっていた涙が奥に引っ込む。



「グラ・ヴィルドの時点で大金星! ユェン相手にして生き残るどころか一矢報いる大戦果! テメェはそこまでやらかしてそんなアホなことを考えてたのかよ!」



 そう一気にまくし立て、ため息を一つ。それからえー、あー…… と何を口に出すか選びながら高橋は言葉を続ける。普段よりもゆっくり、とたどたどしく。いつもの口の上手さがどこかに消えてしまっていた。



「そりゃさ、兄貴が死んだってのは辛いのは分かるし。けどよ、なんつーかそりゃお前がどうこう出来た事でもないし、お前がやった事が変わる訳じゃないってか……」



 確かにそれは道理で、自分がもっと何かが出来ていれば。例えばユェン=ターサンを撃破出来ていれば、兄が死ななかったのかと問われればそれは違うと理解出来る。けれどその道理だけでは感情が纏まらない。



「正直な話、俺はお前に嫉妬してるよ。タクミ」



 苗字ではなく、名前と共に告げられたその告白で、タクミの思考は一瞬固まった。高橋が自分にそんな感情を抱いているというのは完全に埒外で、どう反応すればいいのか分からずに押し黙る。



「ほんと、最初は張り合おうとしてたんだぜ? けどな何度も負けてれば嫌でも分かっちまうんだよ。お前は俺が1歩踏み出す間に、10歩も20歩も先に行くって」



 それは絞り出すように、吐き出すように、懺悔するように。高橋は普段隠しているドロドロとした黒い部分をタクミに揃えて並べて重ねていく。



「ほんと、気づいた時キツかったぜ。俺だってそこそこ自信があったんだ」



 まぁゲームで培った奴だけどなと乾いた笑い。汚れた壁に持たれた高橋、破れたソファーに座ったタクミ。二人きりの休憩室で告白は続く。旧式の自販機が発する音が妙に大きく響くが、声を遮るほどではない。



「ああ、だからそんな風にお前がウジウジしてると俺の立つ瀬がなくなるだろ」


「まるで、何かが出来てるみたいに……」


「出来てるんだから、誇れってんだよ」



 それは悲痛な叫びにも、優しい励ましにも聞こえて、タクミはそのどちらなのか判断できずに困ってしまう。それが顔に出ていたようで高橋はふっと笑みを浮かべた。



「ああ、まぁ。けど、たまにはそうやって悩むのもいいのかもな」


「なんでさ」


「お前が悩んでウジウジしてたら、もしかしたら俺が並べる。いや」



 高橋の表情が切り替わる。人が何か道を見つけた時に見せる顔に。軽くストレッチをしつつ気合を入れ直し、あっという間に彼の瞳と、そして体に精気が戻っていくのがタクミには分かった。



「……近々、スゲェものをくれてやる」


「ユェンにも勝てるくらいに?」


「おいおい! そいつは無茶振りし過ぎだろう! けどな――」



 先程タクミの頭を叩いて散らばった書類をかき集めながら、高橋は自分の戦いである事務作業に戻ろうと踵を返す。



「次はあんな、どうしようもない状況じゃなくて、勝てる場面を整えてやろうぜ?」



 彼の名前を呼ぼうとするが、それが表に出る間もなく高橋は手を振りながら通路の向こうに消えていた。後に残ったのは先程までの会話をかみ砕けないタクミ一人。ただ随分と心の中にあるモヤモヤは薄くなっている。



「ありがとう――」



 兄が死んだことに対して、わだかまりが消えた訳ではない。けれどその死と、自分が積み重ねた物をどうにか切り離し、前を向く事が出来た。


 口の中でさっき言えなかった名前を呼んで立ち上がる。その拍子にポケットの中に入れている、戦術データリンクの呼び出しメールに気が付いた。件名欄に時間と場所を入れただけで内容は空欄。訝しんで送信元を確認するとNANAKAの6文字。


 彼女ならそういう横着をするなと納得しながら歩き出す。その歩みは休憩所に入ったそれと比べれば随分と軽く、今だ問題を解決する銀の弾丸は手に入らずとも、進めばどうにかなると無邪気にそう思えたのだから。

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