第08話『進む理由』

08-1


「必要な事だと理解しているつもりですが、どうにかならないのですか?」


「顔合わせや会合は、必要最低限に抑えてはいるのですがね、どうしても」



 リムジンの中で銀髪金目の美女が死にかけていた、と言い切るのは誇張が入った表現ではある。しかし月面帝国皇帝のアルテ=ルナティアスが疲れ切っているのは間違いなかった。


 その体が華奢であることも相なって疲労が表に出やすいのは、政治家として不利な資質なのかもしれない。性差や体格の差はあるものの同じ行程をこなしている筈の健一郎にはまだまだ余裕が見てとれるのだから。



「それに、メガフロートを占拠した上皇派はあと半年は動けないのでしょう?」


「それはあくまでも彼らが理性的に行動した場合です」


「だとしても、彼らの目的は慣性変換式発電機関イナーシャルジェネレータによる地球の自転エネルギーの確保である事は間違いないのでしょう? それで何をするのかは不明であっても」



 確かに西村健一郎の認識に間違いはない。追い詰められた上皇派は逆転に賭けてメガフロートを占拠し、慣性変換式発電機関イナーシャルジェネレータをその手中に収めたのである。


 その上で政治的な交渉や声明の発表は行っていない。つまるところその理由がどうであれ、直接的な実利を目的として行動していると彼は判断していた。



「確かにフルスペックで使うなら、上皇派が全力投入しても半年はかかります」



 そこは皇帝アルテの認識も変わらない。物理的な制約、ある種のリミッターが東京湾メガフロートの慣性変換式発電機関イナーシャルジェネレータには仕込まれており。物理的な施工を行わない限り、その出力は構造から導き出される最大出力の1%にも満たない。


 その為、自然に自転が減衰する速度と比較すれば、誤差の範囲に収まる程度のエネルギーししか取り出せない。それでも関東全域の消費を賄って有り余る電力を出力できるのだが。


 しかし、物理的に切断された基礎とメインシャフトの接続工事を行いリミッターを解除した場合。最悪地球の自転に秒単位の誤差を産むエネルギーを消費されてしまう可能性がある。


 それが人類を滅ぼしかねないという現実は互いに理解出来ている。二人の間にあるギャップはこの事実に対する危険認識の違いだ。



 健一郎は彼らが本気で地球を滅ぼそうと考えていたとしても、リミッターを解除し最大出力まで持っていくには時間がかかると考えている。いかに月面の技術が優れていてもその人財は無限ではない。


 交渉ルートが塞がれていたとしても、月面からの補給線を叩き、ミサイルや砲撃によるハラスメントの徹底で精神的な揺さぶりをかければ、士気の低下も見込める。


 国防陸軍から上がって来たメガフロート攻略作戦にも大きな問題はない。被害は出るだろうが、決して勝ち目が低い戦いではなく。だからこそ"戦後"を見据えた根回しを含めてことを進めているのだ。


 最もその作戦の中核となる部隊に、自分の弟であるタクミが配属されている事実に対しては苦い思いを抱いている。5年前のムーンフォール作戦と同じ、ある程度の損耗を見越した斬り込み部隊。


 可能ならばどうにか救い出したい。そう感じる程度に健一郎は弟を思っているし、そして傲慢でもあった。



 対するアルテ皇帝はレオニード=ロスコフ上皇を健一郎程信用してない。そもそも終戦式典に対して行ったテロは政治的力学を完全に無視した宣戦布告である。


 そんな彼らが健一郎が考えるレベルで理性的な判断を下すとは思えない。無論今だに政治的な決着を望む一部の平和主義者と比べれば、決戦無くしてこの戦いが終わらないと理解出来ているだけマシなのだが――


 それでも皇帝アルテから見れば一手遅い。だが彼女が健一郎と共に行っている根回しなしでは、決戦すらままならないのもまた事実。



 どうしようもない状況にため息をつこうとして、必要以上に気が緩んでいる事実に気が付いてどうにかそれを押しとどめる。こうして共にメガフロートを占拠している上皇派を排除する為に動いているとはいえ健一郎は仲間ではないのだ。


 それでも共に同じ目標に向けて歩んでいく過程で、仲間意識を持ってしまうのは止めようもなく。それをどうにか押し込もうと若き女帝は体勢を正すのであった。





 防弾リムジンの向かいに座る、ワインレッドのカクテルドレスを纏ったアルテ皇帝に対して、改めて難敵であると西村健一郎は胸の中で舌を巻く。


 交渉においては知能や頭の回転はともかく、その経験の不足が問題で、実のところ海千山千の政治家相手に勝負を挑まれれば不利であり、なにより経験もコネも足りていない。


 終戦直後の彼女にあったのは、遺跡の管理権限の一部。そして優れた頭脳だけ。


 だからこそ、彼女は迷わずにその武器を交渉の場で振るい続けた。終戦協定を結ぶ前から、メガフロートやそこで行える食料生産技術や、高効率の太陽電池など戦争で国力を失った日本に遺跡から解析した技術を湯水のように放出。


 それも、特許を取り生産拠点を日本に作った上で。


 自分達は交渉に値する存在だと、前皇帝がボロボロにして焼き尽くした政治的な立場や信頼を取り戻しながらその国の食料インフラにまで深く食い込んだのである。


 与えられているように見えて、手綱を握られたと言っても過言ではない状況。だが彼らは政治勢力としても、軍事勢力としては脆弱で日本の協力がなければ勢力の維持すら難しい。



 そして彼女は互いに胸元にナイフを突き刺した状況で、更に踏み込んだ。彼女が横須賀で、バグ・ナグルスが迫る中で行った演説において、日本に対し月面遺跡から出土した発掘品の譲渡を仄めかしたのである。


 これまで供給されたのは、あくまでも月面で解析され、汎用化された技術ばかり。良く言えば使いやすいが、金を産む鶏から生まれた卵を譲られたに過ぎない。


 もしも、金を産む鶏そのものを譲り受けられたなら―― それも誰からも後ろ指を指されることなく正当な報酬として入れられるのならば。100年前から続く戦後レジームからの完全な脱却すら視野に入る。



 無論、西村健一郎じぶんという顔の広い同盟者がいることを前提とした賭けであることは間違いない。もし彼女が一人でこの発表を行ったなら、世界の国々が覇権の為に彼女の身柄を確保しようと火花を散らしただろう。


 今のところ健一郎自身が把握する範囲において、積極的に彼女を手に入れる為に動こうとしている組織は存在しない。


 高いリスクを選ぶより、低リスクで利益を狙う方が効率が良いと理解している人間の方が多く、多数派にとっての正義は優先されやすくなるからだ。



 顔が広いという事実はそれだけで大きな武器であり、それと強力な手札が組み合えば世界すら思うままに動かせる。そんな錯覚を健一郎は抱きそうになるが、頭を振るってその妄想を追い払う。


 そもそもその手札を持っている皇帝アルテは仲間ではないのだ。更に最終的に目指すものは近くとも、月と日本というどうしようもなく遠い距離が横たわっている。


 自分が日本の為に動くように、彼女は月面帝国の為に動くのだ。


 何より仮に彼女が完全に協力してくれたとしても、世界とは自分一人の手に余る。思うがままに状況を動かしすぎた結果、その全能感に酔ってしまっていたことを健一郎は自覚する。



 ここしばらく、メガフロート奪還作戦の為に無理筋を通す場面も多かった。その分多くの政治的リソースやコネを消耗したのも事実だ。ある程度既定路線として固まった以上大きな流れは出来上がった。


 しかしそれでも、国内の対立勢力、大陸や欧州からの干渉。そして何より米国からの横やりで流れが歪む可能性はある。



 まだまだ忙しい日々が続きそうだと、健一郎は気を取り直し腕時計に目を落す。16時前、次の予定は都内で行われるパーティへの出席。これは事実上のパフォーマンスであり実務的な意味は薄い。


 当然気を抜いて良いものではないが、それでも半分以上カメラに向かって微笑むのがメインの行事である。こういった部分に関して自分は顔に恵まれていると改めて考えながら、未来に思いを馳せるのであった。





 歴史にもしもは存在しない。だがもしも他に予定が存在していれば。もしもトラブルが起こって、彼らが会場に到着する時間が遅れていれば。もしも、もしも、もしも――可能性だけはいくらでも後から想像することは出来る。


 けれど事実は変わらない。


 西暦2020年4月24日、17時13分。多数の報道関係者が詰めかけたパーティ会場にて、西村健一郎首席事務次官は死亡した。厳重なボディチェックをすり抜けナイフを持ち込んだ工作員による刺殺。


 すぐに工作員は取り押されられるも、その場で自害し背後関係の詳細は確認不能。入場パスの入手経路から、在日米軍内部の人間が関与しているとの見方が出たが、現在在日米軍のトップであるジョージ=カウフマン大佐はこれを正面から否定。


 歴史にもしもは存在しない。なにはともあれ終戦協定推進派における日本側の実働要員トップが死亡した影響は、大きな波紋となり広がって―― そしてその翌日に、弟である西村巧にもその事実が伝えられた。

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