07-4



 タクミが目を覚ますと、右腕に重みを感じた。視線を向けると、ナナカがベットに突っ伏した状態で自分の手をぎゅっと握っている。体を起こすといつの間にか病衣を着込んだ自分の体と、知らない病室の光景が目に入った。



「気が付きましたか、タクミさん」



 そっとナナカを起こさぬよう、手を引き抜こうとした時に声をかけられビクリとそちらに振り返る。そこにはいつも通りにメイド風味のパイロットスーツを着込んだレナが丸椅子に座っていた。


 手には単行本、恐らくは自分が寝ている間はそれに目を通していたのだろう。慌てて閉じたのか、栞が斜めに挟まっているのがチラリと見えた。


 さっと後ろ手に隠されたので表紙は見えなかったが、その背表紙は少女向けの小説のそれに見えた。大尉という立場からすれば不相応だが、年齢と性別を考えればおかしくはない。



「えっと―― 」


「ユェンが撤退してから17時間と、23分過ぎました。おはようございます」


「――おはよう、ございますレナ大尉」



 どうやら自分はまる1日近く意識を失っていたのだと察する。時計を見れば既に朝の8時を回っており、窓からは爽やかな風が吹き込んで、ベッドに突っ伏すナナカのポニーテールと、大尉の金髪をさらさらと揺らしていた。



「えっと、詳しい状況を聞いても宜しいですか?」


「タクミさんは高機動戦闘のダメージで意識不明になったのです。幸い障害が残ることはありませんが、処置が遅ければ死んでいてもおかしくなかったと……」



 レナ大尉は表情を変えずにナナカに対して視線を向ける。釣られて彼女を視界に入れなすせば、くーくーと寝息を立てながらも少し不安そうな表情で眠っている事に気が付いた。


 ナナカに心配をかけてしまったのかもしれない。いや恐らくレナ大尉にも、無論高橋や田村中尉も―― 自分の事を知る多くの皆に心配をかけてしまったのだろう。


 ただ不謹慎な話だが、稲葉少尉は心配していないような気がした。



「自分の容態もですが、その他の状況をお聞きしても?」


「――タクミさん。それよりも質問があります」



 レナ大尉は無表情のまま、コバルトブルーの瞳と共に疑問を投げかけて来た。その声色にはいつもとは少し違う、ほんの少しの困惑と興味が混じっている。顔の表情は変わらないが、それと反比例して目が動くので分かりやすい。



「何故、戦ったのですか?」


「えぇっと、レナ大尉。それは……?」


「貴方には、他の選択肢を選ぶことだって出来たのでは?」



 不足する言葉を頭の中で補って、それがユェンとの戦闘に関する話だと理解する。確かに自分だけなら逃げる事は出来る。それこそ兄に頼めば笑みを浮かべて任せろと言い切るだろう。


 そもそもただ生き残るだけなら、正面から戦わず逃げ回るだけでも良かった。


 バグ・ナグルスは驚異ではあるが、ただ逃げ回ればあそこまで追い詰められる事はなかった。相手の攻撃範囲に入らず、あえて当たらない牽制を行い、自分の実力を隠せば興味を持たれ正面決戦を挑まれる事にはならなかった。



「何故、そんな事を聞くんですか?」


「不合理だと思ったからです」



 質問に質問を返す愚行で時間を稼ぎつつ、自分の中にある考えを纏めようとする。がどれもこれも上手く形にならない。


 別にはぐらかしてもいい。別にしゃべりたくないと言っても構わない。それでも止まらないのは大尉の視線が真っ直ぐだったからなのか。それとも自分が応えたいからなのか。それすらもあやふやなまま、思考を巡らせる。


 兄への反発は自分が死んでも続けたい程に重かったのか? ナナカや高橋の様な戦友に死んで欲しくはないが、それでも別の方法があっただろう。無論タクミ自身が積極的に死にたいと思っている訳でもない。


 これがメガフロートでの戦闘のように、戦わなければ死ぬ場面ならば考える必要もなく、ああしなければ死ぬのだからというシンプルな結論で話は終わる。


 何故、自分はか細いとはいえ他の手筋があるのに正面決戦を選んだのか?



「死にたかったわけじゃないんです、それは確かで」


「はい」


「ただあの状況は辛くて、それもあるんです」



 バグ・ナグルスに対して、勝ち目の薄い勝負を挑むのは辛かった。もしもう少し手札があればまた違ったかもしれない。けれど、それでも、何故あの状況でベストを尽くし勝負を挑んだのか――



「たぶん、アレが僕にとって前に進むこと、だったから?」


「前、ですか?」


「ええ、前です」



 兄に縋って自分だけ命を繋ぐことが一番確実かもしれない。けれどそれをやれば自分の心が死ぬだろう。これまで積み重ねて来た全てを投げだすことはある意味死より恐ろしい。


 牽制に徹し、自分と戦友の生存を確保する流れは最善手に見えるかもしれない。しかし次は? その次は? 日本という国が追い詰められれば、追い詰められる程。自分達への支援は減りより厳しい戦いに身を投じる羽目になる。


 だからそこ、たとえどんなにか細い手筋だったとしても。あそこでユェンと戦い撃破する。もしくはダメージを与え、または再戦の為に生の動きを知る。それ以外のルートは問題を悪化させながら先送りにするだけだ。



「分かりました」


「今の説明で?」


「今の私では、理解出来ないロジックだと」



 流石に自分で問いかけておきながら、バッサリと切り捨てる言動にムッとする。それを感じ取ったレナ大尉の瞳が、困ったように揺れ動く。そして深く息を吸って覚悟を決めたように彼女は唇を動かした。



「いえ、その…… 私は戦後生まれなので、純粋に経験が不足しています」


「戦後生まれって…… ちょっと待ってください?」



 突然の告白にタクミの脳内が混乱する。戦後生まれ。言葉通りなら月面と地球の戦争。ほんの5年前に生まれた事になる。だが少なくとも見た目において彼女は20代前半、どう若く見積もっても18歳以下には見えなかった。



「戦争が始まった年に生まれたとか、そういう事ではなく?」


「促成培養型のクローンですので、肉体年齢は18で固定されていますが」



 驚きと、納得。そして困惑がタクミを襲う。確かに月面帝国における人口の9割はクローン培養であるという事実は知っているが、それを実感したのは初めてだ。


 レナ=トゥイーニー大尉に対し改めて頭から足元まで目を向けてしまう。知識としては理解しても、実感が全く伴わない。一見して自分達よりも年上で、大尉としての立場を持つ彼女が10に満たない幼子であるという事実をかみ砕けない。


 ただそれなら、今まで見せていた歳不相応の態度に説明が付くのも確かである。



「その、それって。話して大丈夫なことなの? いや、なんですか?」


「あまり吹聴する事ではないですし、公の場では20歳という扱いです」



 視線を泳がせたまま、レナは言葉を続ける。20歳の大尉としては相応しくない。けれど隠すべき秘密を口にした幼子としてみれば自然で、むしろしっくりすると言っても過言ではない。



「どうします、口調とかその辺りを」


「人目が無ければ、もっと砕けた方が私は嬉しいです」


「分かり、分かった…… じゃあ、出来る限りそうし、する」


「ありがとう、ございます」

 


 レナ大尉、いやレナは丸椅子から立ち上がってぺこりと頭を下げた。二人の間に奇妙な沈黙が流れるが、その空白をくーくーというナナカの寝息が埋めていく。それがギリギリの所で二人の会話を成立させていた。


 ただしそれも、5秒、10秒と続く沈黙を持たせることは出来ず、レナ大尉は丸椅子から立ち上がりぺこりとお辞儀をした。



「それでは、私はこの辺りで」


「はい、それでは……」



 どうにかその場を取り繕いながら、レナ大尉は病室を後にする。残されたのは未だに色々なものが飲み込めないタクミと未だにくーくー寝息を立てながら、彼の手を握りしめているナナカの二人。



(あぁ、もしかして。大尉もナナカと一緒に――)



 一晩中ここに居たのではないか? レナ大尉の告白でフリーズした頭が回り出し、改めて自分の行動が周囲に大きな不安を与えていたことを実感する。しかしそれでも―― 間違ったことをしているとは思えない。



「何かが足りないんだと思うけどさ…… どうすればいいんだろうね?」



 自分の最善を尽くした結果、それでもままならない現実に彼が零した疑問に対し。既に病室を去ったレナ大尉も、未だ夢の中にいるナナカも―― 答えを出してくれなかった。

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