08-3



「タクミ、デートに行こう」


「デート? デートって?」



 メールでの呼び出しに従いタクミが基地に設営された仮設兵舎に向かうと、そこには精一杯のお洒落をしたナナカの姿があった。建屋の上に広がる春から夏に向かう、青い空との鮮やかなコントラスト。


 基地という場所と噛み合わない白いワンピースを纏う彼女の姿は、一周回って纏まりよく瞳に突き刺さり、特に普段見せることのない肩が露出しているのが刺激的で、つい目を逸らしてしまう。


 ここでニコリと微笑めば絵になるのだろうが、彼女はショートポニーを揺らしながらニヤリと笑うので、どうにかタクミは視線を合わせ直して会話を続けられた。



「年頃の二人が、楽しむために出かけること」


「それは、まぁ分かるけど。午後の訓練は? それとその服は?」



 彼の記憶が正しければこの先1か月は、待機を兼ねた訓練が延々と続く予定で、間違いなくデートが出来る休みもなかった。そもそもメガフロートからの撤退で身一つで横須賀にやって来た以上どのタイミングで私服を用意したのか謎である。



「大丈夫、稲葉少尉に半休の申請と、基地の近くなら出ても問題ないって許可を貰ってる。服に関してはレナ大尉に頼んで取り寄せて貰った」


「大丈夫なの? そんなコネの私物化みたいな……」


「お酒とか煙草とか、今ちょっと手に入りにくいものをばら撒いたから」



 成程とタクミは納得する。ルール違反やズルは一人でやるから問題になる。心付けという形で主だった人間も巻き込んでしまえばいい。自分が利益を得られる不正を止められる人間はそう多くない。


 真面目な人間であっても、十分な知性があるなら1度や2度なら見逃すだろう。今この状況ならば息抜きは重要だし、それをシステム化する余裕もないのだから。



「それじゃ、うん…… 大丈夫そうだけど、デートってどこに?」


「ほら、ここ横須賀だし」



 そこそこ観光地だから巡る場所はある。とナナカはパンフレットを取り出してひろげて見せた。随所にボールペンで書き込みから、彼女が本気でこのデートを楽しむつもりで、それにタクミを巻き込む気なのが分かった。


 そして最近沈んでいた自分を励ます意味合いもあるのは明白で。


 こうなっては彼女は止められないし、それに気分転換に丁度いい。けれどせめてお洒落とまではいかなくとも汗臭い制服は着替えたい。そんなことを考えながらタクミは改めて基地の入り口で待ち合わせの約束をするのであった。





「デートってさ、もうちょっと景色とか見るものじゃないの?」


「じゃあタクミって花とか公園とか見て楽しめる?」



 そもそも私が楽しめないからと、ナナカはネイビーバーガーにかぶりつく。アメリカンサイズのハンバーガーは150cmの彼女にとっては大きく持て余していた。


 肉の重さだけで大手チェーン店で売られているハンバーガー2個分に匹敵する大ボリューム。ちょっとしたステーキに喰いつくのと変わらない。


 街中のオープンカフェは閑古鳥が鳴く程ではないが、観光地というにはやや空いている。普段なら並ぶ必要のある店らしいが、本日は空席の方が目立つ程。



 改めてタクミも手に持ったハンバーガーを口に運ぶ。大きい、出来ればフォークとナイフで切り分けたい欲求が溢れそうになった。しかし何となくそれが野暮な行為に思え必死に口を動かし肉の塊を咀嚼する。


 実際熱々のハンバーグとフレッシュなトマトとオニオンの相性は抜群なのだが、どうしてもその大きさから悪戦苦闘。


 見栄を張って大きいサイズを頼んでしまったのも悪かったのだろう。けれどナナカと同じサイズを注文するのは、何となく負けた気がする意地の部分が大きく、その選択をタクミは後悔した。



「……けど、どうしようタクミ。ちょっと量が多かったかも」


「もういっこ小さいサイズにしていた方が良かったかもね」


「タクミは全部食べられそう?」



 白いワンピースを着込んだナナカが、椅子に座ったまま上目遣いで見つめてくる。慣れてしまっているから時々忘れそうになるが、御剣那奈華みつるぎななかは間違いなく美少女だ。


 キリリとつり上がった眼は大きく、鼻筋はしっかりしており、唇は小さく桜色。肌は健康的な範囲で薄く、ショートポニーで纏められた髪型と合わせれば健康的な美少女といった印象になる。


 やや表情の動きが小さいので、クールに見える一面もあるが、背の低さがそれを上手い具合に中和して、結局のところ可愛らしさが前面に押し出されるのだが。



「まぁ、なんとかなる…… と思う」


「じゃあ、私のぶんも食べて」



 はい、アーンとナナカは自分が食べかけのハンバーガーをタクミに向けて差し出してくる。一瞬思考が止まる、未だに自分のそれを食べ終わってないとか、半分も食べられないなら最初から小さいサイズでとか、これは間接キスではないのかとか。


 どうでもいいことがグルグルと脳味噌を回って、冷静な思考が出来なくなったタクミはとりあえず差し出されたハンバーガーにかぶりつく。


 あっ、というナナカの声。唇に触れる挽肉以外の感触。無意味に加速した感覚がそれは彼女の指だと理性より先に叫んだ。



「ちょっと、マニアック?」


「プレイじゃなくて事故だよ。これは……」



 ナナカはからかいを込めた笑みを浮かべようとするが、それでも恥かしさが隠せずに頬に朱色が広がったのが見えた。たまに手を繋ぐようなことは学生時代にもあり、かなりタクミとナナカの距離は近い。


 その上で、こんな偶発的で思いもよらない接触は彼の心拍数を上昇させる。


 タクミは平静を保とうと努力するが、どうにも顔に出せるだけの余裕がない。何となく周囲の観光客や店員から、生暖かい視線が向けられている被害妄想が溢れだす。


 ここまでなら、どうにか立て直せたかもしれない。しかしギリギリの一線でグラグラ揺れるタクミの心は、ナナカの行動で吹き飛ばされる。ぺろりとナナカはタクミの唇に触れた指先を舌で舐めたのだ。



「……え?」


「えっと、あ――」



 二人の時間が止まる。何故ナナカは指先を舐めたのか? もはや間接キスという次元を超えたマニアックなプレイの領域に踏み込んでいる。


 特に舐める意味が分からないけれど、ああ確かにここでナプキンで指を拭われたらいやそれは常識的な行動で思考が空回りしながら無駄にボルテージが上がっていく。



「――悪気はなかった。つい勢いで」


「い、勢いなら。まぁしょうがない、ね?」



 改めて自分で舐めた指先をナプキンで拭きながら言い訳を口に出すナナカと、それをどうにか受け入れるタクミ。共に18歳を超え社会人と呼べる場でありながら、その初々しさはどう見積もっても高校生レベルに届いておらず。


 戦時とは思えない空気を周囲に振り撒いていたのであった。





 食事中に起こった事故で多少ギクシャクしたが、その後は割合普通に過ごせた。適当な腹ごなしに公園と神社を巡り、実のところ二人とも興味が薄く、早々に切り上げ駅前でウィンドウショッピング。


 しかし海軍間借りの仮設基地で私物を増やせば面倒などと、ゴチャゴチャ考えた結果、とりあえずデパートで腕時計を買ってデートを締めくくる。黒革ベルトでデートのついでに買うにはやや高く、腕時計としては安い程度の代物。


 別に深い意味があった訳でもない。何となくナナカが毎回データ端末を取り出し、時間を確認するのは面倒だろうと言い出して、それにタクミが逆らわずに何となくペアの時計を買っただけである。



「うん、これは良い買い物だったと思う」


「デザインはいいと思うけどさ、壊れないかな?」


「壊れたらまた買いに行けばいいじゃない」



 夕日の中、腕時計を巻いた左手を嬉しそうに掲げて。ナナカはタクミの一歩先、海岸沿いに伸びる堤防の上で、ひらひらとスカートを揺らしている。


 流石にロングスカートの根元が見えることは無いが、細い彼女の足と夏に近づいた夕焼けが眩しくて、タクミは目を逸らす。



「私は、タクミがどこで、何をしていても構わない」



 くるりと、彼女は彼に向き直って語りだす。それは一見唐突だったけれど、けれど口に出さなければ整理する事が出来ない。そんな類のもの。



「タクミは私よりずっと、遠くが見えていて。だから色々近くが見えてない」



 確かにタクミ自身、届くかどうかも分からない物に、無理やり手を伸ばそうとしているのを自覚している。その結果、色々と取りこぼしているのにも気づいている。高橋への思いやりや、ナナカの思いにどう応えるだとか――


 そういうものを棚に上げ、けれどそれでも届くのならばと足搔いて。高橋がタクミは成果を出したと認めても、終戦への道のりは兄の死で遠のいた。



「いいよ、タクミはそれで」


「いいの、こんなので?」


「うん、近くは私が見てあげる」



 だから、好きなだけ前を向いて、悩んで、進んでいいと。いつの間にか距離を詰めたナナカが悩みを含めた彼の全てタクミ自身を抱きしめる。柔らかい少女の香りが海のそれよりも強く、タクミに伝わった。


 タクミよりもちょっぴり高い体温ねつ。頭一つ背の低い彼女の顔は、胸で隠れて見えないが、桜色に染まっているのだろう。



「なんでなんて野暮なことは言わないでね?」


「流石にそこまで朴念仁でもないよ」


「月を綺麗だと思えないけど、貴方のために死んでもいいわ」



 表情を見せないまま、抱きしめた時と同じで、いつの間にかナナカはタクミから距離をとる。それでは返しようがないと、彼が困った視線を向ければ、それ位が丁度良いと彼女は背中でクスクスと笑う。



 その瞬間、どうしようもなく。悩みに答えなんて出せずに、いつだって誰かに支えて貰って進む以外に解決は出来ないのだと。そんな事にタクミは気が付いた。


 恐らく、こんなやり取りを彼女と何度も繰り返していて。その度にタクミはナナカに励まされていたのだろう。


 高橋も彼なりに、自分を手伝おうとしてくれていて。だからおっかなびっくり、手伝ってもらえる範囲で進めば良いと。


 そんな中途半端な覚悟を、とりあえず胸に抱きしめて――


 タクミは一歩踏み込んで、思いつかなかった言葉の代わりにキスを返した。

 


 

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