08-4


 ナナカとのデートから数日後、タクミは初めて兄の墓参りにやって来た。関東近郊の片田舎、都内から半日で行って帰ってこれる山間にある、そこそこ檀家の多い寺に西村家の墓はある。


 決して彼も暇な訳ではない。高橋が口にした通りに部隊の再編が進み、それこそ書類仕事を苦手とするタクミやナナカですら動員され。新型装備の慣らし運転等、やるべき事は山積みだ。


 それでも何かを深く考える間もなく、終わってしまった兄の葬儀で纏められなかった気持ちと。もう一度向き合う必要があると、タクミはここに足を向ける。


 長い長い石造りの階段を上って、境内に辿り着く。


 暦の上ではまだ春なのだが、雲一つない快晴と合わせて、じっとりとシャツが汗ばんでいくのが分かった。軍の制服は決して悪い素材を使っている訳ではないのだが、市販のそれと比べると着心地が良くない。


 出かける前に、ナナカから押し付けられた新しいハンカチに感謝しつつ。タクミは額の汗をぬぐい。改めて墓へと進む。


 暦の上では休日で、ちらほらと墓地に人影が見て取れる。


 その中に見覚えのあるものが一つ、西村重蔵。死んだ健一郎の弟であり、そして当たり前であるが、タクミの兄であった。生けてある花が真新しい所から、彼も墓参りに訪れていたのだろう。



「……お前が墓参りとは、珍しいな」


「開口一番にそう言っちゃうんだ」


「のらりくらりと親の三回忌にも出なかっただろうに」



 内容こそやや辛らつだが、重蔵の口調からはむしろ柔らかく、優しさすら込められていると感じられた。ここでようやく、タクミは目の前で数珠を握った兄が、ただ一人生きている家族であると実感する。



「あんまり意味がない気がして」


「気持ちは分からんでもないがな。それでも外聞を少しは考えろ」



 会話が途切れた間を、ジージーとセミの声が埋めていく。十数秒ほど続いた沈黙を破ったのは、意外にもタクミであった。



「重にぃ、決めたよ」


「何をだ?」


「自分はこの戦争を終わらせる為に戦う」



 唐突かつ、無理無謀な宣言に、厳つい兄の顔が驚きの表情に固まった。それが妙に痛快で、タクミは笑みをこぼした。


 手が届く範囲で、今をどうにかしたいと思った時。そこを目指すしかないと、何度考えても同じ結論に辿り着いてしまうのだから。


 そんな大望に一瞬圧倒されるも、西村重蔵も交渉の世界で生きる人間で、直に感情を立て直し、その上でまるで睨みつけて来るような笑みを返してくる。



「ああ、兄貴もそうして、更に先を目指そうとしてたんだ」


「欲張りだったんだね、健にぃは」


「兄貴は欲張りで、下手にどうにか出来るからって、突っ走ってな」



 自分より遥かに遠くが見えて、その甘いマスクで多くの人間を動かせる。そんな才能があったから無理を通そうとしたのだと、今ならば分かる。


 戦場を見通し、どうにかしようと足掻いて。もしもバグ・ナグルスとの戦闘時、援軍が間に合っていなければ、自分も墓に入る羽目になっていただろう。



「実のところ、政治的に上皇派は詰んでいる」


「けど、それを戦闘でひっくり返すのがルナティック7なんでしょ?」


「そういう意味じゃ、政治や戦略より、戦術や戦闘の方がスマートなのかもな」



 もし月に超古代文明の遺跡が存在していなければ、そもそも今回のテロ以前に、月面戦争すら起こっていない。法と政治、人類が辛うじて積み上げて来た、パワーバランスという名の平和を、月面帝国はなぎ倒したのだ。


 そんな理不尽の塊である国家を、政治面から追い詰め。世界のパワーバランスを組み換える所業を目指せば、反発が生まれてしまう。兄を殺したのはそういう類の意思だと思える。



「なぁ、タクミ。お前には背中を預けられる相手はいるか?」


「……多分、二人。いや、もうちょっと?」



 思い浮かべたのは友人と、それよりも一歩だけ踏み込んだ。あるいは踏み込んでいたのを確認した相手。他にも何人か、預けたいと思える顔が思い浮かぶ程度に、信頼出来る相手がいる。



「そうか、ならそれを絶対に忘れるなよ。いざって時には助けてもらえ」


「健にぃはさ、助けて貰わなかったの?」



 それが禁句と分かった上で、それでもタクミは問い返す。健にぃには多くの人と繋がっていた。けれどそれだけで、誰にも助けて貰っていなかったのだと理解ながら。



「助けたかったし、助けてるつもり、だったんだがなぁ……」



 眩しい初夏に踏み込んだ日差しの中、たった一人の家族がどんな思いで、墓に目を向けているのか、タクミは分からなかった。正確にはどれほど彼が、死んだ兄と両親、そして自分に対して思いを持っているのか、その計り知る事が出来なかった。



「だからな、助けが欲しいなら言え。西村家現当主としてやれる限りの事はやる」


「ちょっと貴重な機材の申請が出なくて困ってるくらい?」


「ああ分かった、伝手で圧をかけておく」



 実のところ、西村重蔵という政治屋は、顔に似合わず細かな調整を得意とする。それこそこの程度の話でも上手くやってくれると、そんな風に信頼出来る人間であり。


 無条件に庇護しようとしない厳しさと、何だかんだで我儘を通してくれる甘さを持ち合わせる。両親が物心つく前に死んでしまったタクミにとって、父親代わりと言っても過言ではなかった。



「……そろそろ時間だ、俺は帰る」


「そう、今度はいつ会える?」



 墓石の前でタクミは重蔵とすれ違う瞬間、そんな願いを口にする。1か月前なら考えもしなかった。だが文字通りの修羅場を潜り、人が死に、思いを通わせれば人は変わらずにはいられない。


 男子三日会わざればが正しいのなら、その10倍時間があればという話。



「このテロが…… いや終戦協定を結んでいない以上、月面戦争は終わってない」



 タクミの問いに対して、これまで意図的にテロと表現していたこの戦いを、重蔵は戦争と言い切って返す。そう1999年から続く、終るはずだった戦争は止まらずに、今なお世界を焼いている。


 

「じゃあ、戦争が終わってからで」


「ああ、それ位が丁度良さそうだ」



 何かを得る為ではなく、当たり前に得られるはずだった平和を取り戻す為に。そう誓い合って別れた。国や世界の運命は自分達の手に余ると、死んだ兄が目指した偉業を思いながら。


 墓石の前で一人になったタクミは、改めて墓石に刻まれた西村家の文字と、新たな名前が刻まれた霊標と向かい合って。そこで既に死んだ兄に対する憎しみが、薄くなっているのを確かめる。


 兄が理不尽に殺されたという気持ちも。ある意味世界を動かそうとした、身の丈を超えた願いに対する、因果の応報という理解も。その二つが合わさった結果残った感情を整理する為。


 タクミは返事をする事のない墓標に向けて、とりとめのない話を始めるのだった。

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