第09話『Ex』

09-1



「ああっ! 何故ジャック殿は守るばかりで攻めようとしないのだ!」



 メガフロートの格納庫でサミュエル=マーヴェリックは、ただ一人怒り狂う。周囲にはクローンの整備兵ばかり。彼らはその怒号に意識を向けず、そもそも事実上タンパク質で作られた感情無き機械にとって、自分に向けられない声は雑音ですらない。


 そうして止めるものがないまま、彼の怒りはますます加速していく。



「しかし、どこの誰だかは分からんが、何故日本の役人の方ををしたというのだ…… どうせ殺すのであれば、あの女狐を殺すのならば、まだ理解が及ぶというのに!」


「我々ではない以上、現皇帝を殺す選択肢はありえんよ」



 しかし怒りが最高潮に高まる直前で、すっと間合いに入る人影が一つ。ユェン=ターサン。パイロットスーツの上から道着を纏ったふざけた装いであっても、その迫力が一切減じることはなく、むしろ一種の調和を保っている男。


 その存在感だけでサミュエルの怒りは、腹の奥に押し込められた。しかし、だからこそ不快感が積み重なっていく。



「ですが、あの女狐は我々の崇高なる目的を――」


「残念だが、我々が万人にとって正しいのなら地球は戦わずして降伏しているさ」



 恐らく、国防軍の購買に放置されていたものであろう。ユェンは煙草を燻らせながらサミュエルを諭す。彼の年齢は四十近くで、戦闘要員としては最年長ではあるが、それでも月面で生まれた世代。


 本来なら空気を汚染する物を嗜むことはあり得ないのだが、何事にも例外はある。


 彼は1999年の開戦当初から、ずっと第一線で戦い、戦って、戦い続け、休戦を差し引いても10年以上最前線。即ち地球で過ごしているのだ。そのメンタリティは地球人とも、月面人ルナリアンとも違うのだろう。


 サミュエルはその事実を理解した訳ではなく、単純に嗅ぎ慣れない煙の臭い対し、眉を歪めつつ。それでも月面にとって英雄であるユェンに対し、敬意を払いつつ真意を確かめようとする。しかし――



「まぁ、地球がいつまでも回り続ける。そんな幻想を確信する連中と話す価値もない。そう切り捨ててしまったレオニードにも問題はあるがね」



 サミュエルは絶句する。月面帝国上皇派にとって、レオニード上皇を否定することは禁忌ですらない。彼らの中でその扱いは数多の宗教における、預言者と同等かそれ以上。


 アポロ計画時に発見された月面遺跡。その最奥に存在していた『神』以外に表現しようのない超越知性と、人類で初めて対話を成功させ、管理権限を与えられたのが、レオニード=ロスコフなのだ。


 彼を否定する人間は、そもそも戦争末期にアルテ=ルナティアスが、史上二人目の管理権限保有者、即ち月面皇帝ルナティックエンペラーとしての権利を得た時点で離反している。



「やってることは間違っちゃいないが、やり方が敵を作り過ぎる」


「で、ですが…… 間違っているのであれば管理権限は失われている筈っ!」


「だから新たな管理者、皇帝が現れたのかもしれんぞ?」



 ぐっとサミュエルは言葉に詰まる。彼のような典型的な上皇シンパにとって、新皇帝アルテ=ルナティアスは偽りの預言者。正しく正当たる月の民が持つ財と権利を、古き地球人共に売り渡す裏切り者なのだ。


 それを肯定するユェンの言動は、サミュエルの心を強くかき乱す。



「まぁ正しさなどそもそもどうでもいい」


「どうでもいいなど、そんなことはっ!」



 サミュエルを含む月面第三世代。即ち地球から月に降り立った両親から、ユェンの様に月で生まれた子供達を親として持つにとって。ほんの5年前まで、レオニード上皇は絶対的な存在であった。


 彼さえ信じていればそれだけで許され、彼を信じることだけが正義で、それ以外の選択肢は存在していなかったのである。



「我々月面人ルナリアンは遺跡に認められた、優秀な新人類であり!」


「本当に優秀なら、何故我々は地球人を支配出来ぬのだ?」



 意図して無視していた内心を暴かれ、サミュエルは怒気を孕んだまま黙り込む。サミュエルを中心とした上皇派の若い、30代以下の世代全員が、その矛盾からあえて目を逸らしている。


 植え付けられた常識を捨てられず、歪んだ認知を持ち続ける者だけが、今だにレオニードを盲信している。生き方を変えられる器用な人間は、既に現皇帝アルテ=ルナティアスを新たなる指導者として認めた後だ。



「まぁ、何度も言うが、そもそも優秀さや正しさなど無意味」


「ならば、何が…… 貴方は何故レオニード陛下に従っているのですか?」


「従ってなどいない、俺は好き勝手にやっているだけよ」



 くくくと含み笑いと共に吐き出された放言に、サミュエルの思考は怒りすら通り越し、もはや混乱の極地に突入する。月面帝国至上主義に染まった彼では、理解出来ない価値観をユェン=ターサンは振り回す。



「ならば、何を貴方は望んで――」


「最強の二文字」



 単純明快、史上唯一の1000機撃墜王、文字通りの意味で一機当千。事実としてもし最強の二文字に誰が相応しいのか? と問われれば、彼の名が候補として上がることは間違いない。



「まぁ、既に手に入れたも同然。後は晩節を汚さぬよう相応しい戦場で死ぬだけよ」



 開いた口が塞がらない。月面帝国最強のエースパイロットが、まさかこれほどまでシンプルで、単純で、無意味な行動原理で動いていた。最初に抱いていた怒りすら忘れ果て、ただサミュエルは何も言えず立ち尽くす。



「そんな、狂っている」

 

「全世界と敵対し、東京メガフロートを占拠し、慣性変換式発電機関イナーシャルジェネレータを制圧する。そんな狂った計画に正気で参加できるとでも?」



 ユェン=ターサンは笑う、心の底から、自らの抱える欲求を、他人に見せびらかすことを楽しみながら。



「ああ、一つだけ助言をくれてやろう。狂気でも、忠誠でも、何を自分の行動原理にしても構わんが、それを何かをしない理由にはするな。人生がつまらなくなるぞ?」



 そう言い残して、世界最強を目指し、成し遂げ、そうあり続けようとする男は、サミュエルの前から、足音もなく去っていく。そして彼は同じ表情カオをしたクローンたちが作業を続ける格納庫に、一人取り残された。



「しない、理由に――」



 打ちのめされ、崩壊した価値観の中で、ただユェンの助言がクルクルと彼の中で回っていく。本当に狂信しかないのならば、怒りなど抱かない。レオニード上皇と、その信任を受けたジャック=マーダンの指示に従うだけでよい。


 けれど、しかし。否定を重ねれば重ねる程。サミュエルの中に秘められていた感情が花開く。アルテ=ルナティアス、現皇帝を殺したい。その気持ちに偽りはない。


 だがその根底にあるのは、攻めたいという感情。倒したいという衝動。



「ああ、俺は―― そうか、奴を」



 心に浮かんだのは、ロック=アーガインとの思い出。ロックはサミュエルにとって数少ない後輩と呼べる存在であった。彼が狂って、モヒカンになる前。もう5年以上昔の話。


 遺跡から発掘された新たな古代遺物に関して、目をキラキラさせながら、早口でまくし立てるロック。そしてサミュエルはただその笑顔を眩しく、そして羨ましいと感じたのだ。


 だがそれは、地球人が駆るバンガードによって砕かれた。一度目はその心を、そして二度目はその命を。



「だから。俺は」



 目の前に、敵の姿が思い浮かぶ。2つの目、2本の長耳ブレードアンテナ。モスグリーンの装甲と、太い四肢を備えた、地球圏の主力イナーシャルアームドであるバンガード。


 月面でロックの繊細な心を殺し、そして地上で、その命を奪った仇そのもの。



「ああ、ならば後は考えるまでも…… いや、そういえば、ダークギャロップの塗装は黒だったか? ならば鎮魂の為、そして彼の黒を受け継ぐ為に――」



 サミュエルは踵を返し、メガフロート国防軍基地の格納庫を後にする。向かうは予備部品を纏めた倉庫。そこで端末起動、検索を行い、目的のものがあるのを理解し、サミュエルは微笑む。


 奇しくもその笑顔は、先程ユェンが浮かべた顔と同じで。


 与えられた倫理や常識を超え、自分の中にある衝動に従う人間が持つ、底抜けの笑みを浮かべ。サミュエルは横須賀基地に存在するであろう、ロック=アーガインの仇を倒す為に足を踏み出すのであった。


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