最終話『ルナティック・ハイ(後編)』
13-1
月面遺跡内部のメインシャフト。現代人の感覚では理解出来ない刻印が施された、継ぎ目のない青い内壁を1大隊27機のIAが降下していく。その光景は軍事行動よりもラストダンジョンに挑む冒険者のパーティを思わせた。
主戦力はダークギャロップだが、数機のバンガードと
各機がポジションを定め連携し、一つの
「ほーんと、想像以上に遺跡内部の戦力が少ないんだけど」
『正面決戦に回したのでしょう、西村上級曹長の策がハマりましたね』
「まぁ、200倍の戦力に突っ込んで暴れますを策とは言いたくないけれど」
『中枢と上皇を抑えられれば勝ちです』
涼はレナ大尉になんと言葉を返すか悩む。上皇派も皇帝派も最終的な目的は同じなのだから。もしここで彼女が裏切れば地球の勝利は潰え、月面帝国は月の慣性力を使い果たし。地球を滅ぼしてでも、目標を達成するだろう。
『稲葉中尉、たった1度で成功するほど恒星間の繁種の難易度は高くありません』
「そりゃまぁ、安心していいのか?」
『そもそも、1世代でやれる事業ではありませんから』
涼やかな声でリョウの不安を察して答えを返し、更に迎撃に来た敵のマスカレイドが顔を出すと同時に彼女の中口径レールガンがその顔面を貫いた。
後方の稲葉が反応できなかったのは当然だが。前線で機関銃を構えているバンガードよりも反応が早いのは、レナ大尉の操縦士としての才能の高さを示している。
まぁ100年先の地球が月面帝国の教義に染まっている光景は、涼の感覚から見ると不気味ではあるが。けれどどうせ自分が死んだ後の話であり、気にするのはもっと先でも問題はないと無駄な思考を心の棚に放り込む。
「っと、それで次はどっちに行けばいい?」
『特に増設された様子もありませんので、事前のブリーフィング通りで』
「了解、急ぐぞ。上手くいけば外の二人もワンチャンあるんだしね」
涼はこの時点で予想よりも敵戦力が少ないと判断し、作戦の行程を繰り上げる。中枢の制圧が、敵主力を喰いとめている二人が力尽きる前に間に合えば。誰一人欠ける事なく月面降下作戦は成功する。
そんな奇跡はありえなくて、いつだって世界を、宇宙を支配するのは冷たい方程式だと理解した上で。
不可能だと諦めてしまう位なら、チャンスを求めて足掻く方がまだ救いがある。月面降下作戦に参加する全員が同じ気持ちであろう。共に1年間弱を戦い抜いた戦友達も、教導隊から参加した大人も、月面帝国の
誰もが
「ほんと、死んでくれるなよ」
戦術データリンクに表示を確認すれば、月面遺跡の中枢まであと5分。更にその上に表示されたレーダに目を向ければ未だに
そしてもしも本気で二人が主戦力を壊滅させた時、自分が何も出来ていないというのはいかにも情けなく。隊長なのだと普段威張っている以上、張り合える成果を出せていなければ戦友の甲斐がないというものだ。
◇
月面帝国上皇レオニード=ロスコフが、地球の降下部隊が遺跡内部に突入したと報告を受け。中枢を目指した事に深い意味はなかった。強いて理由を上げるのならば、自分が補足されるまでの時間を1秒でも遅らせようという涙ぐましい努力か。
だがそれは後付けのロジックである。40年前、当時ソ連から派遣されていた科学者であった彼を含む数人のチームがこの場所に到達した。今でも鮮明に思い出せる、あるいは既にあやふやになったここ数年の出来事よりもしっかりと、彼の脳裏に刻み込まれているのかもしれない。
白の宇宙服を着込んだ、齢90に迫る老人が遺跡に後付けされた通路を進む。ここが重力区画であったなら辿り着く事は出来なかっただろう。辛うじて地球よりも弱い月の重力がその歩みを支えていた。
メインシャフトの最奥に存在する直径300mのドーム状に広がる空間。壁面に刻まれた
「一つだけ、答えて欲しい」
かつて世界と渡り合い、老いてなお大理石から削りだされたかのような冷たさを持つ美丈夫の姿は失われた。いまここに立っているのは人生の意味すら失いかけた悲しい男がただ一人。
今にも倒れ込む寸前の彼に向け、一筋の光が注がれる。常人では受け入れるだけで発狂しかねない可能性の提示。月面遺跡の中枢そのものである超越知性が計算によって書き上げたもしもの世界がレオニードの脳内に映し出された。
「はは、はははははははっ! そうか、そうかっ! 可能性は潰えていないか!」
老人は嗤う。まるで呪いのように、謳い上げるように。己の進んだ道筋が決してただの破滅では無かったと。それは可能性と呼ぶことも憚られる道筋。けれど月面遺跡の超越知性は、今だ彼らの計画が成就する可能性がゼロではないと応えたのだ。
少なくとも彼は与えられた情報をそう理解した。それが真実であるか、もしくは有意なものであるかは関係ない。既にその感情は狂信を超え確信に至っている。
その叫びをかき消すかの如く、振動が遺跡の中枢を貫いた。低い音が響き渡り、ドームの頂点が絞りを開く形で入り口を生み出し、無粋なイナーシャルアームドの軍勢が聖域になだれ込む。
黒い4足のダークギャロップが、突撃砲を構えたバンガードが、そして
人の数倍を超える身の丈の巨人達が、やせ衰えた老人を取り囲む。
絶体絶命、けれど彼は一切怯むことなく。己の眼前に立ちふさがるマスカレイドに対して視線を向けた。
『レオニード=ロスコフ! これ以上の抵抗は無意味です。投降を』
「ふん、投降だと? アルテの人形如きが」
『まぁ、月面帝国内部でのゴタゴタは兎も角。当然地球側からも一字一句そのままの台詞を言わせて貰おうかな? ぶっちゃけ抵抗してくれた方が嬉しいんだけど』
ガチャリとダークギャロップの肩に据え付けられた40mm機関砲が、レオニードに向けられた。IAの戦闘において牽制程度の威力しかないが、人間相手に撃ち込めば跡形すら残さずに消し飛ばして有り余る。
目の前にいるパイロットの指に憎しみが加えられれば、その瞬間己の命は間違いなく吹き飛ぶのだ。
「ならば引き金を引くがいい。私の死を月面遺跡がどう判断するかは分からんがな」
そうこれが彼が地球との戦争が終わった後、殺されなかった理由の一つ。彼のシンパを刺激することと合わせ、メリットよりもリスクが大きいと判断されたのだ。
月面遺跡の中枢たる超越知性と対話出来る人間はたったの2名。そしてその片割れが死んだとき何が起こるか理解出来ているものはこの世界のどこにもいない。
『ったく、それこそ最終兵器とか持ちだしてくれたら楽だったんだけど』
「そもそもジャック=マーダンの駆るオーバー・レイジ相手に勝利出来るとでも?」
戦況が思わしくない事は、メインシャフトに降下部隊が突入したことを見れば理解出来る。だとしてもレオニード上皇は逆転の可能性があると笑みを浮かべた。いかにか細いとしても、超越知性が見せた未来の中に存在していたのだから。
『出来るさ。あいつらに精々200機弱の戦力で勝てるとでも?』
『稲葉中尉?』
「精々200機弱とは! どれほどの戦力を月面に残して来たか知らんが――」
『バンガード2機、それで十分でしょ?』
ダークギャロップを駆るパイロットの言葉に、レオニードは言葉を失う。僅か2機のバンガード。それで十分とこの若者はそう確信をもって言い切ったのである。彼の様に未来を見たわけでもないのに。
「正気か、貴様?」
『世界一の狂人であろう貴方様にそう言って頂けるとは、恐悦至極に存じます』
その言葉とほぼ同時に、後方のダークギャロップから人影が降下する。兵員輸送ユニットからワイヤーを伝い、国連軍の宇宙服を着込んだ兵士たちが10名弱。レオニードに対してサブマシンガンの照準を合わせた。
『もう一度、警告します。レオニード=ロスコフ、抵抗を止め投降を』
再び皇帝の人形が降伏を勧告する。それに従わなければ殺されずとも、無様に押し倒されるのであろう。
そして今まさに月面で戦い続ける二人を、箱舟を起動させる為に無理をして死んだ友人達を、この20年の間ずっと積み上げ続けた同士の死を裏切る羽目になるのだ。
「――は、はははっ! 何故そうする必要がある! まだだ、まだ終わっていない! 貴様たちは勝利を確信している様だが、まだ我々の勝ち筋はっ!」
再び振動が遺跡の中枢を襲う。月面降下部隊が突入した場所とは別の入り口が弾けて、3機の10mの巨体が、
『皇帝陛下! 御無事で!?』
「ああ! シュルバンか! 外での戦闘はどうなっている?」
『……今だ決着はついておりません』
自分を取り囲もうと展開していた兵士たちは下がり、敵のバンガードと
「ならば、最後の命令だ」
朽ちかけて、崩れそうになる体を狂った心で支えて、月面上皇レオニード=ロスコフは声を上げる。
「我らが敵を駆逐し、人類の意義と、そして未来を守り抜け!」
『『『了解っ!』』』
意識が同調したシュルバン達が、通信機を通じてその言葉を聞いた老人達が、妄執に満ちた希望を胸に燃やす。どれほど歪んでいても、それが地球の人類を滅ぼす行為であろうと――
彼らにとってそれは間違いなく正しく、そして美しい決意なのだから。
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