第06話『インターミッション』

06-1


 タクミ達が人心地ついたのは、日が西に傾いてからだった。


 援軍としてやって来た部隊と合流後、後方に下げられ横須賀基地に到着してもすぐに休める状況ではなく。混乱に次ぐ混乱で、とりあえず格納庫に押し込められ2時間近くそのまま放置。


 最初の数十分は再出撃の可能性を考え、戦術データリンク端末の確認や、操縦席を開いての軽いストレッチ等を行って備えていたのだが――


 しかし10分、20分と時間が過ぎるにつれ3度の戦闘、1度は格上相手のルナティック7、それに加えて神経をすり減らす撤退戦。それらの緊張感から解放されたタクミは、高橋やナナカと共に別々の操縦席で意識を手放した。

 

 稲葉少尉がやって来なければ、そのまま一晩眠ってしまっていたかもしれない。



 そして今、ようやく彼らは基地のシャワールームで汗と疲れを洗い流す。古くて所々補修した後があるタイル。傷だらけになり光沢を失った蛇口。水と熱湯を混ぜるタイプの雑な温度調節。チカチカと目にうるさい蛍光灯の光。


 総じて古臭く、下手をすれば半世紀以上の時を経ている可能性すらあった。


 しかしそんな場所でもほぼ1日中、IAに乗り続け、汗まみれになった肌を清められるなら彼らにとって極楽と呼べた。シャワーの熱によって疲れ切った身体がようやく生気を取り戻す。



「俺達、良く生き残れたよな……」


「冷静に考えると、何回か死んでもおかしくなかったかもね」


 

 操縦席を降りてから、初めての会話。それほどまでにタクミと高橋は疲れ切っていた。もし先程までの二人が並んで歩く姿を目にしたのなら、10人中10人が死人の様な目をしていたと答えるだろう。



「けど私達はちゃんと生き残った、それでいいと思う」



 そんな男二人の会話に、当然の如く混じって来るナナカの声。しかしこれは特段おかしなことではない。シャワールームは男女別に分かれているが、上と下に少し隙間のある壁で仕切られているだけなのだ。


 ナナカの細くて白い足が衝立ついたての下から見えている。


 だがこの程度なら似たようなことは何度もあってもう慣れている。もう少し気力があればナナカ相手に気を使ったかもしれないが、3人とも疲労困憊でそんな余裕など一かけらも存在していない。



「しかし、生き残ったのはいいけど…… ちゃんと晩飯出ると思うか?」


「え、出ないの?」


「確かに、温かいご飯は出ないかも」



 メガフロートから脱出した人間は、負傷者と民間人を含めれば300人を超える。その全員に温かい食事を振る舞うことが出来たとしても、今のタクミ達の様な集団行動に乗り遅れた者に個別対応するほどの余裕はない。


 そんな余裕があるのなら、2時間も操縦席で放置されなかっただろう。



「せめてカンメシでも温めた奴が出ないかな?」


「基地の備蓄、民間人優先じゃないか?」


「外に出る余裕は―― なさそう」



 3人は同時にため息をついた。自分達だけが努力したとは言わないが、最前線で命を張った上で食事の出る出ないを心配しなければならないのは流石に精神的に辛いものがある。



「そういえばさ、ナナカの方はどうだった?」


「どうって、何が?」


「ほら、アクアラインで――」



 空気を変えようとその言葉を口にした瞬間、ナナカはほんの少しだけ息を止めた。高橋が口を挟もうとするが、それより先に彼女の唇から言葉が漏れる。



「3人」


「じゃあメガフロートで撃破したのと合わせて4機?」


「私と少尉が行く前に、3人やられていた」



 シャワー室の中でしばらく水音の三重奏が響き渡る。タクミとナナカは己の口から出た言葉を後悔し、高橋はそれを事前に止められなかったことを悔やんだ。


 久々の空気だとタクミは沈黙を噛みしめる。ここまで致命的なものでなくとも知り合って間もない頃、互いの我を突き付けあいながらナナカや高橋との距離を測っていた時期。よくこんな風に地雷を踏んでいた。


 基本的に埋めるのも、踏むのも、タクミかナナカ。二人の成長と高橋の慣れで最近は避けられていた分、動揺が大きい。



 壁の向こう側で、ナナカがどんな顔をしているのかタクミには分からない。たぶん自分と同じ様に黙り込んでいる高橋にも分からないだろう。会話がかみ合っている時はいい、相手と自分が同じことを考えていると思えるのだから。


 けれど、今この瞬間。ナナカが彼らの、彼女が戦場に辿り着く前に死んでしまった自分達と同じ年代の兵士たちの事を、どう思っているのか分からない。


 そもそも、タクミ自身が彼らの死に対して上手く感情を抱けない。数として切り捨てるには近すぎて、悲しむには遠すぎる。共に戦ったが名前どころか顔すら覚えていない相手なのだから。



 どうにか口を回して、シャワーの音を書き消そうとするが何も思いつかない。そもそもいつもこういう時は高橋が仕切り直してくれていたのだ。それに甘えていたタクミに紡げる言葉は存在しない。


 そして頼みの高橋も、今回はお手上げのようで、更に水音が積み重なり――



「どうしたんだい? 英雄諸君、まぁ今は実感ないかもしれないけどね」



 それらを纏めて男子シャワー室の入り口から入って来た稲葉少尉が陽気な声で叩き崩した。線が細い顔に似合わず、鋼のような筋肉が全身を覆い、優男な雰囲気を高密度な蛋白質で覆している。


 だがそのギリシャ彫刻を思わせる肉体美と、股間を隠す洗面器とそこに入ったラバー・ダックが大きな落差を生み出して、一周まわって彼を印象的に飾っていた。


 黄色と桃色、2匹のアヒルのオモチャ。その口元から伸びるノズルを見るにシャンプーとリンスの入れ物なのだろう。あっけにとられたタクミと高橋に向けてペタペタと距離をつめて来たので、タクミは踵を浮かせそうになる。



「ああ、ナナカ君。そっちにこういうのが初めての人が行くから、対応よろしく」


「えっと、それは――」


「すいません、普段はホテルばかりで旧式のシャワーを使った経験が――」



 女子シャワー室からクールビューティで感情を感じさせない―― いや水音と壁を通してもほのかに羞恥を感じさせる声が聞こえてくる。先程まで共闘していた月面帝国のメイドパイロット、レナ大尉である。


 気まずい状況からの逃避と、急な非日常によって妙な想像力が立ち上がる。慣れているとはいっても彼らはまだ20歳に満たない青少年。


 混乱する感情の中、金色長髪のレナ大尉がタオルを体に撒き頬を染めている光景や、それを驚いた表情で見つめる、ショートポニーを解いた髪をシャワーで濡らしたナナカの姿を想起して赤面した。



「大尉、まずシャワーの使い方の前に一言――」


「はい、何でしょうか? ナナカ二等兵」


「前を隠してください、女性同士でも少し恥ずかしいです」



 その言葉で高橋は吹き出し、タクミは更に顔を赤くする。陰鬱な空気は吹き飛んだがシャワー室の空気は気まずいまま、改めてやって来た二人が体を洗い流すまでタクミと高橋は耐えることしか出来なかった。





「もう少し国防軍は福利厚生に―― いえ、月の人間が言うべきではありませんか」


「まぁ、自分達の様な下っ端しか居ませんし良いのでは?」


「西村二等兵、一応僕も将校なんだよ? まぁシャワーは新しくするべきかな?」



 シャワーを浴び終わった後、どうにか空気を取り繕った面々は、人の気配が殆ど無い食堂に集まっていた。タクミ達は操縦服ではなく平時の制服を兼ねる迷彩服へ。


 レナ大尉はメイド仕様のパイロットスーツから長袖ワイシャツとタイトスカート。国防軍の女性兵士向けの制服と似た―― むしろ階級章以外同じ物に着替えていた。


 高橋の疑問に満ちた目が大尉に向けられる。何故普段はメイド服姿なのか? 何故今は階級章だけ月面帝国のそれに入れ替えた国防軍の制服に着替えているのか。


 だが周囲の人間はタクミとナナカは当然として、稲葉少尉ですらそれを問題として認識していない。空気を呼んで高橋はやりきれない感情を胸の奥に押しこんだ。



「けどさ、英雄候補と月面帝国の将校相手にこんなモノを出すなんてねぇ」


「ダメですかね、パックメシ?」


「将校様が食堂で食うものじゃないだろう?」



 タクミ達から見れば、目の前に用意されている食事はご馳走であった。そこいらのコンビニで買う食事と同等レベルで、その上食堂にあるレンジで加熱され暖かい。


 オマケにちゃんと皿まで用意されているのだから、冷たいまま野戦訓練で食べるのと比べれば全うな夕食である。


 ただ高橋が言うように、通常は他国の大尉と自国の少尉が混じった食卓で出すようなものではない。一応ハンバーグと副菜のポテトサラダ、ついでにコーンスープまで用意されているが所詮はレトルト。



「いえ、まぁ月面で食べるものよりはずっと良いと思いますし――」



 レナ大尉のテンションも目に見えて落ち込んでいる。これまで将校待遇のちゃんとした食事をとっていたのなら、料理のランクが下がっているのは間違いない。



「ただ、この様に戦友と同じ食卓を囲むというのは、得難い経験です」



 レナ大尉の言動は将校として褒められたものではない。だが抑揚の少ない言葉の中に嘘偽りはなく、本心で話している事は伝わって来る。特に戦友と口にする時の笑みは朴念仁に分類されるタクミですらドキリとさせる色気があった。


 その様子に、むぅと不機嫌そうな顔でナナカは箸で切り取ったハンバーグを口に放り込みつつ隣の椅子を軽く蹴飛ばした。


 惚けていたタクミはその衝撃でどうにか正気を取り戻す。



「しかし稲葉少尉、俺達が英雄ってのは言いすぎじゃないですかね?」


「いやいや、間違いなく僕らは英雄さ。正確には、英雄に祭り上げられる」


「つまり私達は客寄せパンダ?」


「御剣二等兵もレナ大尉も美人だからね。それ以外にも理由はあるけれど――」



 メガフロートが月面帝国の軍部により制圧され、100機以上のIAが撃破、民間人や政治家にも多くの被害が出ている。そんな状況で戦果を上げた部隊があればプロパガンダに動員されるのは当たり前。


 被害を小さく見せ、戦意を鼓舞する。特にレナ大尉、即ち月面帝国皇帝派との共闘という実績は今後を考えると大々的に報じられるだろう。



「――メガフロートの陥落だけでなく、奪還作戦を行った部隊まで壊滅したからね」



 しかし、稲葉の口からタクミ達3人の予想を超える被害が飛びだして来た。確かに撤退時、メガフロートを目指す部隊とすれ違う形となった。その規模はメガフロートに展開していたそれとほぼ同じ。


 メガフロート西側からだけでなく、東側にも同規模の部隊が展開しているとすれば関東圏に展開しているIAの半数近くが投入された計算となる。



「稲葉少尉、壊滅ですか? 全滅ではなくて!」


「事前情報があるのなら、撤退位は可能では?」


「戦場でユェン=ターサンが確認された」



 時計の音が響く、ユェン=ターサンという名はそれだけの重みがある。10数秒後、一番最初に立ち直って口を開いたのはタクミであった。



「単機での戦果ですか? 一応対応マニュアルがあったはずです」


「新型のルナティック7、エアファネルとの連携らしいよ?」



 ユェン=ターサン、ルナティック7に数えられるIA『バグ・ナグルス』を駆り格闘戦で1000機以上のIAを撃破した、人類史上最高のエースパイロット。


 日米英露中、月面帝国との戦争に参加した各国がこぞって対個人用の戦闘マニュアルを作り上げたほどの怪物。


 そして彼を目標に3度の核攻撃が行われ、なお死なぬ生ける伝説。


 タクミも記録映像で彼の戦いを知っている。強力な投射火力を持つ訳ではない。グラ・ヴィルドの様に絶対の防御力を持つわけでもない、速度も地球側のIAと比べて圧倒的に速いとも言えない。


 ただ上手い。弁髪風のワイヤードクローで牽制し、拳が届けば一撃必殺。



「まぁ、流石に今すぐ僕らにユェンと戦えと命令されないとは思うけどね」



 稲葉はそう呟いてポテトサラダを口に放り込む。視線はレナ大尉に向けたまま、ルナティック7にはルナティック7をぶつけるという考え方もあるがあくまでもそれは最終手段。


 軍にもメンツはあるし、指揮系統があやふやな人間を軸に作戦を立てる様なことはしないだろう。やるとしても追い詰められてからだ。


 だがよく見ると、レナ大尉の鉄面皮じみた顔の中でその瞳は揺れていた。同じルナティック7と言えど格差がある可能性は否定できない。



「ねぇ、タクミ。もし戦うとしたら、勝ち目はある?」



 ナナカが休憩所と同じ口調で問いかける。周囲を見渡せば高橋と稲葉少尉、そしてレナ大尉も自分に視線を向けている。


 そんな彼らの視線に対し、タクミは曖昧な笑みを返しながらハンバーグを口に運ぶことしか出来ず、無理やり詰め込んだその肉の塊のは、粘土のような味だった。

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