13-3



『今、私達の手には力があります』



 2021年04月。丁度1年前、手に入るはずたった終わりがテロによって打ち砕かれた場所で。月面皇帝アルテ=ルナティアスによる終戦記念演説が始まった。


 どこまでも続く青空の下、未だ修復途中の慣性変換式発電機関イナーシャルジェネレータを背景に。白のドレスを纏った彼女は、式典会場の中央に設置された壇上で言葉を紡ぐ。


 東京湾メガフロートに集まった3万人を前に、堂々とした表情を浮かべ、場の雰囲気を味方につけ。女帝と呼ぶに相応しいは気を纏っている。



『望めば世界すら滅ぼし、そして使い方次第で全ての人々に幸福を約束する力です』



 軽く後ろを見上げる彼女につられ、フォーマルなスーツを纏った外務省の役人、ラフな正装で参列する各国のゲスト達、そしてカジュアルなシャツで身を固めた報道関係者達の視線が慣性変換式発電機関イナーシャルジェネレータに注がれる。


 1999年以降、この力を振りかざしたレオニードを中心とする勢力により。世界大戦に比する数の命が失われ。そしてまた皇帝アルテが行った支援によって多くの命が救われた。


 これを月面帝国によるマッチポンプと揶揄する声もある。しかし暴走したレオニード派に対して、常に彼女を中心とした皇帝派は最前線で戦い続けた事は事実で。故に好意的に見る方が多数派となっている。



『私はこの月面遺跡という力を、この地球人類の財産として扱うことを宣誓します』



 だからこそ、この一言で会場はざわめきに包まれた。ある程度の譲歩や、一部技術の提供に関しては想定されていたが。この表現はそれを大きく上回る。



『これは共に戦い、平和を勝ち取った私達にとって必要な事なのです』



 だが、万を超える動揺に対して努めて平静に。皇帝アルテは胸の前で手を握り、海上に居る全員に視線を投げ返した。自信と確信を持ったその姿に、次第に会場が静けさに包まれていく。



『大いなる遺産の権利得て、義務を背負い、未来を目指しましょう』


『それが平和を勝ち取った我々が進むべき道なのですから』



 手を広げながら放たれたその言葉に、最初はまばらな拍手が。そしてそれが積み重なり大きなうねりとなって会場が熱狂に包まれる。今ここに平和と、そして新しい未来があるのだと多くの人々が確信し、セレモニーは続いていく――





「何が我々の進むべき道だ。下らない!」



 ジョージ=カウフマン大佐は、延々とニュースで流され続ける演説に対し。嫌気を感じて乱暴にリモコンのボタンを押し込んだ。暫く電源が切れた液晶を見つめてため息をつく。かといって実務から外され、赤坂の事務所に押し込められた彼には他にする事もない。


 特に趣味もなく、教養の為に買った本を読むのにも飽きた。かといってメガフロート襲撃から続く、一連の事件における責任を取って謹慎中の身としては下手に外をうろつく事も出来ないのだ。



(くそっ! 俺が用意した機会を全てステイツは無駄にしたのだ!)



 彼は本気で月面帝国がテロを起こす兆候を見逃し、戦争を長引かせた事実を。米国の国益に成りえる事だと信じていた。いや彼が描いた絵図の通りに介入出来たのならば。実際に大きな利益が生まれた事は間違いない。


 ただしこれに関しては、月面帝国が一枚上手で。シュルバン=ステイレットの記憶同調をフルに利用した政治的、もしくは諜報活動により。世界をリードするアメリカは、いや米国のカウフマン大佐が所属する派閥は好き放題に振り回されたのである。


 結果として彼らはいいように利用されたのだ。



(皇帝アルテが口にした、我々の範囲はどこまでだ? 月面降下決戦にステイツは殆ど戦力を送り込めなかった! これでは日本と、そして月面帝国がこの先は大きな――)



 そうカウフマン大佐が頭を抱えた直後。最低限の調度品が揃った室内に、ノックの音が鳴り響き。そして乱暴にドアが蹴破られ、複数人の屈強な兵士が突入してくる。



「なんだ、貴様達は!?」



 声を荒げてソファーから立ち上がろうとして気が付いた。ヘルメットに刻まれたMPの文字、彼らは在日米軍憲兵部隊。ボディアーマーとヘルメットを装備した兵士たちがカウフマンに無機質な銃口を向ける。



「カウフマン大佐。貴方にはテロほう助を中心に14の嫌疑がかけられています」


「ふん、貴様たちは理解しているのか? メガフロートからの一連の流れで、どうしようもない方向に歴史が動いた事実を!」



 無意味であると分かった上でカウフマンはMP達に怒気をぶつける。震える感情を吐き出すことでギリギリのラインで理性を保とうとしたのだ。けれど――



「ええ、俺がここに来れる程度には揺らいでいるな」



 コツコツとMP達の後ろから現れた人影に、カウフマンは目を剥いた。西村重蔵、現在日本の外務省において最も特筆すべき人間。月面と地球を繋ぐ一番太いパイプ役と表現した方が彼の重要さが分かりやすくなるだろう。


 現役米軍大佐であるカウフマンと比べても、遜色のない肉体がMP達をかき分けて前に出る。



「貴様、いったい何故この場所に! 仮にも米軍の施設に部外者が――っ!」


「だから、言っているだろう。それが通る程にパワーバランスが変わっている」



 その一言にぐぅとカウフマンは言葉を失った。本来ならあり得ない無理筋を通せるほど力関係が変化した事実に対しギリリと歯を食いしばる。そして自分が生贄として差し出されたことも理解してしまう。


 最も、このやり取り自体。半分以上、日本に対する感情的な配慮であり。実際的な意味合いは薄いのだろう。だがそれを行う事実こそが、実務の場面で大きな意味を持つこともある。



「本来なら、日本側の人間は誰でも良かったんだがな」


「わざわざ、俺の無様な姿を見に来たとでも言うのか?」


「ああ、その通り」



 あざ笑うカウフマンに対し。西村重蔵は額に刻まれた皺を歪めて吐き捨て、自分の中にある憎しみを肯定した上で怒気をぶつけて来る。在日米軍大佐と外務省事務次官、二人の偉丈夫がにらみ合い、室内に緊迫した空気が流れた。



「知っているとは思うが、お前が命令を下して殺した西村健一郎は。俺の兄だ」


「俺が暗殺を命じたと、証拠はどこにある?」


「米軍のMPがこうやって来ている時点で、もう揃ったも同じだろう?」



 その言葉でカウフマンは肩の力を抜いた。事実明確な証拠がなければ、米国もここまでの事はしない。それまでの怒気は消え去り、いっそ殉教者じみた表情でMP達の指示に指示に従って手を上げることにする。


 ただ西村重蔵に何も言い返さないのは矜持が許さず。喉の奥から押し絞り、唸り声を返す。



「俺は、何もステイツに対して恥じることはしていない」



 それは負け惜しみ以外の、何物でもなく。けれど間違いなくカウフマンにとっての真実であった。


 




 東京湾メガフロートから始まり、月面で終わった戦いの引き金を引いた男は去っていく。恐らくは彼は命をもってその罪を贖うことになるだろう。けれどその背中を見つめる重蔵の心に、苦い味が広がった。


 自分がこの場にいる意味はない。たとえそうでなくとも、ジョージ=カウフマンが逮捕されていただろう。


 そもそもこの結末は日本が我を通せたのではなく。単純に米国内での派閥争いの結果でしかない。カウフマンが所属するタカ派が、そうでない派閥に敗北した。


 ただそれだけでしかない。



 けれど重増の胸の奥に広がる苦みと共に、心に詰まっていた何かがポロりとこぼれ落ちる。



「俺は、やっと……」 



 残ったMPに見られる前に、重蔵は袖口で目頭を拭う。そして彼もまた憲兵達に見送られ、赤坂プレスセンターの事務所を後にした。あくまでもこれはけじめであって、それ以上でもそれ未満でもない。


 むしろこの場に立ち合う為に、政治的な手札を何枚か切った。純粋な利益の面で言えば完全に損であり、外務省事務次官として活動していく上で間違いなく不利になっただろう。


 けれど、それでも。この戦いの切っ掛けを作った人間を。そして兄を殺した相手の破滅を見届けられた事は。西村重蔵にとって、大きな意味があったのだから。



 公用車の窓から見える空の色は変わらないのに、来る時よりも仄かに明るく。重蔵はポケットの中から取り出したハンカチで、目尻をもう一度抑えるのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る