07-2



「なッ――!?」



 気づけば高橋の視界からタクミのバンガードと、バグ・ナグルスの姿が消えていた。レーダーには反応はある。だが揺れ動く慣性反応イナーシャルエフェクトの影が縦横無尽に映し出され状況を把握することが出来ない。



高橋ラビット2っ!』



 ナナカからの通信が届く前に衝撃。気が付けば後ろから押し倒され、さっきまで自機の頭があった空間を弁髪ワイヤークローが通り過ぎていた。



『このぉっ!』



 鈍い衝撃と共に弁髪ワイヤークローが消え、引き戻されたことを知る。恐らくはナナカがその手に持ったロングブレードで切り払ったのだろう。だが高橋の反応速度ではその攻防を捉えることは出来なかった。



「何が、どうなって――!?」


高橋ラビット2、このまま下がらないと』


『だね、これは手が出せるレベルの戦いじゃない』



 稲葉少尉の言葉も混じる、余裕を持たせようと努力しているが声色は硬い。目まぐるしく鳴り響く接近警報、凡人が彼らが駆る機体の輪郭を捉えるのも難しい領域で飛び回る2機のIA。


 速度自体は音速を下回る。だが短いスパンで運動ベクトルが目まぐるしく変わるIAの亜音速機動を捉えるには一種の才能が必要となる。並の人間では見る事すら敵わない、一流の人間が訓練を重ねてようやく到達できる領域。



「御剣、お前なら援護は――」


『私一人で切り込むことは出来ても、割り込むのは無理』



 高橋の問いに対して、唯一この戦闘に介入できる可能性がある剣士ナナカは無情な答えを導き出した。既に遺伝子に刻まれていると言っても過言ではない、本能に近い回答が持つ凄みに、高橋は反論する事が出来なかった。





 3人がジリジリと後退している事実を戦術データリンクで確認しながらも、タクミはそれに対して何の感情も持つことが出来なかった。正確には感情が産み出される前に戦況が目まぐるしく変化していく。


 操縦桿の上を指が滑り、モードや武装を切り替えながら、亜音速領域での超高機動戦闘を奏でていく。数秒先まで動作を入力しながら致命的な破綻を経験から導き出される直観で回避する。


 そう、この時点で破綻が見えていた。


 自分が予測した通り1秒ごとに致命的な、いやその1秒毎に10を超える選択肢が流れ、辛うじて死なないルートを選択するような所業。


 引き伸ばされた時間の中、肺に入る空気すら重い。


 それを吐き出すことも出来ず、ただ目の前の拳から逃れる可能性を探す。シナプスがスパークを上げながらあらゆる可能性を並べ立てるが、それを精査する時間はどこにもない。


 脳内麻薬によって限界まで感覚を引きのばし、小手先の反射で時間を稼ぎながら手持ちのリソースを消費して命を拾う。強引な戦闘機動に愛機バンガードの骨格が悲鳴を上げ、加速度的に故障警報で操縦席が赤に染まっていく。


 タクミがバル・ナグルスと接敵してから経過した時間は3分。これは単機のIAがユェン相手に稼いだ時間として見れば奇跡に等しい。だが足りない、技が、経験が、そして何よりタクミには決め手が欠けている。


 ぐらぐらと灼熱した頭が揺れ、次の瞬間弾倉の40mm徹甲弾が尽きた。



(――ッ!)



 思考が言語化される前に操縦桿を振り回す。ただし回避ではなく左腕のワイヤーフックを起動。FCSと連動したシステムが目標を捉える前にタクミはそれを発射し振り回す。


 バグ・ナグルスが放った弁髪ワイヤークローと、バンガードから放たれたワイヤーフックが中間地点でぶつかり合い、それで稼いだ時間でどうにか射線から機体を逃れさせた。


 バグ・ナグルスは一旦後ろに飛び、タクミは数分ぶりに呼吸を思い出す。


 ヘルメットの中で息を深く吸おうとするが、肺が受け付けない。カラカラの唇で浅く空気を吸い込む流れを繰り返し、必要最低限の酸素を吸いこんだ。


 弁髪ワイヤークローを構え、こちらとの間合いを仕切り直そうとするバグ・ナグルスに対して既に空になっている突撃機関砲を向け牽制する。流石に装弾数を数える様な真似はしていなかったのだろう。相応にこちらの右手を警戒しているように見える。


 それとも油断を誘おうとしているのか、タクミには判断が付かなかった。何にせよシミュレーションより数手マシな展開になっているが、それは勝てるということでも、生き残れるということも意味していない。


 稼げた時間はまだ5分にも満たない、接敵するまでの時間を合わせたとしても援軍が来る30分には到底届かなかった。



 ゆらり、と青い影が揺れこちらに向けて踏み込もうとした次の瞬間――



 戦術データリンク上に超音速で迫る反応が現れ、警告音が鳴り響く。こちらに一瞬遅れてバグ・ナグルスもそちらに反応し突撃を止めた。


 タクミは正面の敵機から目を逸らさず横目で確認しようとするが、その前に反応は更に加速し、青が跳び、その直後――



 バグ・ナグルスが存在していた場所に向け重斬鉈ヘビィザンナッターが叩き込まれた。



 全長5メートル、総質量20トン。一般的なIAの体躯を超える長さと、ほぼ同等の質量を持った刃の形をした鉄塊。それをコンクリート上に叩きつけ、破片をまき散らし、クレーターを生み出しながら灰色の影が着地する。



『よう、西村訓練兵―― いや、もう二等兵か? 随分ご活躍のようじゃねぇか?』


 

 通信機から懐かしい声が聞こえて来る。眼前には灰色の上から青ベースの迷彩が施された教導隊仕様のバンガードは、その手に持った重斬鉈ヘビィザンナッターをくるりと持ちあげバグ・ナグルスに向き直った。



「――田村中尉?」



 田村豊一中尉、公式撃墜数238機。日本の誇るIA撃墜王にして、タクミにとっては数度手合わせと指南を受けた、師と呼べる存在である。



「……お元気そう、で何よりです―― 空を飛ぶ程お忙しいようですが」


 

 中尉の乱入によって生まれた隙を突き、タクミは突撃機関砲の弾倉を入れ替えながら話しかける。マニュアル操作で空になったマガジンが大地に落ちる前に、装填を終わらせ再度バグ・ナグルスに対して照準を合わせ直した。



『ははっ、 違いねぇ! だが飛んできた甲斐はあったみたいだな』



 田村中尉は炸裂ボルトを起動し、バンガードの背面に装備していた降下突撃用のジェットパックを切り離した。IAは陸戦兵器であり本来空を飛ぶものではない。しかし特殊作戦向けに飛翔を可能とする装備はある。


 この場に駆けつける為、無理を押し通したのだろう。



『ああ―― 貴様には見覚えがあるぞ。もう3回目だったか?』



 ノイズの向こうから声が響く、笑うように、気安く知り合いに話しかける様に。タクミが知る限り数度、田村中尉はユェン=ターサンと遭遇しそれを撃退している。装備を見れば理解出来る程度には見知った関係であるようだ。



『さあね、こっちはいちいち数えちゃいねぇよ』



 だが田村中尉はそれに付き合うつもりはないとばかりに重斬鉈ヘビィザンナッターを持ちあげ、ユェンも言葉を止め、ガシャリとバグ・ナグルスに跳躍拳を構えさせる。一刀両断と一撃必殺が向き合い――


 どちらも直撃すればAPFSDS最新式徹甲弾を超える超破壊力。無限と有限の差はあれど、当たれば即死という一点で見れば等価。


 そして音もなく、人類史上最も致命的な打撃が交錯する戦いの幕が上がった。

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