09-4


 アルテ=ルナティアスは完全に圧倒されていた。西村重蔵と共にこの国の政界を裏から支配するという老人との会談を、取り付けるまでは良かった。けれど実際に顔を合わせた時点で完全に飲み込まれてしまう。


 彼は日本において公的な意味で高い地位を持っている訳ではない。精々地元の名士、本来ならば月面を代表する彼女の方が圧倒的に上である。


 けれど積み重ねてきたものが違う。月面でただシステムに選ばれ、権力を得た自分とは何もかも。彼は半世紀以上の時間を、この国における政界の裏側で生きて来たのである。


 

 そうして彼が積み上げたのは、恐らくは人間関係であろう。この国の政界のありとあらゆる場面で、この老人の名が影響が見え隠れしている。それを彼女の様な外部の人間ですら理解出来てしまう程に。


 それでいて目の前で懐石料理に箸を伸ばすこの男は。責任がある立場にはない。ただただ、裏で張り巡らせた"イト"を弾いて、己が望む方向に世界を動かす。そんな影の実力者という言葉が極まり、形になったのがこの老人なのかもしれない。



「さて、それではそろそろ実務の話に移りましょうか。皇帝陛下」



 怪老かいろうは半ば呆れを含んだ笑みで、直接的な会話に切り替えて来た。婉曲な表現を織り交ぜた交渉は不可能だと、諦めたのであろう。


 それでも会話を打ち切らないのは、恐らく自分の月面皇帝という立場以上に、西村重蔵がこの会食をセッティングしたという事実を重んじているのだ。


 西村健一郎、月面皇帝アルテ=ルナティアスにとって交渉相手であり、他に代えがたいパートナー。そして月面との交渉における日本側の代表の死を、ここまで穏便にまとめ上げた手腕が評価されている。


 だからこそ、アルテはここで成果を出さなければならないし、それだけの切り札を彼女は用意していた。



「お食事中にお出しするものではないのですが、簡潔にいきましょう。リナ――」



 その言葉で、後ろに控えていたリナ=トゥイーニー。レナ大尉と同型のクローンであり、彼女と同じくアルテにとっての腹心が、すっとジュラルミンケースを取り出して、膝の上で開いた。


 そこから溢れだす光に、怪老は目を細める。もしこれが金塊の光であったなら、この時点で彼は席を立ったであろう。


 しかし、このジュラルミンケースから漏れ出す光は下衆な金色ではない。半ば実体化した量子パターンが放つ緑色。既知の常識では存在しない、月面遺跡から発掘された超遺物である。



「これは、まさか――」


「ルナティックコード、月面遺跡の未解析発掘品を稼働させる為の起動キーです」



 ククク、と老人の口から嗤い声が漏れた。これはアルテ=ルナティアスにとって大きなばくちである事は間違いない。現在公式に活動が確認されているルナティック7は5機。そしてそのうち4機は上皇派の戦力である。


 即ち、最高でも3つしか存在しない切り札のを彼女は初手で切ったのだ。



「これまで供与された発掘技術と、どう違うのかね?」


「今だ人類が複製する事の出来ない、月面遺跡から発掘された遺物を無制限に起動する事が出来ます」



 その言葉に、怪老は一瞬その価値を測りかねる。一見して今だ人の手が届かない英知を操れる鍵は万能の力があるようにも思えた。しかし実のところ所詮量産不能な遺物一つを起動させたところで世界を支配することは不可能なのだ。


 もしそれが可能なのならば、既に月面帝国は世界を支配している。それこそ、意味があるとするならば――



「成程、発掘遺物の動作原理の検証。つまり皇帝陛下は日本とより深く手を取りたいと。そういう事で間違いはございませんな?」


「はい、上皇を排除した暁には相応の遺物をお渡しする用意もあります」


「失礼ながら。皇帝陛下は想像以上に、強かですな」



 結局のところルナティックコードの譲渡は、一方的な利益の供与ではあるが。これまでの解析済みの発掘技術の譲渡と何ら変わりはない。やや日本側に主導権を譲ってはいるが、結局のところ月面帝国が未解析の遺物を提供しなければ無用の長物。


 使い方を間違えばトラブルを呼び込むだけの代物に成りかねない劇物である。


 しかし上手く使えば、現在の世界を支える慣性制御に匹敵する技術を、世界に先んじて手に入れられる。金の卵を産む可能性を持った鶏であることは間違いない。



「ですが、こちらとしても米国を含む、諸外国から圧力を与えられれば――」


「戦後、国連に4つ程。ルナティックコードを移譲します」


「成程、それならば直接的にパワーゲームに巻き込まれにくくは成りますな」



 怪老は思考を巡らせる。この皇帝の案を飲み込んだ場合、どれほどの利益が日本にもたらされるのか。どれほどのリスクが襲い掛かるのか。その2つを天秤にかけ――数秒の沈黙の後、彼はゆっくりと口を開いた。



「私には、これを受け取ることは出来ませんなぁ」


「なっ――」


「ああ、勘違いしないで頂きたい。残念ながら所詮は地方で多少の土地と小金を持っているだけの老人には、これは重すぎる。西村君と話して使い道を決めて頂きたい」


「それでは……」


「ええ、皇帝陛下と西村君が決めたのならば、余程のことが無い限りはその通りにことは進むでしょう。微力ながら私もお力添えをさせて頂きましょうぞ」



 あえてこの怪老かいろうは火中の栗を拾う事を選択した。日本という国は見た目ほど盤石ではない。辛うじて独立国家としての地位を確立しているが。ユーラシア大陸側からの圧力、米国からの働きかけ。


 常に大きな2つのパワーバランスの間で立ち回る事が要求されている。


 そして月面との戦争によって生まれた戦後レジュームの揺らぎは、日本に否応なく行動を強いる。たとえそれが変化を望まないという選択肢であったとしても、それはただ何もしないまま手に入らない。



 この国にどのような未来を選ぶのか、この怪老かいろうには興味はない。ただ先達として、政界を牛耳る黒幕として、後進により多くの選択肢を残すのは半ば義務である。そう考えているのである。



「いやぁ、本日は面白いお話が出来て本当に良かった」


「い、いえ…… こちらこそ、有意義なお話が出来たと、そう思います」



 すっと音もなく立ち上がる怪老かいろうに一瞬、アルテ=ルナティアスは戸惑うが、一応自分の方が立場が上である事を思い出しどうにか立ち上がり、おじきをする事を止める事が出来た。



「本来ならば、最後まで食事を楽しみたかったのですが、見ての通り老骨でしてなぁ、あまり遅くまで外に出ていると、醜態をさらしてしまうかもしれませんのでね」


「いえ、こちらとしても無理に付き合いをして頂いたことは理解しています」



 恐らく、次の予定が詰まっているのだろう。後ろに控えていた秘書に付き添われ、外に出ていく怪老かいろうを見送って、若き女帝は深いため息を付いた。



「ふぅ、随分と私は…… 手加減をしてもらっていたようだ」


「はい、私も後ろで見ていているだけで恐ろしい気分になりました」


「しかし、その…… これからどうしたものか」


「ああ、お料理…… まだ残っておりますね」



 余裕を持って会話の中で食事を終えた怪老かいろうと、会話に集中するあまり殆ど料理に手を付けていないアルテ。卓上に残された食事の状況を見るだけで、彼らの力量関係が見て取れる。


 本来なら、ここでそのまま帰るのが行動としては正しいのだろう。しかし月面で生まれ育ったアルテ=ルナティアスや、リナ=トゥイーニーには食事を残して食卓を去るという選択肢は存在しておらず――


 料亭の女将が、こうなることを予測していた怪老かいろうの指示でやって来るまでの数分間。彼女達はただただ困惑することしか出来なかった。


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