12-2
稲葉は地球を見下ろし、遠くに来たものだと感じ入る。ついこの間まで卒業したての新米少尉だった自分があっという間に中尉に昇進。気が付けば人類の命運をかけた戦いの前線指揮官として抜擢される。1年前の自分が聞けばまず間違いなく笑い飛ばすたぐいの話。
トーラス型宇宙ステーションの展望室から広がる光景は、それこそ知識としては知ってはいた。しかしこうしてその場に来れば毎回違った発見があり、訓練中の少ない休憩時間の全てをつぎ込んでも惜しくはないとすら思えるのだ。
もっとも同じように月面降下作戦に向けて、宇宙ステーションに叩き込まれた高橋達は少しでも体を休めようとしている辺り、自分には他人よりも宇宙空間に対する適応が高いのかもしれない。
「稲葉中尉、また地球を見ていたのですか?」
気密仕様になっている自動ドアを開き、レナ=トゥイーニ大尉が展望台に入って来る。そう広くもない宇宙ステーションの展望室で二人きりというシチュエーションはかなりロマンティックな場面ではある。更にレナ大尉は間違いなくグラマーな女性でもあるのだが、中身の子供っぽさから稲葉の食指は動かない。
かといって嫌いな相手ではなく、失礼な言い方をするなら出来の良い妹に対する気分というのが一番近いか。
「んー、まぁもう何度見てるか分からないけどさ。なんか面白いんだよねぇ。目には入らないけど世界の半分を見下ろしているみたいな感覚。当たり前だけど大統領や首相でも楽しめない贅沢だよ」
「皇帝陛下は楽しめて…… いえアルテ陛下は楽しまれませんね」
「んじゃ、レオニード上皇はどうなんだろうね?」
ある程度政治的な、本来は話すべきでない話題に突入したのは理解しつつも。稲葉は話題を変えずに突き進む。本質的に彼は享楽主義者で他人の反応を楽しむ側面があるのだ。無論ある程度の見極めはするけれど。
「たぶん、楽しまないでしょう」
「まぁ、そうだろうねぇ。彼らは地球や月をただのリソースだと見てるから」
他星系にまで生存を広げる必要があるという理屈は、稲葉にとって理解出来なくはない。地球生命の起源が異星系からもたらされたという事実も、驚きはしたが仮説レベルでは流布している話であり、まぁ納得出来る範囲だ。
けれどだからといって地球や月のリソースを、それこそ自転エネルギーそのものを消費し。地球環境を崩壊させ文明を滅ぼしてでも恒星間の繁種を行うという理屈に関しては理解出来ないし、したくもなかった。
「ほーんと、人生をエンジョイ出来てないっていうか。そういうのもっと世代を重ねてやっていくもんじゃないの?」
「ええですのでアルテ皇帝陛下は、そして我々はそうするべきだと思っております」
「……ああ、うん。つまり上皇派だけでなく、皇帝派も目的は同じみたいな」
それはある程度は予想が出来る範囲の言葉であった。そう皇帝派は上皇派と対立していてその愚行を止める為に戦っている。その認識に間違いはない。けれど根本的な部分で地球人と
彼女が聡明であればあるほど、美しければ美しい程。そのどうしようもない価値観の違いが際立っていく。
「ええ、地球人の方には刺激が強いかも…… しれませんね」
「ちょっとまぁ、分かっていたけれどショック。みたいな感じはあるかな」
悲しげに目を伏せるレナ相手に、正直な感想を投げつける。まぁ彼女達は
その一点が全てを滅ぼしてでも、目標を達成しようとする上皇派との違いであり、だからこそギリギリの所でこの世界は回っているのだ。
もしも彼女達が上皇派と共に目的に邁進していたならば、10年前に地球は滅んでしまっていただろう。そういう意味では、彼女達のお蔭で今自分が生きて呼吸出来ているとも言えるのかもしれない。
「それでも、私達は。人類の幸福な生存と、異星系への繁種の両方を目指します」
「ん、まぁアレだね。ちゃんと自分達の幸せみたいなものも考えてね?」
「自分達の、幸せですか?」
きょとんとレナは稲葉の笑みに対して、不思議そうな顔をする。
「こう、好きな相手とかいないの? 恋とかちゃんとしたことある?」
「恋ですか。あぁ、まぁ――」
ふっと彼女は中央ブロックの方に目を向ける。居住区画にいるであろう、恐らくは思い人の姿を思い浮かべながら、照れくさそうな笑みを浮かべた。
「もう初恋は終わっていると思います。始まる前に負けてましたけど」
「そっか、じゃあちゃんと恋をする為にも。この戦争を生き残ろうか」
「……はい、一度死ぬような目に合ってますが。二度目はご免です」
冗談を言わなさそうな、クールビューティを形にしたレナの意外なユーモアに稲葉は思わず破顔する。彼女達は間違いなく
「ははは、まぁ確かにね。互いに死ぬような怪我から復帰したんだ。もうもう一回は確かにお断りしたい処だよ」
互いに笑い合って、もう一度稲葉は窓の外に目を向ける。日本に向かう台風が目に入り、もう10月も過ぎ去ろうとしているのに下は面倒そうだと他人事で考える。第二次月面降下作戦まで後1か月。
泣いても笑っても、それで地球の命運が決まる。
ある意味、自分が世界の運命を左右できるポジションにあるのだと思い上がりそうになる。けれどそんな考えも、レナ大尉の初恋の人に意識を向ければ一瞬で砕けて消えた。
それこそ自分の様に替えが効く存在ではない。文字通り後世がこの戦いを語るなら主人公にするに相応しい人物。どこかぼんやりとした青年、普通に見えてそれでいて世界最強を打ち破る強さを持った兵士。
恐らく、この決戦の行く末を決めるのは彼なのだろう。そしてそれを特等席で見ることが出来るのならば、それはそれで面白い。そんなことを考えるから、主役にはなれないのだと自重しながら。稲葉涼は1か月後の戦いを生き残ると決意を改めた。
クライマックスで死んで続きを見過ごすのは余りにも、この現実という物語は愉快で楽しいのだから。
◇
月面帝国の街は荒廃の一途を辿っている。レオニード上皇が知る最盛期の賑わいと比べれば、今の月はゴーストタウンと呼んでも過言ではない。最も既に30年以上地上に降りていない彼にとって、比較できる街並みは既に遠い昔の記憶だけ。
「ようやく、か…… 数多くの同胞を戦いで失い。アルテによる反乱で足止めを喰らい。更に同志を失いってまで手に入れた機会が潰え―― それでももう一度と我々は前に進んだ」
半年前、メガフロートへの降下を指示した時と同じ部屋から、上皇は月面遺跡内部の都市空間を見渡した。依然と変わらぬ、いや今では動くものが何もない。20年前は2万に迫っていた月面の人口は、既に5千を下回っている。
戦死、物資不足から来る衰弱死、単純な寿命による死亡。そしてアルテ皇帝が戦後に推進した融和政策により地球へ帰った結果。
最早社会として、国家として成り立つ最低限度の人員すら、月には残っていない。
ふと気密が解除される音が届き、レオニードは扉に目を向けた。開いた瞬間大気の流れを感じる。通路に対する空気の供給を行わず、酸素の生成量を減らす涙ぐましい工夫の産物だ。
結果として一定の成果は上がったが、居住区画間の移動に宇宙服が必須となっているのだが。断りも入れず彼の部屋にやって来た男はめんどくさそうにヘルメットを取り外し、無精髭の目立つ頬を撫でつける。
「どうも、レオニード上皇陛下」
ジャック=マーダン。彼のことを上皇派が起こした
だがレオニード上皇は後者だと認識している。彼でなければそもそもメガフロートの制圧すら危うかったし。データを回収し、月面まで帰還することは不可能だった。
「箱舟を起動する為の行程に変化があったのか?」
「いや、それは予定通りなんですが。問題は地球と皇帝派の動きですね」
ジャックの視線に合わせて、執務机に据え付けられたモニターに電源が入る。表示されたのはトーラス型の宇宙ステーション。国連宇宙軍と月面帝国皇帝派の部隊が駐留する、唯一月面までの軍事作戦の起点となり得る拠点である。
「こちらまで降下する為の戦力を終結させていると?」
「大ざっぱにIA換算で2大隊…… 50機弱って処で」
「こちらから先制攻撃を仕掛けることは可能か?」
レオニードの問いに対して、やれやれとジャックは肩をすくめた。
「そもそも月面の発掘遺物ですら、何もない宇宙空間で戦闘は不可能。アニメじゃないんですから。我々はまだ惑星の軌道を超えて自由に動けるマシーンを手に入れられてないんですよ」
ジャック=マーダンの言い分は最もである。今の人類は異星系文明の遺産によってようやく惑星軌道上という名の波打ち際で水遊びをしているに過ぎないのだ。惑星軌道上に沿って流されることしか出来ない。
月面から戦力を打ち上げ、軌道上に存在する宇宙ステーションを強襲する。たったそれだけのことですら今の人類にとっては、第二次世界大戦時に音速でドッグファイトを行う程度には難しいのだから。
IAはあくまでも惑星、もしくは衛星の表面で戦う事を前提とした機械である。
「ならば、降下して来た敵を――」
「迎え撃つ形になりますね。その準備を並行して行う許可を頂きに来たんです」
すっとジャックはポケットからタブレットディバイスを取り出した。それに目を通しレオニードは顔を顰める。
「防衛用にマスカレイドと、レイジ・レイジの大型化改修。レーザー迎撃砲塔の設置…… たとえ箱舟の起動に成功しても、それを発射するだけの余地すら危うくなるレベルで資源を消費するな」
「そもそも、この戦いに勝てなきゃどうしようもないんです。物資に関してはそれこそ勝った後で機体を解体しても良い訳ですし」
地球上での活動を考慮しない、月面仕様の超大型IA。大戦時には存在しなかった数少ない月面帝国が"発掘"ではなく"開発"によって手に入れた技術。1G環境下での運用こそ想定されていないが、それこそ月面においてはレイジ・レイジやマスカレイドの戦闘力を数倍に引き上げることが出来る切り札だ。
「運用人員の不足はシュルバン=ステイレットの記憶同調で補うつもりか?」
「ええ、米国における工作活動から彼を引き抜いて、こういう作業に回って貰わないと文字通り手が足りません」
ルナティック7は一般的にIAに組み込まれた発掘兵器だと思われているが、実のところその認識は正しくない。僅かではあるが例外が存在する。その数少ないパターンに当てはまるのがシュルバン=ステイレットが運用する記憶同調。
焼き込みに数時間を要すること、記憶の同調を維持する為には常に10数キロ以内に装置が存在していなければならないと。多少の制限はあるが、それさえクリアすればあらゆる人間の記憶を覗き見て、能動的に操る事すら可能とする超技術。
それがあったからこそ、シュルバンはたった一人で超大国アメリカに対して防諜戦を仕掛けることが出来たのだ。
「彼の能力を単純な労働力や戦力に換算するのは大いなる無駄ではあるがな」
「そんな無駄を通さねばならない程度には我々は困窮してるんですよ」
ジャックの物言いに苦笑しつつ、レオニードはタブレットを受け取りペンを取る。既に齢90に迫る彼に出来ることはその程度に過ぎない。だが物事を動かすにはその一筆が必要である。
上皇派の指導者層である、ジャック=マーダンも、シュルバン=ステイレットもそのどちらも人を動かす事が出来ても。人を引き寄せるカリスマ性を得られなかった。
だからこそ己の命が尽きる前に筆を走らせて、レオニードはサインを刻む。電子的に筆記体に刻まれた六文字によって、最後の賽が投げられた。
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