第03話『壁の向こう側』

03-1

 小隊長達の補給が済んで戻って来るまでに敵の襲撃は無かった。入れ替わる形で基地に入り操縦席から飛びだした瞬間、体から汗が出て来るのをタクミは感じる。はっとして漏らしていないか確認するが、幸い彼の尿パックは空のままだった。


 意図して仕方無く排尿するのならまだしも、戦場で気づかないまま漏らすというのは少々情けないと感じるのはしょうもない意地でしかない。しかしタクミにはまだそれを避けたいと思う程度の羞恥が残っている。


 そのまま慣性蓄積器イナーシャルキャパシタに降り、足をステップに、手すりを握り、ゆっくりと機体から降りた。それと同時にバンガードに駆け寄る整備員に、よろしくお願いしますと一言声をかけ邪魔にならないよう距離を取る。


 そのまま自分と同じ新人と思われる整備員に、操縦士用の休憩区画に案内された。少し作業場から離れた場所に用意された…… とはいっても長椅子とテーブルが用意して、パーテーションで区切っただけの場所でしかないのだが。



「はい、タクミの分も貰ってあるから」


「んっ、ありがとう」



  先に機体を降りて休憩していた、ナナカがずいと銀色のビニールパックを手渡してくる。中身は水分と栄養補給用のゼリー飲料で、それを受け取り口をつけてようやく、口の中と体がカラカラになっているのを理解する。


 貪るように400mLのパックを飲みほしてようやくタクミは人心地がついた。



「他に休憩している人は?」


「私とタクミの二人だけ」



 その言葉を最後に二人の間に沈黙が広がった。周囲からは整備員の怒号、クレーンとして運用されるバンガードの駆動音、動作確認の為に響く電子音が渦巻いているのだが、それ以上に交わす言葉が出てこないせいで静かに感じる。


 タクミは吸い終わったパックを手で丸めながら、ナナカの方に目を向ける。ショートボブの黒髪はしっとりと湿り、頬には一度タオルで拭いた後に出て来た汗で濡れていてその色気にドキリとしたが、その感情は目を見た瞬間に消え失せた。


 なにも見ていないように瞳は開き、けれど単純に惚けている訳ではなく刺激すれば弾けそうな張りつめた感覚も共存している矛盾に満ちた状態。


 普段のクールなようでクルクルと面白いように回る表情と比べると、彼女の怜悧なイメージに合う表情なのかもしれない。だがそれは、まるで機械のようで――



「えい」


「…っ!?」



 だから全身全霊を込めて、タクミはナナカの頬をつついた。


 ゴミ箱の方を見ながら立ち上がり、手に持ったパックを捨てに行くようなそぶりで重心移動をしながら、わざと崩してナナカの方に倒れ込み、反射的にこちらを突き飛ばそうとした手を左手で捌きながら、右の指で頬をつつく。


 ナナカは自称150cmで平均より少し背の高いタクミと比べ、頭一つ背が低い。そんな少女じみたを通り越して幼女にカテゴライズされた相手の片腕を抑えてほっぺたをつつく行為は犯罪じみていたが、幸い周囲に人影はない。


 普通ならセクハラの範疇に入りかねない行為だが、以前タクミはテンションが上がったナナカに胸を揉まれた事がある。それを指摘すれば即有罪から司法判断に持ち込むくらいは出来るだろう。出来たら良いなと現実逃避。



「にゃんだ!? いきなり!」


「噛んだ!? そこまで?」


「わ、私だってここまでされれば動揺くらいするッ!」



 先程までの虚無的な雰囲気はあっさりと消え、顔を真っ赤に染めあわあわと顔の下半分を手で覆い、震えながらもいつもの彼女に戻っていた。それを確かめてふぅと汗をぬぐう。



「その、私は今やはり切り替わっていた・・・・・・・・のか?」


「そうそう、本気モード的な、アレ」


「恥ずかしいな…… 本当に、恥ずかしい」



 小声で囁くように羞恥を示しながら、ナナカは俯いて押し黙る。良くも悪くも彼女は剣士として完成しており、ストレスを感じた時に人格が切り替わるらしい。


 それも伊達や酔狂ではなく、実際に訓練とはいえアサルトライフルを持った相手10人を、コンバットナイフで制圧するのだから性質が悪い。ただ視野が狭くなるのも確かで、事実それに気づいてからはタクミはナナカに負けていない。


 ただ、小柄な体躯をを物ともせずに向かってくる姿はバーサーカーと呼んで差支えなく、決して侮れるものではない。


 つまり心と体のリソースの全てを、個人戦闘力につぎ込んでいるのだ。後ろから盤面を見て行動を修正する人間が居なければハメられるし、休憩中もそのままだと消耗してしまう。


 だからあんな手段を使ってでも、タクミは彼女のスイッチを切り替えさせたのだ。



「戦闘中なら自分がフォローするからいいけどさ、休むときはちゃんと――」


「ああ、そうだな。しっかりと気を緩めて――」



 言葉を全て吐き出す前に、ナナカが急に押し黙って震えだした。頬だけでなく顔全体が赤に染まっていく。タクミには良く分からないが色々と普通でない状態である事は何となく察する事が出来た。



「ナナカ、大丈夫?」


「……う、大丈夫じゃ」


「どうする? 気分が悪いならお手洗いに――」



 お手洗いと口に出した瞬間しまったとタクミは後悔する。普通に考えて女子にお手洗い云々というのはセクハラに当たる。それこそ体調不良を察した時点で女性を探しに行くような気の使い方をするべきであったと思うが時すでに遅し。


 気分を悪くしたかと思って様子を伺うが、ナナカは一瞬きょとんとした顔を向けて次の瞬間――



「あ、ああそうだ! お手洗いに行かねば、先ほど気を緩めたせいで急に行きたくなってしまって少々不味い状況だから今すぐいかないと…… タクミもしっかり手洗いは忘れるないでね?!」



 と早口で告げてこちらの返事を待たずにお手洗いに向かって走り出した。ナナカが気分を害さなかったのならとタクミは胸をなで下ろす。


 しかしここまで明け透けに下の話をするのは逆セクハラではないのか? と思うも言われた通り、自分も手洗いに向かう。この様子ならこのテロは穏便に終わるのではないかという根拠のない期待を抱きながら。




 しかし数分後、休憩所に戻って来たタクミとナナカを迎えたのは、基地内に満ちた喧騒だった。パーテーションの向こう側から、大量のそれも手足が欠けたIAが鳴らす不協和音が響き渡り先程までの小康状態が嘘のような大混乱が広がっていく。


 状況を確認する為、休憩所から出ようとすると10人程ボロボロな若い兵士達がこちらにやって来るのが見えた。皆一様に疲れ果てた顔と死んだような目で、倒れ込むように椅子に、床に、壁に、身を預けて顔を伏せている。


 恐らくは全員、自分達と同じ新兵なのだろう。何があったのかと聞こうと見渡せばその中の一人と目があった、一瞬憔悴しきった様子から誰なのか理解出来なかったが弱々しく浮かべる笑みで高橋であると気が付いてタクミの方から声をかけた。



「高橋!? メガフロートに配属されたって聞いてたけど――」


「西村か、まぁご覧の有様だ。くそなんだよルナティック7ってよぉ……」


「嘘っ!? 今は…… このっ、起動が…… 米軍基地の方に?」



 それを聞き状況を確認する為、タクミは戦術データリンクと繋がった個人端末をポケットから取り出し起動。タッチパネルを割りかねない勢いで叩き始める。しばらくその様子を眺めてから、ナナカは話を途中で切り上げた彼の代わりに話しかけた。



「その、高橋…… タクミには悪気はないんだ」


「ああ、分かってるよ。流石にちょっと無神経だとは思うがね」



 高橋の顔には言葉通りの表情をしていた。こいつなら仕方がないというあきらめと親しみ。そして前者の感情を下回っているが、他人を顧みない西村巧の言動に対する不快感が見てとれる。



「ごめん、高橋」


「別に御剣が謝るような事じゃねーし、西村がどんな奴かは理解してるさ」



 力なく笑う高橋の顔は、先程より少し血の気が戻っているようにも見えた。周囲の状況を無視していつも通りに振る舞うタクミの姿に、ほんの少しだけ元気づけられたのかもしれない。


 暫くナナカと高橋は、画面を食い入るように見つめるタクミの姿を眺めているが、流石に間が持たなくなったのか、高橋が話題を振って来る。



「御剣と西村はどうだった?」


「基地の周りで少し小競り合いをしただけ」



 実際、タクミとナナカの活躍はそう派手なものではない。初の実戦で上官の指示なく行動する必要があり、それをそつなくこなしながら敵機を撃破したというのは100点満点に近い行動で、しかしだからこそ人に話すと地味な印象になる。



「派手に初戦でエースになったとかそういう事は?」


「残念ながらそこまでは、私とタクミで1機づつ撃墜した程度だよ」


「ははっ、じゃあ俺の方がインパクトあるぜ? 何せルナティック7相手に生き残ったんだぜ? こいつはちょっとした自慢に…… なるよな、くそぉっ!」



 しまったとナナカは思うがもう遅い。間違った事を言ったわけではないが強いていうなら、大きな被害を受けたと思われる相手に対して戦闘の話を続けてしまった事がミスであった。西村は、他の新兵と同じ様に顔を伏せ、声を荒げる。



「なんだよっ! なんなんだよあれは! 噂では聞いていたさ、化物だってな! けどよ大隊で囲んで集中砲火で死なないっ! 殴りつけるだけでパッと叩きつぶすっ! 結果半分が食われたんだぞ!? どうすりゃ…… あんな化物に勝つ方法なんてっ!」


「あるよ、勝ち目は。絶対確実とは言えないけれど」



 周囲の喧騒が一瞬収まったタイミングで声が響く。特徴のない男の声、口調も冷徹でもなければ、熱も籠っていない。ごく普通に何の感慨もなく。ただ事実を告げる様に西村巧にしむらたくみは勝つ方法があると口にした。


 彼の手にあるタブレットには、戦闘に参加した機体のメインカメラがとらえた映像とバトルログが同時に表示されている。



「へぇ面白そうなこと、話してるじゃない。僕にも聞かせてくれないかな?」


 

 空気を一切読まない発言によって生まれた沈黙は、休憩所の入り口から顔を出した人物によって破られた。この場の新兵達と同じ下ろし立ての操縦服、ただし肩と胸の階級章は少尉。そしてナナカにはその声と顔に見覚えがあった。



「稲葉少尉!?」


「誰? ナナカ、知り合い?」


「……卒業式の時、屋上に来た空気読まない新米少尉の人」


「まぁ、事実だから上官侮辱罪は適用しないけど、もうちょっと手心をね?」



 どうやらあのインパクトのある会話も、タクミにとっては取るに足らない日常だったらしく二人は頭を抱える。そしてそれとは別の意味で高橋も頭を抱えていた。


 尉官と兵卒である自分達の間には大きな階級差が存在し、一般の会社で言う平社員と部長以上の差がそこにはある。そんな相手に対して休憩中とはいえ、こんな態度で接する事は良い事ではない。


 ナナカもその様子に気づいて、コホンと咳ばらいをして口調を改める。



「その、稲葉少尉殿は何故こちらに?」


「んーまぁねぇ、流石に上もこのまま新人でペーペーの兵士を前線に置いたまま実戦を続けるのは不味いんじゃないかって事になったから。各部隊を再編し、新人を纏めて後方に下げるみたいな? その指揮官に同じ新人の僕がって話になってね?」

 


 その話を聞いてナナカは理解した、ここから先は全うな軍事行動ではない。ルナティック7を相手に戦う事は自殺行為で、それでも撤退できない理由が上にはあり、からこそせめて新人を全滅必至の作戦に巻き込まない為に再編が行われるのだと。



「まぁ、上は多分。式典に参加した重要人物と一般人が逃げる為に命を捨てろってそういう作戦を立てるつもりなんだろうね。そんな作戦に巻き込まれるのはまっぴらなんだけどさ…… 西村二等兵、君はグラ・ヴィルドに勝てると言ったね?」


「絶対とは言いませんが、勝ち目はありますよ」



 その言葉に、それまで黙って様子を見ていた新兵達がガヤガヤと騒ぎ出す。見てないからそんな事が言えるんだと吐き捨てるもの、一体お前は何なんだと責めるもの、無理は言わない方が良いといさめるもの。


 この場にいる人間の殆どがタクミの言葉を信じずに、ただ否定する。それほどにグラ・ヴィルドによる蹂躙劇は彼らの心に深い傷を刻んでいるし、そもそも彼らにはタクミを信じるに足る情報が何もない。



「へぇ流石は卒業試験無双! いや、あれは大っぴらにされてないし…… いっそインド洋降下突撃演習経験者の方が通りがいいかなぁ? それとも富士のアグレッサー相手に互角に戦えた唯一の高校生…… の方が有名かも?」



 半ば演技じみた稲葉少尉の言葉に、新兵達の空気が変わった。知ってるか、そんな話? いや、確か上官がそんな話を、インド洋降下突撃演習に高校生が参加したって話は聞いたことが…… とあやふやな知識が繋がっていく。


 不安な状況と何となく聞いたことのある情報が結びつき、新兵達の中に半信半疑ながら西村巧が普通の新人ではないという空気が生まれていく。



「いや、その流石に誇張しす――」


「――そう、タクミが勝てるというなら勝てるね」



 それを訂正しようとタクミが声を上げる前に、ナナカが腕をがっと掴んで言葉を被せて誤魔化した。そして一生懸命背伸びをして、それでも間に合わなかったので少しタクミが体を傾けてやっとナナカの唇がタクミの耳に届いて――



「正規部隊が通常の戦術でぶつかればどうなると思う?」


「溶ける、皆や重要人物…… 兄さん達が逃げる時間はない」


「なら、この流れに乗らないと。私達がやらねば皆死ぬんだろう?」



 質問にコクリと頷いて応える様子を見て、御剣菜々香みつるぎ ななかは覚悟を決める。こういう時タクミの感は良く当たる。彼が何もしなければ死ぬと言えば、それを信じられる位には共に過ごして来たのだ。


 恐らく稲葉少尉も自分の分析でこのままでは全滅すると判断し、その上で調べ上げた経歴からタクミならばとこの場に来たのだろう。必要があれば煽る形でこの状態に持っていくつもりだったのかもしれない。



「それじゃ諸君! これから反撃を始めようじゃないか!」



 稲葉少尉の言葉に合わせて、休憩所の新人たちは手を上げ叫び声をあげる。未だに勝てるという保証はない。それでも動かないまま死ぬ未来だけは無くなったと、

ナナカは考える。


 もしかすると死ぬかもしれない。けれどタクミの作戦で死ぬのなら、他の理由で死ぬよりはずっと納得できると、少しだけ赤くなった横顔を見つめながら彼女は覚悟を決めるのだった。

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