きみが望んでいること (6)



 頭のなかが、何かに強く殴られたようにぐわんぐわんと反響する。いろんなことが激流のように流れすぎていくなかで、ひとつの言葉が頭に強く刻みつけられる。

『明里が彩人を殺した』『明里が彩人を殺した』『明里が彩人を殺した』

 その事実が脳に焼きつけられ、そして灰色になったあの絶望そのものの『世界』を思い出す。俺たちの幸せだった『世界』をぶち壊したのも、明里。

 すべてすべて、明里が元凶だった。

 やがて、現実に帰らない思考を引きもどすように、横から気弱な声が聞こえてきた。

「ダ、ダメだよ、優……」

 恐怖に混じった気弱な目を向けながら、彩香が俺に呼びかけてくる。

「明里ちゃんをまた、殺しちゃうなんて……。そんなことしたら、優はまた前までと同じになっちゃう……」

「でも……でも明里は、彩人を……。それにそうしたら彩香が……!」

「それは、そうだけど……。でも明里ちゃんだって、つらい目にあって、ずっと世界を許せなかったんだよ……? このまま明里ちゃんを除霊なんてしちゃったら、救われなさすぎるよ……」

「だからって……」

「そ、それにっ。私なんてほらっ、死んじゃっても幽霊になって優に会えるかもしれないし――」

「ふざけんなッ!!」

 彩香が身体がビクリと震える。でも、自分の身体中に怒りと混乱があふれて、そのふたつが脳みそのなかで爆ぜるのを止められなかった。

「そんなの、彩人と彩香が死んでもいい理由にはならねぇだろッ!! だいたい彩人が死んで、今までに俺たちの前に現れたことがあったかよッ!! 死んだらまた会えるなんて保証がどこにあるってんだッ!! 仮にまた会えたって、彩香は何にもさわれない身体になっちまってんだぞ!」

 俺は彩香の手のひらを乱暴に掴んで握る。彩香の顔が痛みに歪むのも気にとまらなかった。

「そしたらこんなふうに触れあうこともできなくなる! おじさんやおばさん、友達はどうすんだよ! 幽霊になったなんて正直に言って、それまでと同じように接することなんてできるか!? できねぇだろ!?」

「ゆ、ゆう……! いっ、痛い……!」

 彩香の悲痛な声にハッとし、慌てて手を放す。彩香が痛みを抑えるように握られた手をもう片方で包んでいるのを見て、罪悪感が暴風のように押しよせる。

「わ、悪い……」

「う、ううん……大丈夫」

 身体の震えている彩香を見て、また胸が締めつけられる。

 そうだ。今一番怖くて不安なのは彩香だ。三日後から自分の命を狙われるなんて言われて。自分の命が奪われる瞬間を二十四時間待ちつづけるなんて言われて。しかもそれは、俺の判断ひとつで決められてしまう。彩香自身の意思ではどうしようもなく。

 もし俺が明里を殺さないと決めてしまったら――

「……っそ、何だよ、これ」

 俺は、明里を許せるのか。

 俺の決断で、明里か彩香のどちらかが死ぬ。

 死ぬ。死ぬ。死ぬ。

 ふざけんな。そんなのもうごめんだ。何で彩香が死ななきゃならないんだ。何で彩香が殺されないために明里を殺さなきゃならないんだ。

「……ごめんなさい」

 消えそうなかすれた声が彩香の隣で聞こえた。表情を凍りつかせたまま、優香里さんがうわごとのように話す。

「まさか、四年前のあの場に明里ちゃんがいたなんてことは……。それも、彩人くんを殺したのが明里ちゃんだなんてことは、想像もしてなかった……」

「優香里さん……」

 何の冗談なんだろう。

 四年前のあの日あの場に明里がいなければ、俺たちは誰も不幸にならなかった。彩人は死ぬこともなかった。優香里さんはそのせいで罪悪感に苦しむこともなかった。彩香が塞ぎこむこともなかった。俺の『世界』が壊れることもなかった。

 明里は、ここにいる俺たち全員を不幸にした元凶だった。

「…………」

 あれ。何だ。何か引っかかった。

 奇妙な違和感。

 そしてその違和感の正体がわかり、頭のなかでパズルのピースが次々とハメこまれていき、その最後のひとつがパチリとはまったとき、俺の口は動いていた。

「優香里さん……お願いしたいことがあるんですけど、いいですか……?」

「優くん……?」

「悪あがきかもしれない。徒労に終わるかもしれない。……それでも、確かめたいことがあるんです。もしかしたら――」

 俺は胸の奥で揺れている希望を信じながら、言った。

「――明里を、説得できるかもしれない」

 二人が顔を上げる。

 彩香を死なせない。それは絶対だ。たとえどんなことがあったって彩香は死なせない。

 なら明里を殺せばいいのか。彩香を死なせないためにはそれしか方法はないのか。

 明里。俺はおまえが憎い。彩人を殺したおまえが憎い。彩香を不幸にしたおまえが憎い。

 でも、おまえを殺したくないと思ってる俺がいる。

 それはきっと、おまえと出会ってからの四ヶ月、家族のように毎日顔を合わせながら一緒にいたことで湧いた、何かしらの感情ゆえだ。

 矛盾した考えでも、それは紛れもない俺の本心だった。

 残された時間はわずか。そのあいだにできるのは……ありったけの想像と、それを活かしたほんのすこしの行動。

 それを駆使して、明里を止めてみせる。


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