きみが望んでいること (19)



 三人で話しながら歩き、やがて俺の家までの距離が近づくと、

「さて、じゃあそろそろかな」

 明里が不意に、俺の前に移動して寂しげに微笑む。優香里さんは明里を見送るように俺の後ろにいた。

 俺にはその意味がさっぱりわからなかった。

「そろそろって、何がだ?」

「お別れ」

 ゆっくりと、一文字ずつ言ってくれた。

 お別れ。

「あたし、これから人助けをしていこうと思う。あたしが住んでた町のほうは優香里さんに任せて、あたしはそれ以外の人たち……できれば、自分が殺した人の遺族や身近な人を。……どうしようもないことに、数が多すぎるし、名前も知らない人ばっかりだから全員っていうのは無理だけど、可能な限り。それと……あたしが与えてしまった被害とはまったく関係ない人も、できるだけ多く。この世界に生きている人を、一人でも多く助けていきたい」

「……そっか」

 意外なことではなかった。俺自身が言ったんだ。自分のしたことを悔いるなら、自分が殺した以上に人を救っていけと。明里はそれを実践しようとしているだけだ。

 ただ、思ったよりも早かったなと、そう感じただけだ。

 そんな胸中を察したのか、意地悪げに明里がニヤニヤと笑いはじめた。

「なにー? ひょっとして寂しい?」

「ばか。そんなわけあるか」

「ほんとにー? あたしがいないと根暗になっちゃわない~?」

「ほっとけ」

「まあ、あたしがいてもなるか」

「ほっとけ!」

 俺たちのやりとりを見て、優香里さんがおかしそうに笑う。それがひどく恥ずかしかったので無理やり話をそらしてやった。

「俺はいいんだよ。それよりも、明日でもいいから彩香とすこしでも話しておけよ。まだまともに話してないだろ」

「ううん。彩香とはもう話してきた」

 意外な答えが返ってきた。

「え、いつの間に?」

「ついさっき。まだ優がバイトしてる時間かな。家の手伝いが一段落して部屋にもどってたから、そのときにね。あたしとしてはまあ、緊張もしてたんだけど……」

 心のわだかまりが溶けていくかのように、嬉しそうに笑った。

「笑って接してくれたよ。あたし、また泣きそうになっちゃった」

 じつの家族を奪った張本人である明里だが、彩香も俺と一緒に明里を許すと決めた。もともと他人に対して憎しみを持たないようにしていた彩香だ。きっと俺なんかよりもよっぽど明里と深い仲になれるだろう。明里が優香里さんと出ていった昨日、もっと話をしたいと漏らしていた。どうやらその望みはすこしだけ叶ったみたいだ。

「だから、これでしばらくのお別れ」

 明里が、自分自身にも確認をするようにもう一度言った。

「こっちにはもどってくるのか?」

「たまにはもどってこようかなーと思ってるよ。みんなの顔も見たいし、様子も知りたいし。もしものことがないよう優香里さんにはがんばってもらうから」

「責任重大ね、私」

 苦笑してても、優香里さんはちっとも嫌そうではなかった。生前に拒絶されつづけていただけに、そうやって頼られることが嬉しいのかもしれない。

「優がこれからどうするか、彩香から聞いたよ」

 明里が俺からすこし目を逸らしながら言った。

「……まあ、応援してるよ」

「……軽いな。もうちょっと何かないのかよ」

「何言えばいいのさー。あたしにあんなこと言ったんだから、当然の行いでしょ。……優はそうするしかなかったはずだよ」

 煮え切らなさそうに言いつつ、最後にボソッと、

「……応援、してるから」

 そんな言葉が聞こえた。

 何を言えばいいのかも、しっかりと定まっていなかったのだろう。言葉は少なくとも、それが今、明里にできる精一杯のエールなのだ。

「ああ……ありがとな」

 俺はそれを、ありがたく受け取ろう。

 明里がくるりと背中を向ける。

 特別に話すことがなくなってしまったからか。

 俺たちのあいだに、すこしの沈黙が漂った。

「……べつに永遠の別れってわけじゃないし、しんみりする必要もないよね。ほんとうにそろそろ行くよ」

「……そうか」

「……うん。それじゃ、また」

 なぜだか、ささいなぎこちなさに襲われる。たがいにうまい言葉が見つけられないのがよくわかった。薄くない四ヶ月をともにすごした者として、何かほかに言えることがあるんじゃないか。そう思いつつも、何も浮かばない。

 胸につっかえる気まずさを残したまま、夜道の空気とともに明里の姿がすこしずつ薄くなっていく。

「えっと、優っ」

 だけど、完全に消えてなくなる寸前に明里はこちらに振り返って――

 ……あぁ、こいつ。思えば、こんな表情を見せてくれるのははじめてかもしれない。

「ありがとう」

 最後に、それだけ言い残した。

 それは、何を指しての言葉だったのか。ひとつだけの事柄ではなく、いろんなものを指していたのかもしれない。

 本心に違いないその言葉を、俺はしっかりと受けとった。まだ俺たちに対して残っているであろう罪悪感や、しばらく会えなくなることへの名残惜しさ。そういったものをぜんぶ心の奥に押しやって見せてくれた、その表情とともに。

 相手に対する感謝と好意だけを向けた、名前どおりに明るい最高の笑顔を最後に見せて、明里は俺たちの前から旅立った。

 家へと続く夜の住宅街。秋へ向かう夏の外気はほんのりあたたかく、月の光と電信柱の蛍光灯だけが照らす薄暗い夜道は、胸に淡く宿る気持ちを穏やかにしてくれた。



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